百詩篇第7巻36番

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[[百詩篇第7巻]]>36番 *原文 Dieu le ciel&sup(){1} tout le diuin&sup(){2} verbe&sup(){3} à&sup(){4} l’vnde&sup(){5}, Pourté&sup(){6} par rouges sept razes&sup(){7} à Bisance&sup(){8}: Contre&sup(){9} les oingz&sup(){10} trois cens de Trebisonde&sup(){11}, Deux loix&sup(){12} mettront, & horreur&sup(){13}, puis credence. **異文 (1) ciel : Ciel 1611B 1981EB 1672 (2) diuin : Divin 1672 (3) verbe : Verbe 1611B 1981EB 1672 1840 (4) à : a 1600 1610 1650Ri 1672 (5) vnde 1557U 1557B 1568 : onde T.A.Eds.(sauf : Onde 1672) (6) Pourté 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C : Porté T.A.Eds. (7) razes : razez 1590SJ, rares 1653 1665 1716, razs 1840 (8) Bisance / Bizance : Brizance 1627, Besance 1653 1665 (9) Contre : Bontre 1668P (10) oingz : oingt 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840 (11) Trebisonde 1557U 1557B 1568 1590SJ 1672 : Trebisconde T.A.Eds. (sauf : Trabisonde 1650Le 1668, Tresibonde 1772Ri) (12) loix : Loix 1672 (13) & horreur : horreur 1557B 1590SJ, & borreur 1605 1628 1649Xa 1649Ca, & horreurs 1644 1653 1665 1840 *日本語訳 天なる神(により)、[[みことば]]全体が大水に(濡らされる)、 赤き者たち、(すなわち)剃髪の七人により[[ビュザンティオン>イスタンブル]]にて運ばれる(折に)。 塗油された者たちに対する[[トレビゾンド>トラブゾン]]の三百人は 二つの掟を定置するだろう。(その掟とはまず)恐怖、次に信頼。 **別訳 天なる神、[[みことば]]全体が海に(繰り出し)、 赤き剃髪の七人により[[ビュザンティオン>イスタンブル]]へと運ばれる。 塗油された者たちに対する[[トレビゾンド>トラブゾン]]の三百人は (まず)恐怖(し)、次に信頼(する)という二つのお定まりを踏まえるだろう。 **訳について  前半の訳が難しい。[[ピエール・ブランダムール]]の釈義を踏まえた読みを主に採用しつつ、[[ジャン=ポール・クレベール]]の釈義や[[リチャード・シーバース]]の英訳を踏まえた読みを『別訳』として提示した。[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳は後者に近い。  1行目 unde (onde) は現代フランス語でも中期フランス語でも「波」や「海」の意味((DMF, DFE))。語源のラテン語にまで遡れば「水」(water)の意味も導けるが((Bantam))、onde が水を意味する場合、普通は海や川などのまとまった量の水を指す。  そのため、1行目の unde も「波」の意味に理解するのが素直だが、[[ピエール・ブランダムール]]はこの行を「天がにわか雨を降らせ聖体を濡らす」という意味に理解したことがある。onde を「にわか雨」の意味に捉えられるかどうかは当「大事典」としては判断しかねるが、確かに[[百詩篇第2巻27番]]との整合性などからすれば、十分に可能性はある。ただ、ブランダムールの読みも同じ本の中で若干揺れているので(「天なる神」なのか「天と神」なのか、など((Brind'Amour [1996] pp.171, 231)))、確定的な読み方として採用すべきかどうかは悩ましいところである。  なお、異文欄に示したように、1行目 à を a としている版が[[ピエール・リゴー]]版など、17世紀以降に見られる。それを採用するなら「みことば全体が波(海、水)を持つ」という意味になるが、意味不明であろう。実際、P. リゴーの読みをかなり取り入れていた[[エドガー・レオニ]]でさえ、この異文は黙殺していた。  2行目rouges sept rasez はひとまとめに捉えるには語順が不自然で、前半律が rouges までであることも考慮すると、「赤き者たち、(すなわち)剃髪の七人」と区切るのが好ましいと考える。ただし、多くの論者が普通にひとまとめにしており、実質的な意味としては変わらない。  それに比べると後半はそれほど難しくない。ただ、loi をどう解釈するかで若干の揺れがありうる。『別訳』の4行目はクレベールの釈義を踏まえて、やや砕けた表現を取り入れた。loi を「お定まり」とするのは砕けすぎのようだが、中期フランス語の loi は「慣習」(usage, coutume)という意味もあったので、そう遠くない訳語ではないかと考える。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1 行目 「神 天 すべての神的世界が水の中に」((大乗 [1975] p.211。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]が verbe を word ではなく world と誤訳したことに引き摺られたのだろう。