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「百詩篇第7巻44番」(2014/08/28 (木) 20:16:25) の最新版変更点
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*原文
Alors qu'vn Bour&sup(){1} fort&sup(){2} bon,
Portant en soy les marques de iustice,
De son sang lors pourtant&sup(){3} son nom&sup(){4}
Par fuite iniuste receura son supplice.
**異文
(1) Bour : bour 1644 1650Le 1650Ri 1668, bourt 1653 1665
(2) fort : fera fort 1650Le 1650Ri 1668
(3) pourtant : portant 1650Le 1650Ri 1668
(4) son nom : lon nom 1668
(注記)上記原文の底本は1627である。比較には1644, 1650Le, 1650Ri, 1653, 1665, 1668のみを用いている。
*日本語訳
大変に善良なブールが
彼のうちに正義の徴を持っているとき、
その血統の中で、その名を持っているから、
不正な逃亡によって、刑を宣告されるだろう。
*信奉者側の見解
ルイ16世の予言と解釈される((Bareste [1840] p.510, Le Pelletier [1867a] pp.181-182, Lamont [1943] pp.98-99, Robb [1961] pp.90-98, Centurio [1977] p.160, Hogue [1997] p.526 etc.))。「ブール」(Bour)と「善良」(bon)で、ルイ16世が属するブルボン家(Bourbon)を暗示する言葉遊びになる。[[アナトール・ル・ペルチエ]]は3行目の son nom を long nom と読み、「長い名」=「長く受け継がれている名」「最も多い名」と解釈した。「ルイ」は確かにフランス王で最も多い名である。彼は、フランス革命勃発後にも国民から一定の支持を受けていたが、ヴァレンヌ逃亡事件(「不正な逃亡」)が国民への裏切りと見なされて世論がかわり、処刑された。
*同時代的な視点
この詩がいつ登場したのかははっきりと特定できない。マルニオルとタンチヨンの版が[[ミシェル・ショマラ]]の推測通り1615年頃に出たとすれば、それが一番早いことになる。他方、[[ロベール・ブナズラ]]の推測通りそれが1650年頃の出版だとすれば、1627年のディディエらの版の方が早いことになるが、ブナズラは1627年版が1643年頃の偽年代版だと推測しているため、1643年のガルサン版が最初の可能性も出てくる。
1610年代または1627年という説をとるなら、その時の国王はブルボン家のルイ13世であり、1643年という説をとるなら、国王はルイ13世または14世である。いずれにしてもブルボン家の王で、なおかつ「ルイ」である。
この詩は単にブルボン王朝の没落を願って政治的に偽造されたものが、後に偶然あたったという可能性も容易に想像できる。ノストラダムスに限らず、政敵の没落を祈って偽造されたインチキ予言が偶然的中してしまう事例は、マチュー・ランスベールの暦書などでも実際におこったことがある。
少なくとも、17世紀初頭から半ばにかけて唐突に登場したこの詩が、本当にノストラダムスの詩であると判断できる根拠は確認されていない。1、3行目は8音節以下しか無く、一行10音節から成る通常の百詩篇のスタイルではないことも、正統性に疑問を投げかける。
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#comment
[[百詩篇第7巻]]>44番
17世紀にリヨンで追加された詩篇
*原文
Alors qu'vn Bour&sup(){1} fort&sup(){2} bon,
Portant en soy les marques de iustice,
De son sang lors pourtant&sup(){3} son nom&sup(){4}
Par fuite iniuste receura son supplice.
**異文
(1) Bour : bour 1644 1650Le 1650Ri 1668, bourt 1653 1665
(2) fort : sera fort 1630Ma, fera fort 1650Le 1650Ri 1668
(3) pourtant : portant 1630Ma 1650Le 1650Ri 1668
(4) son nom : lon nom 1668
(注記)上記原文の底本は1627である。比較には1630Ma, 1644, 1650Le, 1650Ri, 1653, 1665, 1668のみを用いている。
*日本語訳
大変に善良なブールが
彼のうちに正義の徴を持っているとき、
その血統の中で、その名を持っているから、
不正な逃亡によって、刑を宣告されるだろう。
*信奉者側の見解
ルイ16世の予言と解釈される((Bareste [1840] p.510, Le Pelletier [1867a] pp.181-182, Lamont [1943] pp.98-99, Robb [1961] pp.90-98, Centurio [1977] p.160, Hogue [1997] p.526 etc.))。「ブール」(Bour)と「善良」(bon)で、ルイ16世が属するブルボン家(Bourbon)を暗示する言葉遊びになる。[[アナトール・ル・ペルチエ]]は3行目の son nom を long nom と読み、「長い名」=「長く受け継がれている名」「最も多い名」と解釈した。「ルイ」は確かにフランス王で最も多い名である。彼は、フランス革命勃発後にも国民から一定の支持を受けていたが、ヴァレンヌ逃亡事件(「不正な逃亡」)が国民への裏切りと見なされて世論がかわり、処刑された。
*同時代的な視点
この詩がいつ登場したのかははっきりと特定できない。マルニオルとタンチヨンの版が[[ミシェル・ショマラ]]の推測通り1615年頃に出たとすれば、それが一番早いことになる。他方、[[ロベール・ブナズラ]]の推測通りそれが1650年頃の出版だとすれば、1627年のディディエらの版の方が早いことになるが、ブナズラは1627年版が1643年頃の偽年代版だと推測しているため、1643年のガルサン版が最初の可能性も出てくる。
1610年代または1627年という説をとるなら、その時の国王はブルボン家のルイ13世であり、1643年という説をとるなら、国王はルイ13世または14世である。いずれにしてもブルボン家の王で、なおかつ「ルイ」である。
この詩は単にブルボン王朝の没落を願って政治的に偽造されたものが、後に偶然あたったという可能性も容易に想像できる。ノストラダムスに限らず、政敵の没落を祈って偽造されたインチキ予言が偶然的中してしまう事例は、マチュー・ランスベールの暦書などでも実際におこったことがある。
少なくとも、17世紀初頭から半ばにかけて唐突に登場したこの詩が、本当にノストラダムスの詩であると判断できる根拠は確認されていない。1、3行目は8音節以下しか無く、一行10音節から成る通常の百詩篇のスタイルではないことも、正統性に疑問を投げかける。
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