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*原文
Quant&sup(){1} la corneille&sup(){2} sur tour&sup(){3} de brique&sup(){4} ioincte,
Durant sept heures ne fera que crier:
Mort presagée&sup(){5} de&sup(){6} sang statue&sup(){7} taincte,
Tyran meurtri&sup(){8} au&sup(){9} Dieux&sup(){10} peuple prier.
**異文
(1) Quant 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1589PV 1597 1644 1650Ri 1772Ri : Quand &italic(){T.A.Eds.}
(2) corneille : Corneille 1590 1649Ca 1650Le 1668 1672, corneillle 1649Xa
(3) tour 1557U 1557B 1590Ro 1627 1644 1649Ca 1650Ro 1650Le 1668A : Tour 1672, tout &italic(){T.A.Eds.}
(4) brique : Brique 1672
(5) presagée ou presagee : presage 1660
(6) de : du 1588-89, & de 1653 1665 1840
(7) statue : statuë 1597 1610 1611 1628 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1672 1840
(8) meurtri : meurdry 1672
(9) au 1557U 1568A 1590Ro 1665 1840 : aux &italic(){T.A.Eds.}
(10) Dieux : dieux 1588-89, Dieu 1653 1665 1840
**校訂
4行目は au と Dieux とで数が対応しておらず、1557B以降に見られる aux Dieux(神々に)とするか、1665などで見られる au Dieu(神に)とするかのいずれかとしなければならない。下の訳ではとりあえず多くの版で見られる前者を採用している。
*日本語訳
カラスが煉瓦で組み上げられた塔の上にて、
七時間にわたって鳴き続けているときに、
死が予兆され、彫像は血塗られる。
暴君は殺され、神々へと人々は祈る。
**訳について
山根訳は問題ない。
大乗訳1行目「レンガの塔の上のカラスがまじわるとき」((大乗 [1975] p.137))は誤訳。ロバーツの英訳では正しく When the Crow on a tower made of brick((Roberts [1949] p.129)) と訳されている。ioincte(jointe)はレンガが組み合わさっていることを表現しているにすぎず、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳でも「鴉が煉瓦をつなぎて造られし塔の上で」((高田・伊藤 [1999] p.188))と訳されている。
2行目を[[加治木義博]]は「七時間の間、ずっと鳴かない」と訳しているが((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』KKロングセラーズ、p.76))、ne faire que... は「~してばかりいる」を意味する成句。[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]など、比較的信頼のできる英訳でも「鳴かない」となっているものはないし、高田・伊藤訳でもそうである。
*信奉者側の見解
[[ジョン・ホーグ]]は、1389年にバルカン半島でムラト1世が勝利した場所が Kosovo Polje(「黒い鳥の野」)であったことから、この詩をバルカン半島情勢に結び付けられる可能性を示している。彼は暴君をミロシェヴィッチに対応させていた((Hogue [1997/1999]))。
ほかに[[セルジュ・ユタン]]はムソリーニの最期に結び付けられる可能性を示していたが((Hutin [1978]))、[[ボードワン・ボンセルジャン]]はロシア革命時に皇帝一家が殺害された状況と関連付ける説に差し替えている((Hutin [2002]))。
*同時代的な視点
[[高田勇]]と[[伊藤進]]はアグリッパ=ドービニェの詩を引用しつつ、当時、カラスが迫り来る凶事を予告する存在として捉えられていたことを示している((高田・伊藤 [1999] p.189))。この詩はまさに暴君の死の予兆としてカラスが鳴き続けることが示されている。[[ルイ・シュロッセ]]はそうした予兆の表現として紹介するにとどまっているが((Schlosser [1986] p.176))、[[ピーター・ラメジャラー]]の場合、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』にみられる、暴君ドミティアヌス帝の死に先だってカラスが不幸を告げたというエピソードとの類似性を指摘している((Lemesurier [2003b]))。
該当箇所を引用しておこう。
彼が殺される数ヶ月前、一羽の烏が、カピトリウムの神殿の上ではっきりとこう言った。
「エスタイ・パンタ・カロース(すべて良くなろう)」((国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』下、岩波文庫、p.337))
塔と神殿の違いはあれど、確かにカラスが暴君の死を予告している点は共通している。ただし、少なくともスエトニウスに依拠する限りでは、ドミティアヌス帝の死の様々な前兆の中に、「像が血塗られる」というものはない。
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#comment
*原文
Quant&sup(){1} la corneille&sup(){2} sur tour&sup(){3} de brique&sup(){4} ioincte,
Durant sept heures ne fera que crier:
Mort presagée&sup(){5} de&sup(){6} sang statue&sup(){7} taincte,
Tyran meurtri&sup(){8} au&sup(){9} Dieux&sup(){10} peuple prier.
