ハルマゲドン

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 &bold(){ハルマゲドン}(Ἁρμαγεδών)とは、[[新約聖書]]の『[[ヨハネの黙示録]]』16章16節に登場する語。フランス語訳聖書では Harmaguédon (スゴン訳)、Harmagedôn (エルサレム聖書)、Harmagedon (laTOB)などと綴られている。オックスフォード英仏辞典では、英語と同じ Armageddon という綴りで載っている。  世界最終戦争を意味する語として特に通俗的な終末論で引き合いに出され、ノストラダムス関連書籍でも頻出するが、実際にはノストラダムス予言での直接的言及は一度もない。 #amazon(B0048HKXV2) 【画像】『ハルマゲドン』(DVD、2011年) *黙示録での登場箇所  黙示録では以下の箇所で登場する(佐竹明・訳)。 -&sub(){12} また第六の者が彼の鉢を大ユーフラテス川に注いだ。するとその水は、日の出る方からの王たちの道が用意されるために乾かされた。 &sub(){13} またわたしは龍の口から、獣の口から、偽預言者の口から、蛙のような三つの不浄の霊が〔出てくるのを〕見た。 &sub(){14} それらは奇跡を行なう悪霊の霊であって、全世界の王たちのところへ、彼らを全能の神の大いなる日の戦いのために召集するために出て行く。 &sub(){15} 見よ、わたしは泥棒のように来る。目を覚ましており、かつ、裸で歩きまわって人々がその裸の恥部を見ることがないよう、その衣を保持している者は幸いである。 &sub(){16}そしてそれはかれらをヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に召集した。16:12-16((佐竹、2009年、p.12))。 #amazon(4400111660) 【画像】 佐竹明『ヨハネの黙示録〈下巻〉12‐22章 (現代新約注解全書)』 **解釈  16章12節から16節のうち、15節は挿入句である。ギリシア語定本として評価の高いネストレ=アーラント第28版では特に区切る印はないが、新共同訳、岩波委員会訳、フランシスコ会訳ではダッシュで区切られており、口語訳聖書ではカッコに入れられていた。評価の高い英語訳のNRSVやREBおよび仏語訳のエルサレム聖書でもカッコに入れられている。La TOB は一段下げて、ほかと違うことが一目で分かるようにしている。  その日が「泥棒」(盗人)のように来る、それゆえに目を覚ましていろという警告は、新約聖書の他の箇所でも何度も出ている。しかし、衣の保持を強く呼びかける例は他にない。佐竹は、ここで「保持する」の意味で使われている語は黙示録の他の登場例のほとんどで信仰の保持の意味で使われていることから、その隠喩を織り込んだ「幸い」言葉(信徒への祝福)と見なしている((佐竹、2009年、pp.212-213))。  12節で言及されている、ユーフラテス川が干上がって道が準備される東方の王が、ローマ帝国の敵パルティア王国をモチーフとしていることは、ほぼ異論がない。ユーフラテス川は、かつてローマ帝国の東の国境線を形成していたからである((佐竹、2009年、p.207))。ローゼ、ボーリング、佐竹のようなリベラル派の見解はもとより、モリスのような福音主義者もそれを認めている(もちろん、その事実をどのように解釈するかは論者によって様々である)。  さて、13節以降を一読すれば明らかなように、ハルマゲドンは「三つの不浄の霊」が「全世界の王たち」を「全能の神の大いなる日の戦いのために召集する」場所として言及されている。  この描写が12節と直結しているのか、別個の描写なのかには議論がある。ローゼ、ボーリングなどは一体として理解しているが、佐竹は12節と13 - 16節は別個で、13節以降は、のちの17章(16章17節ではない、念のため)の準備として用意されたものであるとしている((佐竹、2009年、pp.207-209))。  いずれにせよ、ハルマゲドンには、「三つの不浄の霊」に導かれた軍隊が召集されるという。その「三つの不浄の霊」を生み出す「龍」「獣」「偽預言者」は、13章と対応し、「偽預言者」は[[666]]でも有名な第二の獣と同一の存在と考えられる((佐竹、2009年、p.209))。また、それが「蛙」のようであるとは、出エジプト記7章25節から8章11節の蛙の災いが念頭に置かれているとか((小河、p.97))、黙示文学に影響を及ぼした古代ペルシアの神話で蛙が邪神の使いとされていたから((ローゼ、p.178))などと説明される。佐竹は、単に12節のユーフラテス川と13節以下の記述を結びつける役割が負わされているにすぎないとする((佐竹、p.209))。  