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&bold(){災厄の三要素}とは、戦争、飢饉、疫病のことである。これら3つは古来、災厄の代表として、また[[聖書]]においては神罰として描かれ、ノストラダムス予言でも主要なモチーフ群に含まれている。「災厄の三要素」という表現は必ずしも定型的な用語とはいえないかもしれないが、ここでは[[高田勇]]・[[伊藤進]]の表現に倣う。
*聖書での例
**旧約聖書
旧約聖書では、以下のような登場例がある((登場例の選定は高田・伊藤 [1999] p.81および佐竹『ヨハネの黙示録・中』新教出版社による。))(訳文はフランシスコ会聖書研究所訳)。
-サムエル記・下
--ガドはダビデの所に来て、告げて言った、「あなたの地が七年の間飢饉に襲われるのがよいか。あなたが敵に追われ、三か月の間逃げまどうのがよいか。あなたの地に三日の間疫病が流行するのがよいか。今よく考えて、私を遣わされた方に何とお答えすればよいか、決めてください」。(14章13節)((フランシスコ会聖書研究所『聖書 原文校訂による口語訳』サンパウロ、2013年、p.702(旧)))
-歴代誌・上
--ガドはダビデのもとに来て言った、「主はこう告げられる、『次の中から選び取れ。三年間の飢饉か。三か月間敵の剣がお前を追いかけ、お前が敵に踏みにじられることか。三日間主の剣、地上の疫病がこの地を見舞い、主の使いがイスラエル全土を滅ぼすことか』。わたしは遣わされた方に何とお答えすればよいか、今、決めてください」。(21章11・12節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.871(旧)))
-エレミヤ書
--万軍の主はこう仰せになる。見よ、わたしは剣、飢え、疫病を彼らに送り、彼らを悪くて食べられないほどに腐ったいちじくのようにする。(29章17節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、2013年、p.2092(旧)))
---なお、エレミヤ書では「剣、飢え、疫病」の組み合わせは、上記以外に12箇所で登場する((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.2059(旧)欄外))。具体的には14章12節、21章9節、24章10節、27章8節、同13節、29節18節、32章24節、同36節、38章2節、42章17節、同22節、44章13節。
-エゼキエル書
--外には剣、内には疫病、そして飢饉。野にいる者は剣に倒れ、市中の者は飢饉、疫病に呑み尽くされる。(7章15節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.2210(旧)))
---エゼキエル書ではこのほか6章11節、12章16節にも登場している。
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【画像】 フランシスコ会聖書研究所 『聖書 原文校訂による口語訳』
**新約聖書
[[新約聖書]]では、『[[ヨハネの黙示録]]』に登場する四頭の馬とその乗り手(いわゆる「黙示録の四騎士」)が、そうしたモチーフの投影であるといわれる。(以下の訳文は佐竹明訳)((佐竹『ヨハネの黙示録・中巻』新教出版社、pp.14-15))
-小羊が七つの封印の一つを開いたとき、わたしは見た。そして、四頭の生き物の一頭が雷のような声で「出て来い」と言うのを聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、白い馬と、それに座り、弓を持っている者がいた。彼には冠が与えられた。そして彼は勝利しながら、勝利するために出て行った。(6章1・2節)
-彼が第二の封印を開いたとき、わたしは第二の生き物が「出て来い」と言うのを聞いた。すると赤い別の馬が出て来た。そして、それに座っている者に、彼に、人々が互いに屠り合うよう、地から平和をとり去る〔権能〕が与えられた。また彼に大きな刀が与えられた。(6章3・4節)
