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&bold(){アンフィポリス}(Amphipolis)または&bold(){アムピポリス}は古代ギリシア都市の遺跡。紀元前437年に建設されたギリシア北部の都市で、テッサロニーキ(テサロニケ)からは東北東へ100 km に位置する((以上、『コンサイス外国地名事典』第3版による。))。その意味は「丸く取り囲まれた町」の意味で、ストリモン川に取り囲まれた地の近傍に発達したことからこの名がある。
ローマ支配下ではマケドニア南東部の主都となり、交通の要衝として栄えたが、フィリピ(ピリピ。北東約50km)の発達に取って代わられ、衰亡した。[[新約聖書]]ではパウロが第2回伝道旅行でフィリピからテサロニケに赴いた際に通過した都市として、『使徒言行録』(使徒行伝)17章1節で言及されている((以上、『新聖書辞典』いのちのことば社))。
*ノストラダムス関連
『予言集』ではフランス語式に綴ったアンフィポル(Amphipolle)が、[[百詩篇第9巻91番]]のみに登場している。
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&bold(){アンフィポリス}(Amphipolis)または&bold(){アムピポリス}は古代ギリシア都市の遺跡。
紀元前437年に建設されたギリシア北部の都市で、テッサロニーキ(テサロニケ)からは東北東へ100 km に位置する((以上、『コンサイス外国地名事典』第3版による。))。
その意味は「丸く取り囲まれた町」の意味で、ストリモン川に取り囲まれた地の近傍に発達したことからこの名がある。
ローマ支配下ではマケドニア南東部の主都となり、交通の要衝として栄えたが、フィリピ(ピリピ。北東約50km)の発達に取って代わられ、衰亡した。
[[新約聖書]]ではパウロが第2回伝道旅行でフィリピからテサロニケに赴いた際に通過した都市として、『使徒言行録』(使徒行伝)17章1節で言及されている((以上、『新聖書辞典』いのちのことば社))。
*ノストラダムス関連
『予言集』ではフランス語式に綴ったアンフィポル(Amphipolle)が、[[詩百篇第9巻91番]]のみに登場している。
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