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*原文
LEGIS CANTIO&sup(){1}
contra&sup(){2} ineptos&sup(){3} criticos.
Quos&sup(){4} legent hosce&sup(){5} versus&sup(){6} maturè&sup(){7} censunto&sup(){8},
Profanum&sup(){9} vulgus&sup(){10}, & inscium ne attrestato&sup(){11}:
Omnesq_&sup(){12} Astrologi Blenni&sup(){13}, Barbari procul sunto&sup(){14},
Qui aliter facit&sup(){15}, is rite&sup(){16}, sacer&sup(){17} esto.
**異文
(1) CANTIO / cantio : CAVTIO / cautio 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672
(2) contra : contrà 1597
(3) ineptos : ineptus 1627
(4) Quos : Quid 1611, Qui 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1660 1668 1672 1840
(5) hosce : hos 1672
(6) versus : versu 1611
(7) maturè : naturé 1605, maturé 1649Ca 1650Le, mature 1627 1668, naturè 1644 1649Xa 1840
(8) censunto : censunte 1590Ro, censento &italic(){conj.(PB)}
(9) Profanum : Prophanum 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672
(10) vulgus : vulgu 1649Xa
(11) attrestato : attrectato 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1668 1672 1716 1772Ri 1840, attrectare 1627, attractato 1653 1665
(12) Omnesq_: Omnesq^; 1568 1590Ro 1597 1650Ri, Omnesque 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1660 1665 1667 1668 1672 1772Ri 1840, Omnésque 1600 1644, Omnesq; 1610 1716
(13) Blenni : Blennis 1597 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716, Sienni 1772Ri
(14) sunto : sunte 1590Ro
(15) facit : faxit 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1672
(16) is rite : is ritè 1568 1590Ro 1597 1610 1716 1840, is rité 1611A 1628 1649Ca 1668 1772Ri, irrite 1627 1644 1650Le 1650Ri, irritè 1653 1665
(17) sacer : saeer 1605, facer 1627
(注記1)詩のタイトルは2行に分かれているものと1行で書かれているもの、すべて大文字のものとそうでないものなど、細かな違いに事欠かない。ここでのみ例外的に大文字・小文字の区別などは全て無視している。
(注記2)3行目Omnesq(ue) は、1557Uでは q の右下に小さな飾り(3に似ている)が付いている(下線で代用)。1568の異文の ^ は q の直上にある波線の代用。
**校訂
初出に従うならタイトルは「愚かな批評家に対する法の呪文」となるべきだが、ここでは後出の[[クリニトゥス]](およびそれに基づく[[ピエール・ブランダムール]]の校訂)に従い、cantio でなく cautio を採用した。
また、1行目の censunto について、ブランダムールはクリニトゥスの書き間違いをノストラダムスが引き写したものとして、censento に校訂している((Brind’Amour [1993] p.100))。
*日本語訳
&bold(){愚かな批評家に対する法の警句}
この詩を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい。
俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。
占星術師、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。
さもなくば儀式に従って呪われるがよい。
*信奉者側の見解
一般的な警句と捉えられたりするが、中には[[川尻徹]]のように、自分自身に対しノストラダムスが愚か者を近づけるなとアドバイスしてくれたものだと解釈する者もいる((川尻『ノストラダムス メシアの法』pp.112-113))。
あるいは3行目で遠ざけるべき者に「占星術師」が含まれていることから、ノストラダムスが占星術を嫌っていた証拠だとする者たちもいる((加治木義博『真説ノストラダムスの大予言』p.100 ; 飛鳥昭雄・三神たける『預言者の謎とノストラダムス』pp.132-138))。
*同時代的な視点
この詩は、[[クリニトゥス]]の『[[栄えある学識について]]』(1504年)に収録された以下のラテン語詩をアレンジしたものであることが明らかになっている((原文はBrind'Amour [1993] p.100から孫引きさせていただいた))。
Legis cautio contra ineptos criticos.