-彼が第三の封印を開いたとき、わたしは第三の生き物が「出て来い」と言うのを聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、黒い馬と、それに座りその手に秤を持っている者〔がいた〕。そしてわたしは一つの声のようなものが四頭の生き物の真中で、「一コイニクスの小麦は一デナリオン、三コイニクスの大麦は一デナリオン、オリーブ園とぶどう園を傷つけるな」と言うのを聞いた。(6章5・6節)
-彼が第四の封印を開いたとき、わたしは第四の生き物が「出て来い」と言う声を聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、青ざめた馬と、それに座っている者〔がいた〕。彼は死というと名前であり、黄泉が彼の後に従っていた。そして彼らには、剣によって、飢えによって、疫病によって、地の獣によって〔人々を〕殺すために、地の四分の一に対する支配権が与えられた。(6章7・8節)
フランシスコ会訳聖書、岩波委員会訳聖書などは、白い馬が侵略戦争、赤い馬が内戦、黒い馬が飢饉、青ざめた馬が死(と疫病)の隠喩と見なしている((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、pp.699,701(新)、小河陽『ヨハネの黙示録』岩波書店、1996年、pp.38-39))。白い馬の乗り手が持つ弓は、ローマを攻めたパルティアの主武器であったという点が傍証とされることがある((ボーリング『ヨハネの黙示録』))。
他方、佐竹明、笠原義久らは、白い馬は忠実な信徒の勝利を暗示し、残る3頭が神に敵対する者たちを襲う災厄の三要素を構成すると見ている((佐竹、前掲書、pp.285-293。笠原「ヨハネの黙示録」『新共同訳新約聖書略解』所収、p.741。))。なお、青ざめた馬の説明で2回登場するタナトスは「死」と「疫病」の両方を意味するとされ、上の佐竹訳では訳し分けられている(聖書協会共同訳などでは「死」で統一されている)。これについて田川健三は、タナトスには「死」の意味しかないとし、ここで死因に「死」が挙げられているのは、戦争や飢餓以外の、(病死、衰弱死なども含む)様々な要因の死を意味するのだろうとした((田川健三『新約聖書 訳と註7』作品社、p.266-271))。
佐竹らの論拠は、弓をパルティアと結び付けるには関連性が弱いということ、白い馬は19章ではキリストの勝利と結び付けられていることなどである(M.E.ボーリングは逆に、その白い馬との対比で、6章に出る射手はキリストのパロディとして機能していると主張する)。
田川健三の場合、ヨハネの黙示録は原著者の文書を改変した編集者がいるという立場で、もともとの著者は四騎士すべてをローマ帝国批判の文脈においていたのに対し、後から改変した編集者が「白い馬」だけポジティブな意味合いに変えたと見なしている((田川、前掲書、pp.228-234))。
いずれにしても、四騎士のモチーフの中に戦争、飢饉、疫病の三要素が(疫病が直接的に登場しているかどうかに議論があるにしても)登場していることは変わらない。
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【画像】 佐竹明 『ヨハネの黙示録』中巻
*ノストラダムス関連
ノストラダムスが生きていた16世紀においても、戦争、飢饉、疫病は三大災厄として知られており、同時代の大詩人、ピエール・ド・ロンサールやテオドール・アグリッパ・ドービニェらの詩にもこれらはひとまとまりに登場した((高田・伊藤 [1999] p.81))。
ゆえに、ノストラダムスの予言で同じ傾向が見られたとしても何の不自然もない。いくつかを例示しておけば、以下のとおりである(詩文の改行は無視した)。
-[[セザールへの手紙]]51節
--わが息子よ、今このときに理解しに来たれ。啓示された霊感に一致する我が転回によって見出した物事、つまりは死の剣が我々に今このときに迫ってくることを。それは、悪疫や、(過去)3世代にあったものよりも酷い戦争や、飢饉の形をとるのである。この剣が地上に振り下ろされるだろうし、しばしば戻り来るだろう。
-[[アンリ2世への手紙]]114節から115節(抜粋)
