アンリ・ボードリエ

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 &bold(){アンリ・ボードリエ}(アンリ=ルイ・ボードリエ Henri-Louis Baudrier、1815年5月29日-1884年6月17日)は、フランスの法曹家、書誌学者。没後出版された『リヨン書誌』全12巻は、16世紀リヨン出版史研究に関する重要文献である。  リヨンの裁判長の息子として生まれ、自身も1841年に弁護士資格を取得した。その後、リヨン、ナンチュア、モンブリゾンなどで検事や判事を歴任した。  ボードリエは、生業の傍ら、リヨンの古版本収集や書誌の調査を丹念に行っていた。生前にはその成果はほとんど日の目を見ることはなかったが、死後、息子の[[ジュリヤン・ボードリエ]]によって『リヨン書誌』([[Bibliographie lyonnaise]])として順次まとめられていった。  最終的にジュリヤンの義理の息子も引き継いだものの、ボードリエの書誌研究の全てが公刊されるには至らなかった。ただし、未刊に終わった草稿にも現存しているものはあり、それらもまた貴重な資料となっている。 *ノストラダムス関連  ボードリエの書誌(出版されなかった手稿も含む)には、ノストラダムスに関する古版本の情報も多く含まれている。特に、1568年版の一部の印刷を実際に手がけたのが[[ピエール・ルーサン]]であったとする指摘は、彼が最初に行ったものである。  また、[[ブノワ・リゴー]]ら、ノストラダムスと関わりのあった何人かの出版業者について知る上でも、彼の書誌は重要である。 ---- #comment
 &bold(){アンリ・ボードリエ}(アンリ=ルイ・ボードリエ Henri-Louis Baudrier、1815年5月29日-1884年6月17日)は、フランスの法曹家、書誌学者。没後出版された『リヨン書誌』全12巻は、16世紀リヨン出版史研究に関する重要文献である。  リヨンの裁判長の息子として生まれ、自身も1841年に弁護士資格を取得した。その後、リヨン、ナンチュア、モンブリゾンなどで検事や判事を歴任した。  ボードリエは、生業の傍ら、リヨンの古版本収集や書誌の調査を丹念に行っていた。生前にはその成果はほとんど日の目を見ることはなかったが、死後、息子の[[ジュリヤン・ボードリエ]]によって『リヨン書誌』([[Bibliographie lyonnaise]])として順次まとめられていった。  最終的にジュリヤンの義理の息子も引き継いだものの、ボードリエの書誌研究の全てが公刊されるには至らなかった。ただし、未刊に終わった草稿にも現存しているものはあり、それらもまた貴重な資料となっている。 *ノストラダムス関連  ボードリエの書誌(出版されなかった手稿も含む)には、ノストラダムスに関する古版本の情報も多く含まれている。特に、1568年版の一部の印刷を実際に手がけたのが[[ピエール・ルーサン]]であったとする指摘は、彼が最初に行ったものである。  また、[[ブノワ・リゴー]]ら、ノストラダムスと関わりのあった何人かの出版業者について知る上でも、彼の書誌は重要である。 #amazon(1144936039) 【画像】『リヨン書誌』復刻版(クリックするとAmazonのページに飛びます) ---- #comment

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