ダニエル・ルソ

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 &bold(){ダニエル・ルソ}こと&bold(){ダニエル・ルソ・デ・ロス・エロス}(Daniel Ruzo de Los Heros, 1900年-1991年)は、ペルー出身の考古学者、ノストラダムス研究者。彼はノストラダムス関連書の蒐集家としては、史上屈指であった。日本ではフランス語読みして「&bold(){ダニエル・リュゾ}」、また不正確だが慣例的に「&bold(){ダニエル・ルゾー}」とも表記される。  若い頃には何度か詩集を出版したようである(([[Shinsenpou World Blog : ダニエル・リュゾの著作リスト>http://asakura.asablo.jp/blog/2008/07/20/3640163]]))。  [[カール・フォン・クリンコフシュトレム]]の1953年の論文では、実業家で考古学者のルソ博士と紹介されている((Klinckowstroem [1953] col.1609))。考古学者としての著書には『テポストランの聖なる谷』(El valle sagrado de Tepoztlán)などがある。スワン・ギャラリーのカタログでは弁護士(attorney)とも書かれている((&italic(){Nostradamus/Early Printed Books}, SWANN, 2007, fol.3v))。実業家を引退したのは1957年のことであったという((ドレヴィヨン&ラグランジュ [2004] p.73))。 *ノストラダムス関連  彼はノストラダムス関連文献の収集をおこない、[[エクトール・リゴー]]、[[ミシェル・ショマラ]]らと並び、史上屈指といってよいコレクションを作り上げた。  その蔵書に基づく深い書誌学的研究は『ノストラダムスの真正なる遺言』(&italic(){[[El testamento auténtico de Nostradamus]]}, 1970? / 1975) に結実した。この本の前半は信奉者的立場からノストラダムスの作品と遺言書に隠された(と本人が信じるところの)暗号を解読するもので、後半が書誌学的研究になっている。  この本は1982年に『ノストラダムスの遺言書』(&italic(){[[Le Testament de Nostradamus>Le Testament de Nostradamus (Ruzo)]]}, 1982)としてフランス語訳された。フランス語版はかなり忠実な訳だったが、そこからさらに日本語訳されたものは大幅な抄訳と改変を含むものだった。  それはまず1983年に[[流智明]]監修(訳者名不記載)『[[ノストラダムスの遺言書>ノストラダムスの遺言書 (二見書房)]]』として、二見書房から出版された(著者名表記は「ダニエル・ルゾー」)。1986年には『[[天から恐怖の大王が降りてくる - ノストラダムスの遺言書>天から恐怖の大王が降りてくる (二見書房)]]』』と改題されるとともに、日本語版独自の無意味な章がさらに追加された。いずれの版も、原書のうち、実証的な評価の対象になりえない前半部分を中心とした訳で、国際的に評価されている後半部分(書誌学的研究)は省かれている。  ほかの関連書籍としては、『黙示録の最後の日々』(&italic(){Los ultimos dias del Apocalipsis} ; 仏訳&italic(){Les derniers jours de l’Apocalypse}, 1973)、『ノストラダムス 第三の洪水』(&italic(){Nostradamus La tercera inundacion})、『ノストラダムスとヨーロッパの運命』(&italic(){Nostradamus y el destino de Europa},1992)などがある。  フランスの[[ノストラダムス協会]]の会員ではなかったようだが、会への協力の意思は表明していた。また、1985年5月30日に[[アンペリ城]]で開催されたシンポジウム「百詩篇集の校訂版に向けて」にも、[[ジャン・セアール]]、[[ロベール・アマドゥ]]、[[ウジェーヌ・レー]]、[[ミシェル・シモナン]]、[[ジャン・デュペーブ]]、[[ミシェル・ショマラ]]といった錚々たるメンバーとともに参加したようである((Cahier Michel Nostradamus, no.3, p.30))。  没後、一時その蔵書は行方不明になっていたが、その一部分は2007年4月23日にスワン・ギャラリーのオークションにかけられた。その時のカタログが [[Nostradamus/Early Printed Books, April 23, 2007]](SWANN, 2007)である。出品されたコレクションのごく一部は、[[マリオ・グレゴリオ]]や[[リヨン市立図書館]]によって落札されたことが判明しているが、それ以外の現在の所在は不明である。 ---- #comment