--別の海戦では海が赤く染まり、ある王は別の王に「海戦は海を赤く染めた」と報告するでしょう。その同じ年と続く数年のうちに、最も酷い悪疫、先行する飢饉による最も驚異的なこと、そしてキリスト教会の最初の創設以来それほどまでのものはかつてなかった非常に大きな苦難が、ラティウム地方の全域に続けざまに起こるでしょう。
-[[詩百篇第1巻16番]]
--悪疫、飢餓、軍の手による死。
-[[詩百篇第2巻6番>百詩篇第2巻6番]]
--内部で飢餓と悪疫があり、剣によって外に出された人々は、不死にして偉大なる神に救いを求めて叫ぶだろう。
-[[詩百篇第2巻19番>百詩篇第2巻19番]]
--飢餓、悪疫、戦争。
-[[詩百篇第3巻19番>百詩篇第3巻19番]]
--(その雨は)大規模な悪疫と戦争、飢えと渇きを目撃させるだろう、彼らの君主でもある偉大な指導者が死ぬであろう遠い場所で。
-[[詩百篇第7巻6番>百詩篇第7巻6番]]
--[[コルシカ>コルシカ島]]、[[サレルノ]]と[[サルデーニャの島>サルデーニャ島]]では、飢餓、悪疫、戦争が。
-[[詩百篇第8巻17番>百詩篇第8巻17番]]
--飢餓、火、血、悪疫、そしてあらゆる災厄の倍加。
-[[予兆詩第1番]]
--…予告する、騒乱を、飢餓を、悪疫を、荒廃させる戦争を…
-[[予兆詩第99番]]
--死、全てを瀉血すること、悪疫、飢餓、争い。
-[[予兆詩第121番]]
--悪疫、鉄器、飢餓、大災禍が渾然となる。
-[[予兆詩第122番]]
--多くの死、悪疫、鉄器、飢餓は憎しみによるものである。
最後の2つの例は「鉄器」(fer, 剣)が戦争の隠喩となっている。もちろん、三要素のいずれか1つないし2つを主題とする四行詩など、あまりにも多すぎて列挙しきれないほどである。
なお、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]も、ノストラダムス予言の解釈の際に、「3つの主要な災厄、(すなわち)悪疫、戦争、飢饉」(trois principaux fleaux, peste, guerre & famine.)((Chavigny [1594] p.134))と表現している。
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#comment
&bold(){災厄の三要素}とは、戦争、飢饉、疫病のことである。これら3つは古来、災厄の代表として、また[[聖書]]においては神罰として描かれ、ノストラダムス予言でも主要なモチーフ群に含まれている。「災厄の三要素」という表現は必ずしも定型的な用語とはいえないかもしれないが、ここでは[[高田勇]]・[[伊藤進]]の表現に倣う。
*聖書での例
**旧約聖書
旧約聖書では、以下のような登場例がある((登場例の選定は高田・伊藤 [1999] p.81および佐竹『ヨハネの黙示録・中』新教出版社による。))(訳文はフランシスコ会聖書研究所訳)。
-サムエル記・下
--ガドはダビデの所に来て、告げて言った、「あなたの地が七年の間飢饉に襲われるのがよいか。あなたが敵に追われ、三か月の間逃げまどうのがよいか。あなたの地に三日の間疫病が流行するのがよいか。今よく考えて、私を遣わされた方に何とお答えすればよいか、決めてください」。(14章13節)((フランシスコ会聖書研究所『聖書 原文校訂による口語訳』サンパウロ、2013年、p.702(旧)))
-歴代誌・上
--ガドはダビデのもとに来て言った、「主はこう告げられる、『次の中から選び取れ。三年間の飢饉か。三か月間敵の剣がお前を追いかけ、お前が敵に踏みにじられることか。三日間主の剣、地上の疫病がこの地を見舞い、主の使いがイスラエル全土を滅ぼすことか』。わたしは遣わされた方に何とお答えすればよいか、今、決めてください」。(21章11・12節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.871(旧)))
-エレミヤ書
--万軍の主はこう仰せになる。見よ、わたしは剣、飢え、疫病を彼らに送り、彼らを悪くて食べられないほどに腐ったいちじくのようにする。(29章17節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、2013年、p.2092(旧)))
