ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)

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 『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』は、[[リヨン]]の[[ジャン・ポワイエ]]によっても出版された。 #image(Poyetca1600.png) 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)((画像の出典:[[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nostradamus_Centuries_ca1600.PNG]], [[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nostradamus_Centuries_ca1600b.PNG]])) *正式名 第一部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Dont il y en a trois cens qui n'ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. --A LYON, PAR IEAN POYET. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集 --前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む --リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimees. --A LYON, PAR IEAN POYET. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集 --未刊であった百詩篇第八・九・十巻 --リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 *内容  十六折版で総ページ数は204ページ。  最初の完全版である[[1568年ブノワ・リゴー版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]と構成は同じで、第一部は第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻1番から第7巻42番までの642篇、第二部は第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻1番から第10巻100番までの300篇で、補遺篇などは一切含んでいない。 *特色  この版の原文は、同じ時期のピエール・リゴー版とほぼ同じであると指摘されている((Brind’Amour [1996] p.547))。そのため、[[ピエール・ブランダムール]]は原文比較の際にこの版への言及を省略したが、実際には細かな違いは見られる。ピエール・リゴー版に比べると不注意に基づく誤植が若干多めであるように思われる。 *刊行年  ポワイエのリヨンでの活動が1590年から1614年なので、その間の出版であることは確実だが、出版年が記載されておらず、正確な刊行年は不明である。[[カール・フォン・クリンコヴシュトレム]]、[[ミシェル・ショマラ]]、[[ロベール・ブナズラ]]、[[ピエール・ブランダムール]]らは1600年頃、[[ダニエル・ルソ]]は1614年頃、[[エドガー・レオニ]]は1590~1614年の間で、おそらく1602~1605年頃とした((Klinckowstroem [1913], Chomarat [1989] no.162, Benazra [1990] pp.145-146, Brind’Amour [1996], Ruzo [1997] no.36, Leoni [1961]))。  パトリス・ギナールは、ジャン・ポワイエの出版物のうち、1610年と明記されている文献と帯模様が類似していることから、その少し後、1612年頃と推測した((Guinard [2008a]))。  [[ジャン・ディディエと分担印刷した版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ディディエ/ジャン・ポワイエ)]]もほぼ同じころの出版と考えられている。 *所蔵先 -[[フランス国立図書館]]、[[リヨン市立図書館]]  なお、この版は従来、フランス国立図書館の蔵書しか知られていなかったが、[[ダニエル・ルソ]]が遺した蔵書にも含まれており、2007年4月のオークションにてリヨン市立図書館が1020ドルで落札した。 *この版を見ることの出来るサイト -[[Gallica2>http://gallica2.bnf.fr/]](全ページ分の一括ダウンロードが可能) ---- #comment
 『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』は、[[リヨン]]の[[ジャン・ポワイエ]]によっても出版された。 #image(Poyetca1600.png) 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)((画像の出典:[[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nostradamus_Centuries_ca1600.PNG]], [[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nostradamus_Centuries_ca1600b.PNG]])) *正式名 第一部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Dont il y en a trois cens qui n'ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. --A LYON, PAR IEAN POYET. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集 --前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む --リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 -LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. --Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimees. --A LYON, PAR IEAN POYET. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集 --未刊であった百詩篇第八・九・十巻 --リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 *内容  十六折版で総ページ数は204ページ。  最初の完全版である[[1568年ブノワ・リゴー版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]と構成は同じで、第一部は第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻1番から第7巻42番までの642篇、第二部は第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻1番から第10巻100番までの300篇で、補遺篇などは一切含んでいない。 *特色  この版の原文は、同じ時期のピエール・リゴー版とほぼ同じであると指摘されている((Brind’Amour [1996] p.547))。そのため、[[ピエール・ブランダムール]]は原文比較の際にこの版への言及を省略したが、実際には細かな違いは見られる。ピエール・リゴー版に比べると不注意に基づく誤植が若干多めであるように思われる。 *刊行年  ポワイエのリヨンでの活動が1590年から1614年なので、その間の出版であることは確実だが、出版年が記載されておらず、正確な刊行年は不明である。[[カール・フォン・クリンコフシュトレム]]、[[ミシェル・ショマラ]]、[[ロベール・ブナズラ]]、[[ピエール・ブランダムール]]らは1600年頃、[[ダニエル・ルソ]]は1614年頃、[[エドガー・レオニ]]は1590~1614年の間で、おそらく1602~1605年頃とした((Klinckowstroem [1913], Chomarat [1989] no.162, Benazra [1990] pp.145-146, Brind’Amour [1996], Ruzo [1997] no.36, Leoni [1961]))。  パトリス・ギナールは、ジャン・ポワイエの出版物のうち、1610年と明記されている文献と帯模様が類似していることから、その少し後、1612年頃と推測した((Guinard [2008a]))。  [[ジャン・ディディエと分担印刷した版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ディディエ/ジャン・ポワイエ)]]もほぼ同じころの出版と考えられている。 *所蔵先 -[[フランス国立図書館]]、[[リヨン市立図書館]]  なお、この版は従来、フランス国立図書館の蔵書しか知られていなかったが、[[ダニエル・ルソ]]が遺した蔵書にも含まれており、2007年4月のオークションにてリヨン市立図書館が1020ドルで落札した。 *この版を見ることの出来るサイト -[[Gallica2>http://gallica2.bnf.fr/]](全ページ分の一括ダウンロードが可能) ---- #comment

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