ロバーツの元になった[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はきちんと Word としているので、ロバーツのはそこからの写し間違いと思われる。  2行目「赤い人がはこばれ 七人の剃られた頭は」も誤訳。rouges sept rasez は確かに語順が不自然である点は上述の通りだが、rouges の直前に par (~により) があることを踏まえれば、これを運ばれる対象と解釈するの無理がある。  3行目「ビザンスで 油をそそいで清めることに反対し 三〇〇人ものトレビゾンドは」は、まず(訳者によるのか編集部によるのか不明だが)改行位置がおかしく、2行目の Bisance を3行目に回す妥当性が疑問。oingt (oint) は oindre (油を塗る) の受動態で、聖書などに登場する「油を注がれし者」も oint を使う。ゆえに、「油を注いで清める」という行為として理解するのは不適切だろう。  また、トレビゾンドに正しく「黒海に面する港町」云々と注記しているので、「三百人ものトレビゾンド」は意味不明である。  4行目「二つの法をおき 名誉はあとで信じられる」も誤訳。horreur (恐怖) と honneur (名誉) は別の語。ロバーツも正しく horror と英訳しているので、日本語版固有の誤訳である。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「神 天 波に呑まれし聖なる言(ことば)すべてが」((山根 [1988] p.250 。以下、この詩の引用は同じページから。))は区切り方によっては成立するが、素直に読めば tout が係っているのは「みことば」だけのはずである(実際、ラメジャラーははっきりそう訳している)。ただし、前半律は tout までであり、ciel で切れるのはやや不自然なことと、釈義や翻訳においてこの tout を省いている論者も少なくないので(シーバース、クレベール、ブランダムール)、断定はしがたい。いずれにせよ、1行目全体に係るかのような形で「すべて」を置くのはミスリードとなりかねない。  他の行は特に問題はない。 *信奉者側の見解  基本的に全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。ゆえに、20世紀半ばまでの主要な論者のうち、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[シャルル・ニクロー]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ローマ・カトリック式の聖餐が枢機卿たちと7人の僧侶(ガランシエールは「赤の者たち」と「剃髪の七人」を別々に捉えている)によってコンスタンティノープルに持ち込まれ、それがトレビゾンドの人々に論争を引き起こすことになるようだと解釈した((Garencieres [1672]))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)はより漠然と、コンスタンティノープルでの大論争と、不敬虔な300人に対する7人の僧侶に関する詩とした((Roberts (1947)[1949/1982/1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は、詩の情景のようなローマ・カトリックの枢機卿とコンスタンティノープルが関わる事件の記録は見当たらないとした上で、のちの決定版(1989年)では外れた予言と位置づけた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はロシアの十月革命(1917年)と解釈したが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では青年トルコ革命(1908年)とする解釈に差し替えられた。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は前半について、[[百詩篇第2巻27番]]に並行するモチーフと捉え、聖体の祝日にビュザンティオンで7人の枢機卿たちによって聖体の行列が挙行されるが、俄か雨で濡れてしまうと解釈した((Brind'Amour [1996] pp.171, 231, 340, 480 ))。  これに対して[[ジャン=ポール・クレベール]]は、ブランダムールの読みを紹介する一方で、7人の枢機卿によってキリスト教がコンスタンティノープルに持ち込まれ、トレビゾンドのトルコ人たちとの間に対立が生まれ、最初は拒絶されるが、後で理解されるという釈義も示している((Clébert [2003]))。  [[ビュザンティオン]](コンスタンティノープル、イスタンブル)は確かにかつて東ローマ帝国の首都だった都市であり、キリスト教の都市ではあった。しかし、「枢機卿」はローマ・カトリックの位階であり、東方正教会であったコンスタンティノープルで枢機卿による聖体の行列が挙行されるという事態は、歴史的なモデルを特定できるのか、当「大事典」としては今ひとつよく分からない。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』の予言が下敷きになっていると見た。そこでは終末における[[イスラーム]]信徒のキリスト教への改宗が描写されている((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  ノストラダムスの生きていた時代のイスタンブルはオスマン帝国の首都であり、それがキリスト教に回帰することになるという期待を示したものであるなら、確かに可能性はあるように思われる。   #ref(Trebizond.PNG) 【画像】 関連地図 *その他  1590SJでは31番、1611Bでは33番となっている。