そして「ハルマゲドン」はヘブライ語であると注記されている。ハルが「山」の音写である点に異論はない。「マゲドン」には諸説あるが、有力なのはメギドの音写という説であり、七十人訳聖書では実際にメギドをマゲドン(Μαγεδων)と音写している事例がある((佐竹、p.214))。ここで問題となるのは、実際のメギドが山ではないということである。メギドのあるテル(遺丘)は、テル・ハツォール、テル・ベエルシェバとともに世界遺産になっているが、テルは日干しレンガの都市が瓦解・堆積して形成されていくものであり、著者ヨハネの時代にはその高さはまだ70フィート(21メートル)程度だったと推測されている((佐竹、p.215))。  メギドは旧約聖書でも何度か言及されている有名な古戦場であり、その名が戦い(またはその準備)の場所として言及されること自体に不思議はない。問題は、なぜそれが「山」と呼ばれているかである。  これについては、メギドから仰ぐことの出来るカルメル山のことであるとする説、若干の発音の調整を行なって「集会の山」と読む説、「彼の実りの豊かな山」と読んでエルサレムと理解する説などがある((小河、pp.5-6。佐竹、pp.215-216。))。  ただし、佐竹や小河は、著者ヨハネの典拠の一つであったエゼキエル書でゴグがイスラエルの山々を襲い、そこで倒れるとされていること(第38章、第39章)との関連を指摘する。そして佐竹は、ハルマゲドンが古戦場であったメギドとエゼキエル書の言及とから作り出した合成地名であると共に、それがヘブライ語であると示されることで、ギリシア語話者であった読者に読み解かれることを期待しない神秘的地名として提示されていると見なしている((佐竹、pp.214, 216-217))。「集会の山」とする説を採るボーリングも、この地名は象徴的なものであって、著者ヨハネにとって場所よりも戦いとその結果が重視されているものと見ている((ボーリング、pp.268-270))。 *ノストラダムス関連  通俗的なノストラダムス本ではハルマゲドンとノストラダムスは当たり前のように結び付けられてきた。たとえば、[[五島勉]]『[[ノストラダムスの大予言II]]』(1979年)では、世界最終戦争が起こる場所として言及されており、それを含む聖書予言はノストラダムスに連なる体系であったと位置づけられている((五島『大予言II』pp.157-160))(なお五島は、オウム真理教事件の後、『神々の陰謀』『アジア黙示録』などの著書では、自分の過去の主張には触れずに、ハルマゲドンを世界最終戦争と結びつける見解を批判する方向から長々と論じることになる)。  しかし、ノストラダムス予言にはハルマゲドンへの直接的言及はない。『[[アンリ2世への手紙]]』になら、サタンとの戦いへの言及はあるし、「ゴグとマゴグ」を思わせる「ドグとドガム(ドガン)」も登場する(68節)。 -我慢している平民が立ちあがり、立法者たちの支持者たちを追い出すでしょう。そして、諸王国が東方の人々に弱らされると、(その時代の人々からは)造物主である神が、大きなドグとドガムを産み出させるために、地獄の牢からサタンを解放したのではないかと思われることでしょう。それら(すなわちドグとドガム)が余りにも酷い憎むべき破壊を教会に加えるので、赤い者たちも白い者たちも双眼と両腕を喪失してしまい、もはや判断ができなくなるでしょう。そして、(赤や白の)彼らから力が剥ぎ取られるのです。  侵略者らしい「東方の人々」がかろうじて黙示録16章12節を暗示していると解釈できないこともないが、しかし、モチーフの強い類似性は読み取れない。  「ゴグとマゴグ」やサタン、偽預言者などが中世の予言的伝統でも頻出するモチーフであったのに対して、ハルマゲドンはそうではなかった。ノストラダムスにとっての黙示録の直接的影響がどの程度であったかは不鮮明であり、その状況で安易に黙示録のモチーフとノストラダムス予言を直結させることには慎重であるべきだろう。 *黙示録に関する参考文献 -小河陽 『ヨハネの黙示録』 岩波書店、1996年 -佐竹明 『ヨハネの黙示録・下巻』 (新版) 新教出版社、2009年 -M. E. ボーリング 『ヨハネの黙示録 (現代聖書注解)』 日本基督教団出版局、1994年 -エドアルト・ローゼ 『NTD新約聖書註解11 ヨハネの黙示録』 ATD・NTD聖書註解刊行会、1973年 #amazon(4818401684) 【画像】 M.E. ボーリング 『ヨハネの黙示録 (現代聖書注解)』 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