---なお、エレミヤ書では「剣、飢え、疫病」の組み合わせは、上記以外に12箇所で登場する((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.2059(旧)欄外))。具体的には14章12節、21章9節、24章10節、27章8節、同13節、29節18節、32章24節、同36節、38章2節、42章17節、同22節、44章13節。
-エゼキエル書
--外には剣、内には疫病、そして飢饉。野にいる者は剣に倒れ、市中の者は飢饉、疫病に呑み尽くされる。(7章15節)((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、p.2210(旧)))
---エゼキエル書ではこのほか6章11節、12章16節にも登場している。
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【画像】 フランシスコ会聖書研究所 『聖書 原文校訂による口語訳』
**新約聖書
[[新約聖書]]では、『[[ヨハネの黙示録]]』に登場する四頭の馬とその乗り手(いわゆる「黙示録の四騎士」)が、そうしたモチーフの投影であるといわれる。(以下の訳文は佐竹明訳)((佐竹『ヨハネの黙示録・中巻』新教出版社、pp.14-15))
-小羊が七つの封印の一つを開いたとき、わたしは見た。そして、四頭の生き物の一頭が雷のような声で「出て来い」と言うのを聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、白い馬と、それに座り、弓を持っている者がいた。彼には冠が与えられた。そして彼は勝利しながら、勝利するために出て行った。(6章1・2節)
-彼が第二の封印を開いたとき、わたしは第二の生き物が「出て来い」と言うのを聞いた。すると赤い別の馬が出て来た。そして、それに座っている者に、彼に、人々が互いに屠り合うよう、地から平和をとり去る〔権能〕が与えられた。また彼に大きな刀が与えられた。(6章3・4節)
-彼が第三の封印を開いたとき、わたしは第三の生き物が「出て来い」と言うのを聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、黒い馬と、それに座りその手に秤を持っている者〔がいた〕。そしてわたしは一つの声のようなものが四頭の生き物の真中で、「一コイニクスの小麦は一デナリオン、三コイニクスの大麦は一デナリオン、オリーブ園とぶどう園を傷つけるな」と言うのを聞いた。(6章5・6節)
-彼が第四の封印を開いたとき、わたしは第四の生き物が「出て来い」と言う声を聞いた。そしてわたしは見た。すると見よ、青ざめた馬と、それに座っている者〔がいた〕。彼は死というと名前であり、黄泉が彼の後に従っていた。そして彼らには、剣によって、飢えによって、疫病によって、地の獣によって〔人々を〕殺すために、地の四分の一に対する支配権が与えられた。(6章7・8節)
フランシスコ会訳聖書、岩波委員会訳聖書などは、白い馬が侵略戦争、赤い馬が内戦、黒い馬が飢饉、青ざめた馬が死(と疫病)の隠喩と見なしている((フランシスコ会聖書研究所、前掲書、pp.699,701(新)、小河陽『ヨハネの黙示録』岩波書店、1996年、pp.38-39))。白い馬の乗り手が持つ弓は、ローマを攻めたパルティアの主武器であったという点が傍証とされることがある((ボーリング『ヨハネの黙示録』))。
他方、佐竹明、笠原義久らは、白い馬は忠実な信徒の勝利を暗示し、残る3頭が神に敵対する者たちを襲う災厄の三要素を構成すると見ている((佐竹、前掲書、pp.285-293。笠原「ヨハネの黙示録」『新共同訳新約聖書略解』所収、p.741。))。なお、青ざめた馬の説明で2回登場するタナトスは「死」と「疫病」の両方を意味するとされ、上の佐竹訳では訳し分けられている(聖書協会共同訳などでは「死」で統一されている)。これについて田川健三は、タナトスには「死」の意味しかないとし、ここで死因に「死」が挙げられているのは、戦争や飢餓以外の、(病死、衰弱死なども含む)様々な要因の死を意味するのだろうとした((田川健三『新約聖書 訳と註7』作品社、p.266-271))。