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[百詩篇第7巻]]>36番 *原文 Dieu le ciel&sup(){1} tout le diuin&sup(){2} verbe&sup(){3} à&sup(){4} l’vnde&sup(){5}, Pourté&sup(){6} par rouges sept razes&sup(){7} à Bisance&sup(){8}: Contre&sup(){9} les oingz&sup(){10} trois cens de Trebisonde&sup(){11}, Deux loix&sup(){12} mettront, & horreur&sup(){13}, puis credence. **異文 (1) ciel : Ciel 1611B 1981EB 1672 (2) diuin : Divin 1672 (3) verbe : Verbe 1611B 1981EB 1672 1840 (4) à : a 1600 1610 1650Ri 1672 (5) vnde 1557U 1557B 1568 : onde T.A.Eds.(sauf : Onde 1672) (6) Pourté 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C : Porté T.A.Eds. (7) razes : razez 1590SJ, rares 1653 1665 1716, razs 1840 (8) Bisance / Bizance : Brizance 1627, Besance 1653 1665 (9) Contre : Bontre 1668P (10) oingz : oingt 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840 (11) Trebisonde 1557U 1557B 1568 1590SJ 1672 : Trebisconde T.A.Eds. (sauf : Trabisonde 1650Le 1668, Tresibonde 1772Ri) (12) loix : Loix 1672 (13) & horreur : horreur 1557B 1590SJ, & borreur 1605 1628 1649Xa 1649Ca, & horreurs 1644 1653 1665 1840 *日本語訳 天なる神(により)、[[みことば]]全体が大水に(濡らされる)、 赤き者たち、(すなわち)剃髪の七人により[[ビュザンティオン>イスタンブル]]にて運ばれる(折に)。 塗油された者たちに対する[[トレビゾンド>トラブゾン]]の三百人は 二つの掟を定置するだろう。(その掟とはまず)恐怖、次に信頼。 **別訳 天なる神、[[みことば]]全体が海に(繰り出し)、 赤き剃髪の七人により[[ビュザンティオン>イスタンブル]]へと運ばれる。 塗油された者たちに対する[[トレビゾンド>トラブゾン]]の三百人は (まず)恐怖(し)、次に信頼(する)という二つのお定まりを踏まえるだろう。 **訳について  前半の訳が難しい。[[ピエール・ブランダムール]]の釈義を踏まえた読みを主に採用しつつ、[[ジャン=ポール・クレベール]]の釈義や[[リチャード・シーバース]]の英訳を踏まえた読みを『別訳』として提示した。[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳は後者に近い。  1行目 unde (onde) は現代フランス語でも中期フランス語でも「波」や「海」の意味((DMF, DFE))。語源のラテン語にまで遡れば「水」(water)の意味も導けるが((Bantam))、onde が水を意味する場合、普通は海や川などのまとまった量の水を指す。  そのため、1行目の unde も「波」の意味に理解するのが素直だが、[[ピエール・ブランダムール]]はこの行を「天がにわか雨を降らせ聖体を濡らす」という意味に理解したことがある。onde を「にわか雨」の意味に捉えられるかどうかは当「大事典」としては判断しかねるが、確かに[[百詩篇第2巻27番]]との整合性などからすれば、十分に可能性はある。ただ、ブランダムールの読みも同じ本の中で若干揺れているので(「天なる神」なのか「天と神」なのか、など((Brind'Amour [1996] pp.171, 231)))、確定的な読み方として採用すべきかどうかは悩ましいところである。  なお、異文欄に示したように、1行目 à を a としている版が[[ピエール・リゴー]]版など、17世紀以降に見られる。それを採用するなら「みことば全体が波(海、水)を持つ」という意味になるが、意味不明であろう。実際、P. リゴーの読みをかなり取り入れていた[[エドガー・レオニ]]でさえ、この異文は黙殺していた。  2行目rouges sept rasez はひとまとめに捉えるには語順が不自然で、前半律が rouges までであることも考慮すると、「赤き者たち、(すなわち)剃髪の七人」と区切るのが好ましいと考える。ただし、多くの論者が普通にひとまとめにしており、実質的な意味としては変わらない。  それに比べると後半はそれほど難しくない。ただ、loi をどう解釈するかで若干の揺れがありうる。『別訳』の4行目はクレベールの釈義を踏まえて、やや砕けた表現を取り入れた。loi を「お定まり」とするのは砕けすぎのようだが、中期フランス語の loi は「慣習」(usage, coutume)という意味もあったので、そう遠くない訳語ではないかと考える。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1 行目 「神 天 すべての神的世界が水の中に」((大乗 [1975] p.211。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]が verbe を word ではなく world と誤訳したことに引き摺られたのだろう。