 &bold(){ハルマゲドン}(Ἁρμαγεδών)とは、[[新約聖書]]の『[[ヨハネの黙示録]]』16章16節に登場する語。&bold(){アルマゲドン}とも表記される。  フランス語訳聖書では Harmaguédon (スゴン訳)、Harmagedôn (エルサレム聖書)、Harmagedon (laTOB)などと綴られている。  オックスフォード英仏辞典では、英語と同じ Armageddon という綴りで載っている。  世界最終戦争を意味する語として特に通俗的な終末論で引き合いに出され、ノストラダムス関連書籍でも頻出するが、実際にはノストラダムス予言での直接的言及は一度もない。 #amazon(B0048HKXV2) 【画像】『ハルマゲドン』(DVD、2011年) *黙示録での登場箇所  黙示録では以下の箇所で登場する(佐竹明・訳)。 -&sub(){12} また第六の者が彼の鉢を大ユーフラテス川に注いだ。するとその水は、日の出る方からの王たちの道が用意されるために乾かされた。 &sub(){13} またわたしは龍の口から、獣の口から、偽預言者の口から、蛙のような三つの不浄の霊が〔出てくるのを〕見た。 &sub(){14} それらは奇跡を行なう悪霊の霊であって、全世界の王たちのところへ、彼らを全能の神の大いなる日の戦いのために召集するために出て行く。 &sub(){15} 見よ、わたしは泥棒のように来る。目を覚ましており、かつ、裸で歩きまわって人々がその裸の恥部を見ることがないよう、その衣を保持している者は幸いである。 &sub(){16}そしてそれはかれらをヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に召集した。16:12-16((佐竹、2009年、p.12))。 #amazon(4400111660) 【画像】 佐竹明『ヨハネの黙示録〈下巻〉12‐22章 (現代新約注解全書)』 **解釈  16章12節から16節のうち、15節は挿入句である。ギリシア語定本として評価の高いネストレ=アーラント第28版では特に区切る印はないが、新共同訳、岩波委員会訳、フランシスコ会訳ではダッシュで区切られており、口語訳聖書ではカッコに入れられていた。  評価の高い英語訳のNRSVやREBおよび仏語訳のエルサレム聖書でもカッコに入れられている。  La TOB は一段下げて、ほかと違うことが一目で分かるようにしている。  その日が「泥棒」(盗人)のように来る、それゆえに目を覚ましていろという警告は、新約聖書の他の箇所でも何度も出ている。  しかし、衣の保持を強く呼びかける例は他にない。  佐竹は、ここで「保持する」の意味で使われている語は黙示録の他の登場例のほとんどで信仰の保持の意味で使われていることから、その隠喩を織り込んだ「幸い」言葉(信徒への祝福)と見なしている((佐竹、2009年、pp.212-213))。  12節で言及されている、ユーフラテス川が干上がって道が準備される東方の王が、ローマ帝国の敵パルティア王国をモチーフとしていることは、ほぼ異論がない。ユーフラテス川は、かつてローマ帝国の東の国境線を形成していたからである((佐竹、2009年、p.207))。  ローゼ、ボーリング、佐竹のようなリベラル派の見解はもとより、モリスのような福音主義者もそれを認めている(もちろん、その事実をどのように解釈するかは論者によって様々である)。  さて、13節以降を一読すれば明らかなように、ハルマゲドンは「三つの不浄の霊」が「全世界の王たち」を「全能の神の大いなる日の戦いのために召集する」場所として言及されている。  この描写が12節と直結しているのか、別個の描写なのかには議論がある。  ローゼ、ボーリングなどは一体として理解しているが、佐竹は12節と13 - 16節は別個で、13節以降は、のちの17章(16章17節ではない、念のため)の準備として用意されたものであるとしている((佐竹、2009年、pp.207-209))。  いずれにせよ、ハルマゲドンには、「三つの不浄の霊」に導かれた軍隊が召集されるという。  その「三つの不浄の霊」を生み出す「龍」「獣」「偽預言者」は、13章と対応し、「偽預言者」は[[666]]でも有名な第二の獣と同一の存在と考えられる((佐竹、2009年、p.209))。  また、それが「蛙」のようであるとは、出エジプト記7章25節から8章11節の蛙の災いが念頭に置かれているとか((小河、p.97))、黙示文学に影響を及ぼした古代ペルシアの神話で蛙が邪神の使いとされていたから((ローゼ、p.178))などと説明される。  佐竹は、単に12節のユーフラテス川と13節以下の記述を結びつける役割が負わされているにすぎないとする((佐竹、p.209))。  そして「ハルマゲドン」はヘブライ語であると注記されている。  