詩百篇第8巻98番

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[[百詩篇第8巻]]>98番 *原文 Des&sup(){1} gens&sup(){2} d'eglise&sup(){3} sang sera espandu&sup(){4}, Comme de l'eau en si grande&sup(){5} abondance&sup(){6}: Et&sup(){7} d'vn long temps&sup(){8} ne sera restanché&sup(){9} [[Ve ve>ve]]&sup(){10} au clerc&sup(){11} ruyne&sup(){12} & [[doleance]]. **異文 (1) Des : De 1610 1611B 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1716 1840 1981EB (2) gens : Gens 1656ECLb (3) d'eglise 1568A 1568B 1568C : d'Eglise &italic(){T.A.Eds. } (4) espandu 1568A 1568B 1590Ro 1653 1665 : espanché &italic(){T.A.Eds.} (5) grande : grand 1568A 1653 1665 1840 (6) abondance : &u(){abondance ?} 1653 1665, abundance 1672 (7) Et : Que 1594JF (8) long temps : long-temps 1627 1644 1649Xa, lon temps 1630Ma, longtemps 1772Ri (9) restanché 1568 1591BR 1611 1653 1665 1668 1772Ri 1981EB : retranché 1590Ro 1627 1644 1650Ri 1672, rétranché 1630Ma 1656ECLb, r’etanché 1656ECLa, restranché &italic(){T.A.Eds.} (10) Ve(,) ve : Vé, vé 1594JF, Ve vë 1605 1628 1649Ca 1840, Veve 1611A, Veuë 1611B, Vevë 1649Xa 1650Le, Væ, væ 1656ECL 1981EB, Væ væ 1668, Veüe 1672 (11) clerc : Clerc 1594JF 1656ECL 1672 (12) ruyne : ruy 1649Ca (注記1)1656ECLはp.117 と p.170 で登場している。便宜上、前者のみに見られる異文を 1656ECLa、後者のみに見られる異文を 1656ECLb として区別している。 (注記2)1656ECLにおける4行目冒頭は2箇所とも判読が難しい。正しく malheur の意味と注記されていることから一応、Væ, væ と読んだが、誤って Vœ, vœ と書かれている可能性もある。 *校訂  1行目espandu と espanché とで、1568年版の時点で2通りある。しかし、3行目との韻を考えれば、後者を採るほかはないだろう。  4行目 [[ve]] は中期フランス語の綴りや語源と思われるラテン語からすれば、vé または væ の方が適切であろうと思われる。 *日本語訳 教会の人々の血が流されるだろう、 水のようにあまりにも夥しく。 そして長い間(その流れは)止まらないだろう。 災いなるかな、災いなるかな、聖職者には破滅と苦難。 **訳について  3行目 restancher は古語で étancher (流れを止める) の意味((DALF T.07, p.121))。この訳語は[[ジャン=ポール・クレベール]]も採用しており、[[ピーター・ラメジャラー]]も同じ意味で英訳していた。ロマン語からとしてこの語義を最初に指摘したのは[[アナトール・ル・ペルチエ]]であった。  4行目 [[ve]] は聖書での用法をどの程度意識しているのかは不明だが、まったく意図していないとも考えられないので、vae に対する文語訳(大正改訳)聖書の訳語「禍害(わざわい)なるかな」を反映した。現代語訳聖書の多くは「不幸だ」「わざわいだ」などと訳しているが、「~だ」で終わる嘆き方が他の行と今ひとつ語感的に揃わないように感じられたので、やや古めかしい表現ではあるが、文語体を取り入れた。なお、「聖職者に災いあれ」と訳せる可能性もあるが([[ve]]参照)、さすがに文脈にはそぐわないだろう。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「水のように多く」((大乗 [1975] p.254。以下、この詩の引用は同じページから。))は一応正しいが、abondance だけで「多量」の意味があり、そこに si grand (非常に大きな) が付いているのだから、単なる「多く」ではその意味合いが出ないのではなかろうか。当「大事典」の「あまりにも夥しく」が最適だというつもりはないが、少なくとも、何かしら惨劇の規模の大きさが伝わるような形容表現は必要だろうと思われる。  4行目「破滅と悲しみが牧師のうえにある」は不適切。clerc は聖職者一般を指すので、「牧師」に限定しない方がいいだろう。「牧師」はプロテスタントなので、もしもこの場合に牧師と限定できるのなら、ノストラダムスは(少なくとも公刊していた文献では)異端として攻撃していたプロテスタントの集会も、「教会」と認めていることになってしまう。  また、[[Ve ve>ve]]が訳に反映されていない。