パンピュリア

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 &bold(){パンピュリア}(Pamphylia)は小アジア南部、西を[[リュキア]]、東をキリキア、北をピシディアに囲まれた沿岸部を指す古い地名。ピシディアやリュキアは時代によっては、パンピュリアの一部とされたこともある。パンピュリア人は紀元前1世紀には海賊行為で周囲を荒らしたが、ローマに屈し、その属領となった((以上は『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』、『新聖書辞典』いのちのことば社による。))。  パンピュリア地方のアンタルヤ(古称アッタリア)は、現代トルコ南岸では最大の港町となっている((田川建三『新約聖書 訳と註・第二巻下』p.379による。))。  『[[新約聖書]]』ではパウロの第1回伝道旅行の宣教の地として、パンピュリアのアッタリアとペルゲに言及されている(『使徒言行録』13章13節、14章24・25節)。また、ペルゲはヨハネ・マルコ(『マルコによる福音書』の著者とされる人物)がパウロと別れて帰途に着いた場所としても言及されている((『新聖書辞典』いのちのことば社、『新共同訳 聖書辞典』キリスト新聞社))(『使徒言行録』13章13節。田川建三はこの別れについて、他の記述と関連付けつつ、パウロとヨハネ・マルコの見解の対立が原因だったと推測している((田川、前掲書、pp.344-345)))。新共同訳・フランシスコ会訳・岩波委員会訳では「&bold(){パンフィリア}」、口語訳・新改訳・塚本虎二訳では「&bold(){パンフリヤ}」、田川訳では「&bold(){パンフュリア}」となっている。 #amazon(486182138X) 【画像】田川建三 『新約聖書 訳と註・第二巻下 - 使徒行伝』 *ノストラダムス関連  ノストラダムスの『予言集』での登場箇所は[[百詩篇第3巻60番]]のみで、[[ミュシア]]、[[リュキア]]とひとまとめになっている。  [[暦書]]の方では、リュデア、[[リュキア]]とともに登場している箇所がある([[百詩篇第3巻60番]]の解説参照)。 ---- #comment
 &bold(){パンピュリア}(Pamphylia)は小アジア南部、西を[[リュキア]]、東をキリキア、北をピシディアに囲まれた沿岸部を指す古い地名。ピシディアやリュキアは時代によっては、パンピュリアの一部とされたこともある。パンピュリア人は紀元前1世紀には海賊行為で周囲を荒らしたが、ローマに屈し、その属領となった((以上は『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』、『新聖書辞典』いのちのことば社による。))。  パンピュリア地方のアンタルヤ(古称アッタリア)は、現代トルコ南岸では最大の港町となっている((田川建三『新約聖書 訳と註・第二巻下』p.379による。))。  『[[新約聖書]]』ではパウロの第1回伝道旅行の宣教の地として、パンピュリアのアッタリアとペルゲに言及されている(『使徒言行録』13章13節、14章24・25節)。また、ペルゲはヨハネ・マルコ(『マルコによる福音書』の著者とされる人物)がパウロと別れて帰途に着いた場所としても言及されている((『新聖書辞典』いのちのことば社、『新共同訳 聖書辞典』キリスト新聞社))(『使徒言行録』13章13節。田川建三はこの別れについて、他の記述と関連付けつつ、パウロとヨハネ・マルコの見解の対立が原因だったと推測している((田川、前掲書、pp.344-345)))。新共同訳・フランシスコ会訳・岩波委員会訳では「&bold(){パンフィリア}」、口語訳・新改訳・塚本虎二訳では「&bold(){パンフリヤ}」、田川訳では「&bold(){パンフュリア}」となっている。 #amazon(486182138X) 【画像】田川建三 『新約聖書 訳と註・第二巻下 - 使徒行伝』 *ノストラダムス関連  ノストラダムスの『予言集』での登場箇所は[[詩百篇第3巻60番>百詩篇第3巻60番]]のみで、[[ミュシア]]、[[リュキア]]とひとまとめになっている。  [[暦書]]の方では、リュデア、[[リュキア]]とともに登場している箇所がある([[詩百篇第3巻60番>百詩篇第3巻60番]]の解説参照)。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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