&italic(){Quoi legent hosce libros, maturè censunto:}
&italic(){Profanum uolgus & inscium, ne attrectato:}
&italic(){Omnesque legulei, blenni, barbari procul sunto:}
&italic(){Qui aliter faxit, is ritè sacer esto.}
&bold(){愚かな批評家に対する法の警句}
この書を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい。
俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。
法律屋、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。
さもなくば儀式に従って呪われるがよい。
「書」を「詩」にしているのはともかく、「法律屋」を「占星術師」にしているのが興味深い。しかし、暦書では占星術(単なる星位の提示だけでなく、それを吉凶と結び付ける)を明らかに多用しているため、このラテン語詩をもってノストラダムスが占星術を否定していたと捉えるのは早計だろう。現にノストラダムスが提示している判断は、[[リシャール・ルーサ]]や[[レオヴィッツ>キュプリアヌス・レオウィティウス]]など、同時代の他の占星術師と一致するものもあり、当時の歴史的文脈で理解することが可能なのである。
当然というべきか、ブランダムールは、ノストラダムスが暦書で他の占星術師たちへの反論をしばしば展開していたことの延長線上にこの詩を置いており、[[ジャン=ポール・クレベール]]もその見解をそのまま踏襲している。また、[[ピーター・ラメジャラー]]も同様の読み方をしている((Brind'Amour [1993] p.99, Clebert [2003], Lemesurier [2003b]))。
*その他
この詩は『予言集』の詩の中で唯一全文がラテン語で書かれた四行詩である(タイトルを持つ詩という意味でも唯一である)。百詩篇第6巻は99番までしかなく、100番目にこの詩がおかれている。本来番号はついていなかったが、1611では100番とされている。
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&bold(){コメントらん}
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- 西洋占星術は『学問』に成り下がり、古典や神話を疎かにしており占星術ではない。西洋占星術者は星の配置の決まりごとしか述べられない。術師は都合がよいこと=吉相、都合の良い解答=収入、と考えるので終わりの時の導き役になれないとノストラダムスは指摘し、近づいてはならないと警告していると思う。 -- れもん (2015-10-18 13:53:28)
- 元ネタにある「法律屋」というのは法律家のことではなく、いわゆる三百代言の類のことであり、だからこそ「愚者」「野蛮人」と並列にされていると見ることができる。そうだとすれば、それを踏襲した「占星術師」も正しい占星術に基づかないいい加減な星占いのようなものを前提にしているのではなかろうか。 -- とおりすがり (2020-07-21 11:24:20)
#comment
*原文
LEGIS CANTIO&sup(){1}
contra&sup(){2} ineptos&sup(){3} criticos.
Quos&sup(){4} legent hosce&sup(){5} versus&sup(){6} maturè&sup(){7} censunto&sup(){8},
Profanum&sup(){9} vulgus&sup(){10}, & inscium ne attrestato&sup(){11}:
Omnesq_&sup(){12} Astrologi Blenni&sup(){13}, Barbari procul sunto&sup(){14},
Qui aliter facit&sup(){15}, is rite&sup(){16}, sacer&sup(){17} esto.
**異文
(1) CANTIO / cantio : CAVTIO / cautio 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672
(2) contra : contrà 1597
(3) ineptos : ineptus 1627
(4) Quos : Quid 1611, Qui 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1660 1668 1672 1840
(5) hosce : hos 1672
(6) versus : versu 1611
(7) maturè : naturé 1605, maturé 1649Ca 1650Le, mature 1627 1668, naturè 1644 1649Xa 1840
(8) censunto : censunte 1590Ro, censento &italic(){conj.(PB)}
(9) Profanum : Prophanum 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672
(10) vulgus : vulgu 1649Xa
(11) attrestato : attrectato 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1668 1672 1716 1772Ri 1840, attrectare 1627, attractato 1653 1665
(12) Omnesq_: Omnesq^; 1568 1590Ro 1597 1650Ri, Omnesque 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1660 1665 1667 1668 1672 1772Ri 1840, Omnésque 1600 1644, Omnesq; 1610 1716
(13) Blenni : Blennis 1597 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716, Sienni 1772Ri