大乗訳の底本になっている[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]本は、Ve ve を Veue (Vue, 目撃される) としているが、訳に反映されていないことは変わらない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「大量の水のように」((山根 [1988] p.284 。以下、この詩の引用は同じページから。))については大乗訳への指摘と重なるが、「大量」だけでは表現に不足が感じられる。  4行目「悲しいかな 破滅と悲嘆が聖職に」も正しいが、Ve ve と2回重ねている表現を「悲しいかな」と一言でまとめてしまうことに異論がありうる。意味が伝わるかどうかという点だけならば、それで問題ないが、聖書の表現との類似性などが伝わりづらいからである。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)は1568年の項目で扱い、「最初と2番目の騒擾」(おそらく第一次・第二次ユグノー戦争、1562 - 1563年、1567 - 1568年)で、5千人もの聖職者たちが犠牲になったことと解釈した((Chavigny [1594] pp.172, 174))。シャヴィニーに解釈はスリウス(Surius)の記録に基づくものだが、同じ記録はドドゥセのパンフレット(1790年)でも引用されることとなる((D'Odoucet, 1790, p.40))。  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、[[アンリ2世]]やフランソワ2世の治世以降の、異端派による聖職者たちへの攻撃と解釈された((Eclaircissement..., 1656, pp.170-175))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ユグノー戦争における聖職者たちの犠牲か、未来におけるカトリック聖職者たちの受難を描写したものとした((Garencieres [1672]))。  [[シャルル・ニクロー]](1914年)は未来に起こるイタリアでの革命に関する詩としていた((Nicoullaud [1914] p.220))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、近未来の迫害の一場面で[[百詩篇第10巻20番]]と[[第4巻18番>百詩篇第4巻18番]]の間に挿入しているが、わずかな語注を付けているだけで、解釈どころか敷衍的な現代語訳すらつけていない((Fontbrune (1938)[1939] p.221, Fontbrune (1938)[1975] p.235))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)は三十年戦争(1618年 - 1648年)の予言と解釈していたが、[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]たちの改訂版(1982年、1994年)ではソ連の支配が及んでいる国々での聖職者迫害とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)はフランス革命期の聖職者迫害と解釈した((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はフランス革命、ロシア革命双方の聖職者迫害と解釈した((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[パトリス・ギナール]](2011年)はシャヴィニーらのユグノー戦争とする解釈を引き継ぎつつ、詩番号の98は1598年のナントの勅令でユグノー戦争が終結したことと結びつけた((Guinard [2011]))。  [[ヴライク・イオネスク]](1993年)は近未来に起こると想定していた[[イスラーム]]勢力によってローマが蹂躙されることに関係する詩かもしれないとしていた((イオネスク [1993] p.155))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた、[[イスラーム]]勢力侵攻によるキリスト者の受難がモデルになっていると見なした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  この詩は漠然としている。20世紀の共産主義社会を強く非難し、関連する「解読」をいくつも公表していたイオネスクですら、この詩を近未来に関する付随的な詩篇としていたのは興味深い。つまりは、モチーフが分かりやすくとも、ここまで事件を特定する鍵に乏しい詩篇を、フランス革命やロシア革命に結びつけるのは難しいと認識していたということだろう。  実際のところ、ラメジャラーが指摘するように、キリスト者の受難は中世の予言的言説ではごくありふれたものだった。  また、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]らが解釈していたように、当時のユグノー戦争ではカトリック聖職者も多く標的となった。この詩がいつ書かれたのかは判然とせず(本物ならば1557年 - 1566年頃)、ユグノー戦争がどこまで進んでいたのか(そもそも勃発していたのか)を特定することはできないが、16世紀当時の認識としてごく自然な範囲で、この詩のようなモチーフを導けることは事実だろう。 ---- &bold(){コメントらん}