ハルが「山」の音写である点に異論はない。「マゲドン」には諸説あるが、有力なのはメギドの音写という説であり、七十人訳聖書では実際にメギドをマゲドン(Μαγεδων)と音写している事例がある((佐竹、p.214))。  ここで問題となるのは、実際のメギドが山ではないということである。メギドのあるテル(遺丘)は、テル・ハツォール、テル・ベエルシェバとともに世界遺産になっているが、テルは日干しレンガの都市が瓦解・堆積して少しずつ形成されていくものであり、著者ヨハネの時代にはその高さはまだ70フィート(21メートル)程度だったと推測されている((佐竹、p.215))。  メギドは旧約聖書でも何度か言及されている有名な古戦場であり、その名が戦い(またはその準備)の場所として言及されること自体に不思議はない。問題は、なぜそれが「山」と呼ばれているかである。  これについては、メギドから仰ぐことの出来るカルメル山のことであるとする説、若干の発音の調整を行なって「集会の山」と読む説、「彼の実りの豊かな山」と読んでエルサレムと理解する説などがある((小河、pp.5-6。佐竹、pp.215-216。))。  ただし、佐竹や小河は、著者ヨハネの典拠の一つであったエゼキエル書でゴグがイスラエルの山々を襲い、そこで倒れるとされていること(第38章、第39章)との関連を指摘する。  そして佐竹は、ハルマゲドンが古戦場であったメギドとエゼキエル書の言及とから作り出した合成地名であると共に、それがヘブライ語であると示されることで、ギリシア語話者であった読者に読み解かれることを期待しない神秘的地名として提示されていると見なしている((佐竹、pp.214, 216-217))。  「集会の山」とする説を採るボーリングも、この地名は象徴的なものであって、著者ヨハネにとって場所よりも戦いとその結果が重視されているものと見ている((ボーリング、pp.268-270))。 *ノストラダムス関連  通俗的なノストラダムス本ではハルマゲドンとノストラダムスは当たり前のように結び付けられてきた。  たとえば、[[五島勉]]『[[ノストラダムスの大予言II]]』(1979年)では、世界最終戦争が起こる場所として言及されており、それを含む聖書予言はノストラダムスに連なる体系であったと位置づけられている((五島『大予言II』pp.157-160))(なお五島は、オウム真理教事件の後、『神々の陰謀』『アジア黙示録』などの著書では、自分の過去の主張には触れずに、ハルマゲドンを世界最終戦争と結びつける見解を批判する方向から長々と論じることになる)。  しかし、&color(red){ノストラダムス予言にはハルマゲドンへの直接的言及はない}。  『[[アンリ2世への手紙]]』になら、サタンとの戦いへの言及はあるし、「ゴグとマゴグ」を思わせる「ドグとドガム(ドガン)」も登場する(68節)。 -我慢している平民が立ちあがり、立法者たちの支持者たちを追い出すでしょう。そして、諸王国が東方の人々に弱らされると、(その時代の人々からは)造物主である神が、大きなドグとドガムを産み出させるために、地獄の牢からサタンを解放したのではないかと思われることでしょう。それら(すなわちドグとドガム)が余りにも酷い憎むべき破壊を教会に加えるので、赤い者たちも白い者たちも双眼と両腕を喪失してしまい、もはや判断ができなくなるでしょう。そして、(赤や白の)彼らから力が剥ぎ取られるのです。  侵略者らしい「東方の人々」がかろうじて黙示録16章12節を暗示していると解釈できないこともないが、しかし、モチーフの強い類似性は読み取れない。  「ゴグとマゴグ」やサタン、偽預言者などが中世の予言的伝統でも頻出するモチーフであったのに対して、ハルマゲドンはそうではなかった。ノストラダムスにとっての黙示録の直接的影響がどの程度であったかは不鮮明であり、その状況で安易に黙示録のモチーフとノストラダムス予言を直結させることには慎重であるべきだろう。 *黙示録に関する参考文献 -小河陽 『ヨハネの黙示録』 岩波書店、1996年 -佐竹明 『ヨハネの黙示録・下巻』 (新版) 新教出版社、2009年 -M. E. ボーリング 『ヨハネの黙示録 (現代聖書注解)』 日本基督教団出版局、1994年 -エドアルト・ローゼ 『NTD新約聖書註解11 ヨハネの黙示録』 ATD・NTD聖書註解刊行会、1973年 #amazon(4818401684) 【画像】 M.E. ボーリング 『ヨハネの黙示録 (現代聖書注解)』 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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