**異文
(1) Quant 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1589PV 1597 1644 1650Ri 1772Ri : Quand &italic(){T.A.Eds.}
(2) corneille : Corneille 1590 1649Ca 1650Le 1668 1672, corneillle 1649Xa
(3) tour 1557U 1557B 1590Ro 1627 1644 1649Ca 1650Ro 1650Le 1668A : Tour 1672, tout &italic(){T.A.Eds.}
(4) brique : Brique 1672
(5) presagée ou presagee : presage 1660
(6) de : du 1588-89, & de 1653 1665 1840
(7) statue : statuë 1597 1610 1611 1628 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1672 1840
(8) meurtri : meurdry 1672
(9) au 1557U 1568A 1590Ro 1665 1840 : aux &italic(){T.A.Eds.}
(10) Dieux : dieux 1588-89, Dieu 1653 1665 1840
**校訂
4行目は au と Dieux とで数が対応しておらず、1557B以降に見られる aux Dieux(神々に)とするか、1665などで見られる au Dieu(神に)とするかのいずれかとしなければならない。下の訳ではとりあえず多くの版で見られる前者を採用している。
*日本語訳
カラスが煉瓦で組み上げられた塔の上にて、
七時間にわたって鳴き続けているときに、
死が予兆され、彫像は血塗られる。
暴君は殺され、神々へと人々は祈る。
**訳について
山根訳は問題ない。
大乗訳1行目「レンガの塔の上のカラスがまじわるとき」((大乗 [1975] p.137))は誤訳。ロバーツの英訳では正しく When the Crow on a tower made of brick((Roberts [1949] p.129)) と訳されている。ioincte(jointe)はレンガが組み合わさっていることを表現しているにすぎず、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳でも「鴉が煉瓦をつなぎて造られし塔の上で」((高田・伊藤 [1999] p.188))と訳されている。
2行目を[[加治木義博]]は「七時間の間、ずっと鳴かない」と訳しているが((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』KKロングセラーズ、p.76))、ne faire que... は「~してばかりいる」を意味する成句。[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]など、比較的信頼のできる英訳でも「鳴かない」となっているものはないし、高田・伊藤訳でもそうである。
*信奉者側の見解
[[ジョン・ホーグ]]は、1389年にバルカン半島でムラト1世が勝利した場所が Kosovo Polje(「黒い鳥の野」)であったことから、この詩をバルカン半島情勢に結び付けられる可能性を示している。彼は暴君をミロシェヴィッチに対応させていた((Hogue [1997/1999]))。
ほかに[[セルジュ・ユタン]]はムソリーニの最期に結び付けられる可能性を示していたが((Hutin [1978]))、[[ボードワン・ボンセルジャン]]はロシア革命時に皇帝一家が殺害された状況と関連付ける説に差し替えている((Hutin [2002]))。
*同時代的な視点
[[高田勇]]と[[伊藤進]]はアグリッパ=ドービニェの詩を引用しつつ、当時、カラスが迫り来る凶事を予告する存在として捉えられていたことを示している((高田・伊藤 [1999] p.189))。この詩はまさに暴君の死の予兆としてカラスが鳴き続けることが示されている。
[[ルイ・シュロッセ]]はそうした予兆の表現として紹介するにとどまっているが((Schlosser [1986] p.176))、[[ピーター・ラメジャラー]]の場合、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』にみられる、暴君ドミティアヌス帝の死に先だってカラスが不幸を告げたというエピソードとの類似性を指摘している((Lemesurier [2003b]))。
該当箇所を引用しておこう。
&italic(){彼が殺される数ヶ月前、一羽の烏が、カピトリウムの神殿の上ではっきりとこう言った。}
&italic(){「エスタイ・パンタ・カロース(すべて良くなろう)」}((国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』下、岩波文庫、p.337))
塔と神殿の違いはあれど、確かにカラスが暴君の死を予告している点は共通している。ただし、少なくともスエトニウスに依拠する限りでは、ドミティアヌス帝の死の様々な前兆の中に、「像が血塗られる」というものはない。
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