[[詩百篇第8巻]]>98番* *原文 Des&sup(){1} gens&sup(){2} d'eglise&sup(){3} sang sera espandu&sup(){4}, Comme de l'eau en si grande&sup(){5} abondance&sup(){6}: Et&sup(){7} d'vn long temps&sup(){8} ne sera restanché&sup(){9} [[Ve ve>ve]]&sup(){10} au clerc&sup(){11} ruyne&sup(){12} & [[doleance]]. **異文 (1) Des : De 1606PR 1607PR 1610Po 1611B 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1716PR 1840 1981EB (2) gens : Gens 1656ECLb (3) d'eglise 1568X 1568A 1568B : d'Eglise &italic(){T.A.Eds. } (4) espandu 1568X 1568A 1590Ro 1653AB 1665Ba 1720To : espanché &italic(){T.A.Eds.} (5) grande : grand 1568X 1653AB 1665Ba 1720To 1840 (6) abondance : &u(){abondance ?} 1653AB 1665Ba, abundance 1672Ga (7) Et : Que 1594JF (8) long temps : long-temps 1627Di 1644Hu 1649Xa 1667Wi 1716PR, lon temps 1627Ma, long-tems 1720To, longtemps 1772Ri (9) restanché 1568 1591BR 1611 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1720To 1772Ri 1981EB : retranché 1590Ro 1627Di 1644Hu 1650Ri 1672Ga, rétranché 1627Ma 1656ECLb, r’etanché 1656ECLa, restranché &italic(){T.A.Eds.} (10) Ve(,) ve : Vé, vé 1594JF, Ve vë 1605sn 1628dR 1649Ca 1840, Veve 1611A, Veuë 1611B, Vevë 1649Xa 1650Le, Væ, væ 1656ECL 1981EB, Væ væ 1667Wi 1668, Veüe 1672Ga (11) clerc : Clerc 1594JF 1656ECL 1672Ga (12) ruyne : ruy 1649Ca, rvine 1650Mo (注記1)1656ECLはp.117 と p.170 で登場している。便宜上、前者のみに見られる異文を 1656ECLa、後者のみに見られる異文を 1656ECLb として区別している。 (注記2)1656ECLにおける4行目冒頭は2箇所とも判読が難しい。正しく malheur の意味と注記されていることから一応、Væ, væ と読んだが、誤って Vœ, vœ と書かれている可能性もある。 (注記3)1650Moの1行目 d’Eglise はEが潰れていて縦長の長方形(▮)に見えるので、Eとは断定できないが、少なくとも小文字のeではない。 *校訂  1行目espandu と espanché とで、1568年版の時点で2通りある。しかし、3行目との韻を考えれば、後者を採るほかはないだろう。  4行目 [[ve]] は中期フランス語の綴りや語源と思われるラテン語からすれば、vé または væ の方が適切であろうと思われる。 *日本語訳 教会の人々の血が流されるだろう、 水のようにあまりにも夥しく。 そして長い間(その流れは)止まらないだろう。 災いなるかな、災いなるかな、聖職者には破滅と苦難。 **訳について  3行目 restancher は古語で étancher (流れを止める) の意味((DALF T.07, p.121))。  この訳語は[[ジャン=ポール・クレベール]]も採用しており、[[ピーター・ラメジャラー]]も同じ意味で英訳していた。[[ロマン語]]からとしてこの語義を最初に指摘したのは[[アナトール・ル・ペルチエ]]であった。  4行目 [[ve]] は聖書での用法をどの程度意識しているのかは不明だが、まったく意図していないとも考えられないので、vae に対する文語訳(大正改訳)聖書の訳語「禍害(わざわい)なるかな」を反映した。  現代語訳聖書の多くは「不幸だ」「わざわいだ」などと訳しているが、「~だ」で終わる嘆き方が他の行と今ひとつ語感的に揃わないように感じられたので、やや古めかしい表現ではあるが、文語体を取り入れた。  なお、「聖職者に災いあれ」と訳せる可能性もあるが([[ve]]参照)、さすがに文脈にはそぐわないだろう。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「水のように多く」((大乗 [1975] p.254。以下、この詩の引用は同じページから。))は一応正しいが、abondance だけで「多量」の意味があり、そこに si grand (非常に大きな) が付いているのだから、単なる「多く」ではその意味合いが出ないのではなかろうか。当「大事典」の「あまりにも夥しく」が最適だというつもりはないが、少なくとも、何かしら惨劇の規模の大きさが伝わるような形容表現は必要だろうと思われる。  4行目「破滅と悲しみが牧師のうえにある」は不適切。clerc は聖職者一般を指すので、「牧師」に限定しない方がいいだろう。「牧師」はプロテスタントなので、もしもこの場合に牧師と限定できるのなら、ノストラダムスは(少なくとも公刊していた文献では)異端として攻撃していたプロテスタントの集会も、「教会」と認めていることになってしまう。  