ロバーツの元になった[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はきちんと Word としているので、ロバーツのはそこからの写し間違いと思われる。  2行目「赤い人がはこばれ 七人の剃られた頭は」も誤訳。rouges sept rasez は確かに語順が不自然である点は上述の通りだが、rouges の直前に par (~により) があることを踏まえれば、これを運ばれる対象と解釈するの無理がある。  3行目「ビザンスで 油をそそいで清めることに反対し 三〇〇人ものトレビゾンドは」は、まず(訳者によるのか編集部によるのか不明だが)改行位置がおかしく、2行目の Bisance を3行目に回す妥当性が疑問。oingt (oint) は oindre (油を塗る) の受動態で、聖書などに登場する「油を注がれし者」も oint を使う。ゆえに、「油を注いで清める」という行為として理解するのは不適切だろう。  また、トレビゾンドに正しく「黒海に面する港町」云々と注記しているので、「三百人ものトレビゾンド」は意味不明である。  4行目「二つの法をおき 名誉はあとで信じられる」も誤訳。horreur (恐怖) と honneur (名誉) は別の語。ロバーツも正しく horror と英訳しているので、日本語版固有の誤訳である。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「神 天 波に呑まれし聖なる言(ことば)すべてが」((山根 [1988] p.250 。以下、この詩の引用は同じページから。))は区切り方によっては成立するが、素直に読めば tout が係っているのは「みことば」だけのはずである(実際、ラメジャラーははっきりそう訳している)。ただし、前半律は tout までであり、ciel で切れるのはやや不自然なことと、釈義や翻訳においてこの tout を省いている論者も少なくないので(シーバース、クレベール、ブランダムール)、断定はしがたい。いずれにせよ、1行目全体に係るかのような形で「すべて」を置くのはミスリードとなりかねない。  他の行は特に問題はない。 *信奉者側の見解  基本的に全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。ゆえに、20世紀半ばまでの主要な論者のうち、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[シャルル・ニクロー]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ローマ・カトリック式の聖餐が枢機卿たちと7人の僧侶(ガランシエールは「赤の者たち」と「剃髪の七人」を別々に捉えている)によってコンスタンティノープルに持ち込まれ、それがトレビゾンドの人々に論争を引き起こすことになるようだと解釈した((Garencieres [1672]))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)はより漠然と、コンスタンティノープルでの大論争と、不敬虔な300人に対する7人の僧侶に関する詩とした((Roberts (1947)[1949/1982/1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は、詩の情景のようなローマ・カトリックの枢機卿とコンスタンティノープルが関わる事件の記録は見当たらないとした上で、のちの決定版(1989年)では外れた予言と位置づけた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はロシアの十月革命(1917年)と解釈したが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では青年トルコ革命(1908年)とする解釈に差し替えられた。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は前半について、[[百詩篇第2巻27番]]に並行するモチーフと捉え、聖体の祝日にビュザンティオンで7人の枢機卿たちによって聖体の行列が挙行されるが、俄か雨で濡れてしまうと解釈した((Brind'Amour [1996] pp.171, 231, 340, 480 ))。  これに対して[[ジャン=ポール・クレベール]]は、ブランダムールの読みを紹介する一方で、7人の枢機卿によってキリスト教がコンスタンティノープルに持ち込まれ、トレビゾンドのトルコ人たちとの間に対立が生まれ、最初は拒絶されるが、後で理解されるという釈義も示している((Clébert [2003]))。  [[ビュザンティオン>イスタンブル]](コンスタンティノープル、イスタンブル)は確かにかつて東ローマ帝国の首都だった都市であり、キリスト教の都市ではあった。しかし、「枢機卿」はローマ・カトリックの位階であり、東方正教会であったコンスタンティノープルで枢機卿による聖体の行列が挙行されるという事態は、歴史的なモデルを特定できるのか、当「大事典」としては今ひとつよく分からない。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』の予言が下敷きになっていると見た。そこでは終末における[[イスラーム]]信徒のキリスト教への改宗が描写されている((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  ノストラダムスの生きていた時代のイスタンブルはオスマン帝国の首都であり、それがキリスト教に回帰することになるという期待を示したものであるなら、確かに可能性はあるように思われる。   #ref(Trebizond.PNG) 【画像】 関連地図 *その他  1590SJでは31番、1611Bでは33番となっている。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment

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