アンリ・トルネ=シャヴィニー

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 &bold(){アンリ・トルネ=シャヴィニー}(Henri Torné-Chavigny, 1826年6月20日 - 1880年7月5日)は、フランスの司祭。ノストラダムス予言の信奉者であり、[[エドガー・レオニ]]が言うところの「19世紀の三大解釈者」の一人である(後2人は[[ウジェーヌ・バレスト]]と[[アナトール・ル・ペルチエ]])。[[ロベール・ブナズラ]]は「ノストラダムスの注釈者の中で一番の有名人」((Benazra [1990] p.405))と紹介している。  本名はアンリ=アントワーヌ・トルネ(Henri-Antoine Torné)だが、ノストラダムスの秘書[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]に肖って、姓に「シャヴィニー」を加えた。司祭であったことから、トルネ師(アベ・トルネ, l'abbé Torné)とも呼ばれる。日本語文献に、ノストラダムスの秘書(弟子)の名前を「トルネー」としているものがあるのは、明らかにシャヴィニーとトルネ=シャヴィニーを取り違えたものであろう。 #ref(torne.PNG) 【画像】トルネ=シャヴィニーの肖像画([[解釈書に利用された図版>ノストラダムスの肖像画 (予言され裁定された歴史)]]の抜粋)((画像の出典:Leroy [1993])) *生涯  本人の語るところによれば、1826年に[[ラ・ロッシェル]]で生まれたという。母方の祖父の名はノエル=ジャック・シャヴィニ(Noël-Jacques Chavigni)で、アンリ・トルネは後年、この姓がノストラダムスの秘書シャヴィニー(Chavigny)とほぼ同じものであることもあって、自らの姓に付け加えたのだという。  彼は、1852年にラ・ロッシェルで司祭に任命された後、翌年サン=レジェ=アン=ポンの主任司祭となり、次いで1855年には[[ラ・クロット]]、1865年には[[サン=ドニ=デュ=パン]](1865年)にそれぞれ赴任し主任司祭を務めた。ノストラダムスに関心を持ち、多くの文献を集めて研究を行った。後には研究に専念するため、司祭職を辞した。  彼が1860年から1862年、および1870年代の足かけ20年間に刊行したノストラダムス関連書は、下に挙げるように30点を超える。19世紀までの信奉者は1-2冊の解釈書しか出さないのが普通だったことからすると、彼の活動は突出したものであった。  彼は熱烈なレジティミスト(ブルボン王朝支持者)であり、シャンボール伯アンリが王位に就くことを疑わなかった。それゆえ、彼の近未来解釈には「アンリ5世」に関連するものが多くあった。結局、シャンボール伯は王位に就くことなく1883年に世を去るが、トルネ=シャヴィニーはその3年前に没し、自身の解釈の結果を見ることはなかった((生涯の記述の大部分は Chevignard [1999] pp.47-50 に拠った))。  彼の解釈は典型的な信奉者のものであり、[[百詩篇第8巻1番]]で Pau, Nay, Lolon からアナグラムで「国王ナポロン」(Roy Napaulon,ナポレオン)を導き出す解釈のように、後代に踏襲されたものもある。また、[[百詩篇第9巻1番]]に自分のことが予言されていると解釈した((Benazra [1990] p.406))。同じ詩は、後に[[中村惠一]]や[[ヴライク・イオネスク]]も「自分のことだ」と解釈したが、自分のことを『予言集』の中に見出そうとする手合いの中でも、おそらく彼の解釈は最も初期の部類に属していると考えられる。  また、「1999年7ヶ月」で始まる有名な[[百詩篇第10巻72番]]を世界の終末と結び付けたのも、おそらく彼が最初だったはずである((この点は姉妹サイトのコンテンツ「[[10巻72番解釈集>>http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/1072.htm]]」を参照のこと。))。  その一方で、彼は、ノストラダムスの『予言集』第一序文(セザールへの手紙)が[[ジロラモ・サヴォナローラ]]の著書と酷似した箇所を多く含むことや、『[[1559年9月16日に起こるであろう蝕の意味>Les Significations de l'Eclipse, qui sera le 16. Septembre 1559.]]』が、[[キュプリアヌス・レオウィティウス]]の著書からの転用を含むことを指摘するなど((Brind’Amour [1996] p.584, Chevignard [1999] p.444))、現在の実証的な研究にも寄与する重要な指摘も行っており、「思い込みの激しい信奉者」だけでは片付けられない側面も持っていた。  彼はノストラダムスに関するかなりの文献を持っていたようだが、フランス国立図書館などに寄贈することは拒んだ。彼の予言解釈ではパリの破滅が導き出されていたからであり、寄贈した書物が灰燼に帰することを恐れたからだという((高田 [2000] ))。なお、蔵書の少なくとも一部は、弟子筋に当たる[[エクトール・リゴー]]が譲り受けた。 *著作リスト  ボルドーで初期の著作の出版を請け負っていたのは、ジュスタン・デュピュイ未亡人出版社(Typographie V&sup(){e} Justin Dupuy & C&sup(){e})であった。 -ノストラダムスによって予言・判断された歴史([[L'histoire prédite et jugée par Nostradamus]])(全3巻、ボルドー、1860-1862年) -1860年の概観、四行詩30篇の解釈([[Prospectus de 1860 : interprétation de 30 quatrains]])(刊行地未詳、8pp., 1860年) -ノストラダムス予言集と黙示録の対照、あるいはノストラダムスによって解釈された黙示録([[Concordance des prophéties de Nostradamus avec l'Apocalypse, ou l'Apocalypse interprétée par Nostradamus]])(ボルドー、1861年) -1566年にピエール・リゴーによって出版された『予言集』復刻版([[Réédition du Livre des Prophéties de Nostradamus, publié en 1566 chez Pierre Rigaud]].)(ボルドー、1862年) -『ノストラダムスによって予言・判断された歴史』および『同じ著者により解釈された黙示録』に依拠した大予言者の書簡(Lettres du grand prophète d'après l'histoire prédite et jugée par Nostradamus et l'Apocalypse interprétée par le même auteur.)