また、[[Ve ve>ve]]が訳に反映されていない。大乗訳の底本になっている[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]本は、Ve ve を Veue (Vue, 目撃される) としているが、訳に反映されていないことは変わらない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「大量の水のように」((山根 [1988] p.284 。以下、この詩の引用は同じページから。))については大乗訳への指摘と重なるが、「大量」だけでは表現に不足が感じられる。  4行目「悲しいかな 破滅と悲嘆が聖職に」も正しいが、Ve ve と2回重ねている表現を「悲しいかな」と一言でまとめてしまうことに異論がありうる。意味が伝わるかどうかという点だけならば、それで問題ないが、聖書の表現との類似性などが伝わりづらいからである。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)は1568年の項目で扱い、「最初と2番目の騒擾」(おそらく第一次・第二次ユグノー戦争、1562 - 1563年、1567 - 1568年)で、5千人もの聖職者たちが犠牲になったことと解釈した((Chavigny [1594] pp.172, 174))。  シャヴィニーの解釈はスリウス(Surius)の記録に基づくものだが、同じ記録はドドゥセのパンフレット(1790年)でも引用されることとなる((D'Odoucet, 1790, p.40))。  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、[[アンリ2世]]やフランソワ2世の治世以降の、異端派による聖職者たちへの攻撃と解釈された((Eclaircissement..., 1656, pp.170-175))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ユグノー戦争における聖職者たちの犠牲か、未来におけるカトリック聖職者たちの受難を描写したものとした((Garencieres [1672]))。  [[シャルル・ニクロー]](1914年)は未来に起こるイタリアでの革命に関する詩としていた((Nicoullaud [1914] p.220))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、近未来の迫害の一場面で[[詩百篇第10巻20番]]と[[第4巻18番>百詩篇第4巻18番]]の間に挿入しているが、わずかな語注を付けているだけで、解釈どころか敷衍的な現代語訳すらつけていない((Fontbrune (1938)[1939] p.221, Fontbrune (1938)[1975] p.235))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)は三十年戦争(1618年 - 1648年)の予言と解釈していたが、[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]たちの改訂版(1982年、1994年)ではソ連の支配が及んでいる国々での聖職者迫害とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)はフランス革命期の聖職者迫害と解釈した((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はフランス革命、ロシア革命双方の聖職者迫害と解釈した((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[パトリス・ギナール]](2011年)はシャヴィニーらのユグノー戦争とする解釈を引き継ぎつつ、詩番号の98は1598年のナントの勅令でユグノー戦争が終結したことと結びつけた((Guinard [2011]))。  [[ヴライク・イオネスク]](1993年)は近未来に起こると想定していた[[イスラーム]]勢力によってローマが蹂躙されることに関係する詩かもしれないとしていた((イオネスク [1993] p.155))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた、[[イスラーム]]勢力侵攻によるキリスト者の受難がモデルになっていると見なした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  この詩はかなり漠然としている。  20世紀の共産主義社会を強く非難し、関連する「解読」をいくつも公表していたイオネスクですら、この詩を近未来に関する付随的な詩篇としていたのは興味深い。  つまりは、モチーフが分かりやすくとも、ここまで事件を特定する鍵に乏しい詩篇を、フランス革命やロシア革命に結びつけるのは難しいと認識していたということだろう。  実際のところ、ラメジャラーが指摘するように、キリスト者の受難は中世の予言的言説ではごくありふれたものだった。  また、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]らが解釈していたように、当時のユグノー戦争ではカトリック聖職者も多く標的となった。  この詩がいつ書かれたのかは判然とせず(本物ならば1557年 - 1566年頃)、ユグノー戦争がどこまで進んでいたのか(そもそも勃発していたのか)を特定することはできないが、16世紀当時の認識としてごく自然な範囲で、この詩のようなモチーフを導けることは事実だろう。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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