佐竹らの論拠は、弓をパルティアと結び付けるには関連性が弱いということ、白い馬は19章ではキリストの勝利と結び付けられていることなどである(M.E.ボーリングは逆に、その白い馬との対比で、6章に出る射手はキリストのパロディとして機能していると主張する)。
田川健三の場合、ヨハネの黙示録は原著者の文書を改変した編集者がいるという立場で、もともとの著者は四騎士すべてをローマ帝国批判の文脈においていたのに対し、後から改変した編集者が「白い馬」だけポジティブな意味合いに変えたと見なしている((田川、前掲書、pp.228-234))。
いずれにしても、四騎士のモチーフの中に戦争、飢饉、疫病の三要素が(疫病が直接的に登場しているかどうかに議論があるにしても)登場していることは変わらない。
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【画像】 佐竹明 『ヨハネの黙示録』中巻
*ノストラダムス関連
ノストラダムスが生きていた16世紀においても、戦争、飢饉、疫病は三大災厄として知られており、同時代の大詩人、ピエール・ド・ロンサールやテオドール・アグリッパ・ドービニェらの詩にもこれらはひとまとまりに登場した((高田・伊藤 [1999] p.81))。
ゆえに、ノストラダムスの予言で同じ傾向が見られたとしても何の不自然もない。いくつかを例示しておけば、以下のとおりである(詩文の改行は無視した)。
-[[セザールへの手紙]]51節
--わが息子よ、今このときに理解しに来たれ。啓示された霊感に一致する我が転回によって見出した物事、つまりは死の剣が我々に今このときに迫ってくることを。それは、悪疫や、(過去)3世代にあったものよりも酷い戦争や、飢饉の形をとるのである。この剣が地上に振り下ろされるだろうし、しばしば戻り来るだろう。
-[[アンリ2世への手紙]]114節から115節(抜粋)
--別の海戦では海が赤く染まり、ある王は別の王に「海戦は海を赤く染めた」と報告するでしょう。その同じ年と続く数年のうちに、最も酷い悪疫、先行する飢饉による最も驚異的なこと、そしてキリスト教会の最初の創設以来それほどまでのものはかつてなかった非常に大きな苦難が、ラティウム地方の全域に続けざまに起こるでしょう。
-[[詩百篇第1巻16番]]
--悪疫、飢餓、軍の手による死。
-[[詩百篇第2巻6番>百詩篇第2巻6番]]
--内部で飢餓と悪疫があり、剣によって外に出された人々は、不死にして偉大なる神に救いを求めて叫ぶだろう。
-[[詩百篇第2巻19番>百詩篇第2巻19番]]
--飢餓、悪疫、戦争。
-[[詩百篇第3巻19番>百詩篇第3巻19番]]
--(その雨は)大規模な悪疫と戦争、飢えと渇きを目撃させるだろう、彼らの君主でもある偉大な指導者が死ぬであろう遠い場所で。
-[[詩百篇第7巻6番>百詩篇第7巻6番]]
--[[コルシカ>コルシカ島]]、[[サレルノ]]と[[サルデーニャの島>サルデーニャ島]]では、飢餓、悪疫、戦争が。
-[[詩百篇第8巻17番>百詩篇第8巻17番]]
--飢餓、火、血、悪疫、そしてあらゆる災厄の倍加。
-[[予兆詩第1番]]
--…予告する、騒乱を、飢餓を、悪疫を、荒廃させる戦争を…
-[[予兆詩第99番]]
--死、全てを瀉血すること、悪疫、飢餓、争い。
-[[予兆詩第121番]]
--悪疫、鉄器、飢餓、大災禍が渾然となる。
-[[予兆詩第122番]]
--多くの死、悪疫、鉄器、飢餓は憎しみによるものである。
最後の2つの例は「鉄器」(fer, 剣)が戦争の隠喩となっている。もちろん、三要素のいずれか1つないし2つを主題とする四行詩など、あまりにも多すぎて列挙しきれないほどである。
なお、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]も、ノストラダムス予言の解釈の際に、「3つの主要な災厄、(すなわち)悪疫、戦争、飢饉」(trois principaux fleaux, peste, guerre & famine.)((Chavigny [1594] p.134))と表現している。
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