(14) sunto : sunte 1590Ro
(15) facit : faxit 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1672
(16) is rite : is ritè 1568 1590Ro 1597 1610 1716 1840, is rité 1611A 1628 1649Ca 1668 1772Ri, irrite 1627 1644 1650Le 1650Ri, irritè 1653 1665
(17) sacer : saeer 1605, facer 1627
(注記1)詩のタイトルは2行に分かれているものと1行で書かれているもの、すべて大文字のものとそうでないものなど、細かな違いに事欠かない。ここでのみ例外的に大文字・小文字の区別などは全て無視している。
(注記2)3行目Omnesq(ue) は、1557Uでは q の右下に小さな飾り(3に似ている)が付いている(下線で代用)。1568の異文の ^ は q の直上にある波線の代用。
**校訂
初出に従うならタイトルは「愚かな批評家に対する法の呪文」となるべきだが、ここでは後出の[[クリニトゥス]](およびそれに基づく[[ピエール・ブランダムール]]の校訂)に従い、cantio でなく cautio を採用した。
また、1行目の censunto について、ブランダムールはクリニトゥスの書き間違いをノストラダムスが引き写したものとして、censento に校訂している((Brind’Amour [1993] p.100))。
*日本語訳
&bold(){愚かな批評家に対する法の警句}
この詩を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい。
俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。
占星術師、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。
さもなくば儀式に従って呪われるがよい。
*信奉者側の見解
一般的な警句と捉えられたりするが、中には[[川尻徹]]のように、自分自身に対しノストラダムスが愚か者を近づけるなとアドバイスしてくれたものだと解釈する者もいる((川尻『ノストラダムス メシアの法』pp.112-113))。
あるいは3行目で遠ざけるべき者に「占星術師」が含まれていることから、ノストラダムスが占星術を嫌っていた証拠だとする者たちもいる((加治木義博『真説ノストラダムスの大予言』p.100 ; 飛鳥昭雄・三神たける『預言者の謎とノストラダムス』pp.132-138))。
*同時代的な視点
この詩は、[[クリニトゥス]]の『[[栄えある学識について]]』(1504年)に収録された以下のラテン語詩をアレンジしたものであることが明らかになっている((原文はBrind'Amour [1993] p.100から孫引きさせていただいた))。
Legis cautio contra ineptos criticos.
&italic(){Quoi legent hosce libros, maturè censunto:}
&italic(){Profanum uolgus & inscium, ne attrectato:}
&italic(){Omnesque legulei, blenni, barbari procul sunto:}
&italic(){Qui aliter faxit, is ritè sacer esto.}
&bold(){愚かな批評家に対する法の警句}
この書を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい。
俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。
法律屋、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。
さもなくば儀式に従って呪われるがよい。
「書」を「詩」にしているのはともかく、「法律屋」を「占星術師」にしているのが興味深い。しかし、暦書では占星術(単なる星位の提示だけでなく、それを吉凶と結び付ける)を明らかに多用しているため、このラテン語詩をもってノストラダムスが占星術を否定していたと捉えるのは早計だろう。現にノストラダムスが提示している判断は、[[リシャール・ルーサ]]や[[レオヴィッツ>キュプリアヌス・レオウィティウス]]など、同時代の他の占星術師と一致するものもあり、当時の歴史的文脈で理解することが可能なのである。
当然というべきか、ブランダムールは、ノストラダムスが暦書で他の占星術師たちへの反論をしばしば展開していたことの延長線上にこの詩を置いており、[[ジャン=ポール・クレベール]]もその見解をそのまま踏襲している。また、[[ピーター・ラメジャラー]]も同様の読み方をしている((Brind'Amour [1993] p.99, Clebert [2003], Lemesurier [2003b]))。
*その他
この詩は『予言集』の詩の中で唯一全文がラテン語で書かれた四行詩である(タイトルを持つ詩という意味でも唯一である)。百詩篇第6巻は99番までしかなく、100番目にこの詩がおかれている。本来番号はついていなかったが、1611では100番とされている。
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- 西洋占星術は『学問』に成り下がり、古典や神話を疎かにしており占星術ではない。西洋占星術者は星の配置の決まりごとしか述べられない。術師は都合がよいこと=吉相、都合の良い解答=収入、と考えるので終わりの時の導き役になれないとノストラダムスは指摘し、近づいてはならないと警告していると思う。 -- れもん (2015-10-18 13:53:28)
- 元ネタにある「法律屋」というのは法律家のことではなく、いわゆる三百代言の類のことであり、だからこそ「愚者」「野蛮人」と並列にされていると見ることができる。そうだとすれば、それを踏襲した「占星術師」も正しい占星術に基づかないいい加減な星占いのようなものを前提にしているのではなかろうか。 -- とおりすがり (2020-07-21 11:24:20)