 &bold(){ダニエル・ルソ}こと&bold(){ダニエル・ルソ・デ・ロス・エロス}(Daniel Ruzo de Los Heros, 1900年-1991年)は、ペルー出身の考古学者、ノストラダムス研究者。彼はノストラダムス関連書の蒐集家としては、史上屈指であった。日本ではフランス語読みして「&bold(){ダニエル・リュゾ}」、また不正確だが慣例的に「&bold(){ダニエル・ルゾー}」とも表記される。  若い頃には何度か詩集を出版したようである(([[Shinsenpou World Blog : ダニエル・リュゾの著作リスト>http://asakura.asablo.jp/blog/2008/07/20/3640163]]))。  [[カール・フォン・クリンコフシュトレム]]の1953年の論文では、実業家で考古学者のルソ博士と紹介されている((Klinckowstroem [1953] col.1609))。考古学者としての著書には『テポストランの聖なる谷』(El valle sagrado de Tepoztlán)などがある。スワン・ギャラリーのカタログでは弁護士(attorney)とも書かれている((&italic(){Nostradamus/Early Printed Books}, SWANN, 2007, fol.3v))。実業家を引退したのは1957年のことであったという((ドレヴィヨン&ラグランジュ [2004] p.73))。 *ノストラダムス関連  彼はノストラダムス関連文献の収集をおこない、[[エクトール・リゴー]]、[[ミシェル・ショマラ]]らと並び、史上屈指といってよいコレクションを作り上げた。  その蔵書に基づく深い書誌学的研究は『ノストラダムスの真正なる遺言』(&italic(){[[El testamento auténtico de Nostradamus]]}, 1970? / 1975) に結実した。この本の前半は信奉者的立場からノストラダムスの作品と遺言書に隠された(と本人が信じるところの)暗号を解読するもので、後半が書誌学的研究になっている。  この本は1982年に『ノストラダムスの遺言書』(&italic(){[[Le Testament de Nostradamus>Le Testament de Nostradamus (Ruzo)]]}, 1982)としてフランス語訳された。フランス語版はかなり忠実な訳だったが、そこからさらに日本語訳されたものは大幅な抄訳と改変を含むものだった。  それはまず1983年に[[流智明]]監修(訳者名不記載)『[[ノストラダムスの遺言書>ノストラダムスの遺言書 (二見書房)]]』として、二見書房から出版された(著者名表記は「ダニエル・ルゾー」)。1986年には『[[天から恐怖の大王が降りてくる - ノストラダムスの遺言書>天から恐怖の大王が降りてくる (二見書房)]]』』と改題されるとともに、日本語版独自の無意味な章がさらに追加された。いずれの版も、原書のうち、実証的な評価の対象になりえない前半部分を中心とした訳で、国際的に評価されている後半部分(書誌学的研究)は省かれている。  ほかの関連書籍としては、『黙示録の最後の日々』(&italic(){Los ultimos dias del Apocalipsis} ; 仏訳&italic(){Les derniers jours de l’Apocalypse}, 1973)、『ノストラダムス 第三の洪水』(&italic(){Nostradamus La tercera inundacion})、『ノストラダムスとヨーロッパの運命』(&italic(){Nostradamus y el destino de Europa},1992)などがある。  フランスの[[ノストラダムス協会]]の会員ではなかったようだが、会への協力の意思は表明していた。また、1985年5月30日に[[アンペリ城]]で開催されたシンポジウム「百詩篇集の校訂版に向けて」にも、[[ジャン・セアール]]、[[ロベール・アマドゥ]]、[[ウジェーヌ・レー]]、[[ミシェル・シモナン]]、[[ジャン・デュペーブ]]、[[ミシェル・ショマラ]]といった錚々たるメンバーとともに参加したようである((Cahier Michel Nostradamus, no.3, p.30))。  没後、一時その蔵書は行方不明になっていたが、その一部分は2007年4月23日にスワン・ギャラリーのオークションにかけられた。その時のカタログが [[Nostradamus/Early Printed Books, April 23, 2007]](SWANN, 2007)である。出品されたコレクションのごく一部は、[[マリオ・グレゴリオ]]や[[リヨン市立図書館]]によって落札されたことが判明しているが、それ以外の現在の所在は不明である。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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