(サン=ジャン=ダンジュリ;ウジェーヌ・ルマリエ、1870年) -ノストラダムスによる予言的肖像群([[Portraits prophétiques d'après Nostradamus]])(ポワチエ;アンリ・ウーダン、1871年) -大予言者ノストラダムスの暦([[Almanach du Grand prophète Nostradamus 1872]])(パリ;ルジ・リュフェ社、1871年) -1566年にピエール・リゴーによって出版された『予言集』復刻版(再版、アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -ノストラダムス予言集と黙示録の対照、あるいはノストラダムスによって解釈された黙示録(再版、サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1872年) -アントウェルペンにおけるアンリ5世。大予言者の新たなる書簡([[Henri V à Anvers. Nouvelle lettre du Grand prophète]])(16pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -白派と赤派。大予言者の新たなる書簡([[Les Blancs et Les Rouges, nouvelle lettre du Grand prophète]])(16pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -ノストラダムスと占星術。大予言者の新たなる書簡([[Nostradamus et l'astrologie, nouvelle lettre du Grand prophète]])(32pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -著者である大予言者ノストラダムスによって解釈されたいわゆるオリヴァリウスの予言とオルヴァルの予言([[Prophéties dites d'Olivarius et d'Orval, interprétées par leur auteur, Nostradamus le Grand prophète]].)(アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -大予言者ノストラダムスの暦([[Almanach du Grand prophète Nostradamus 1873]])(アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -ラ・サレットとルルド。大予言者の新たなる書簡([[La Salette et Lourdes, nouvelle lettre du Grand prophète]])(38pp., サン=ドニ;自費出版、1873年) -ナポレオン3世の死。大予言者の新たなる書簡([[Mort de Napoléon III, nouvelle lettre du Grand prophète]])(サン=ジャン=ダンジェリ;ルマリエ出版社、1873年) -マクマオンとナポレオン4世。大予言者の新たなる書簡([[Mac-Mahon et Napoléon IV, nouvelle lettre du Grand prophète]])(28pp., サン=ドニ;自費出版、1873年) -大予言者の新たなる書簡集:解明されたノストラダムス、あるいはデュパンルー閣下、ヴイヨ氏、そして近代的な諸予言の我々の解釈を前にしたノストラダムス([[Nouvelles lettres du Grand prophète : Nostradamus éclairci, ou Nostradamus devant Mgr Dupanloup, M. L. Veuillot et nos interprètes de prophéties modernes]])(ポン、テクシエ出版社、1874年) -大予言者の新たなる書簡集:白派の王と融和、あるいはノストラダムスによる現在と未来([[Nouvelles lettres du Grand prophète : Le Roy blanc et la fusion ou present et avenir par Nostradamus]])(サン=ジャン=ダンジェリ、1874年) -予言されたアンリ5世([[Henri V prédit]])(ブリュッセル;J. ファン・ゴンペルトリオン、1875年) -「大予言者」ノストラダムスの1877年向けの暦([[Ce qui sera ! Almanach du “Grand prophète” Nostradamus pour 1877]])(144pp., パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1876年) -「大予言者」ノストラダムスの1877年向けの暦(Ce qui sera ! Almanach du “Grand prophète” Nostradamus pour 1877)(136pp., パリ;自費出版、1877年) -「大予言者」ノストラダムスによる「そうなるだろう!」([[Ce qui sera ! d'après le “Grand prophète” Nostradamus... Suivi de l'Almanach du “Grand prophète” pour 1878]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1877年) -大予言者の新たなる書簡:予言的解釈について([[Nouvelle lettre du Grand prophète : De l'interprétation prophétique et...]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -1555年にその予言集が刊行されて以来今日に至るまでのフランス政府におけるノストラダムスの影響([[Influence de Nostradamus dans le gouvernement de la France, depuis la publication de ses prophéties en 1555, jusqu'à ce jour]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -ノストラダムスは予言・判断された歴史を綴る([[Nostradamus écrit l'histoire prédite et jugée]])(in-fol., パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -報奨金の1000フラン([[Mille francs de récompense ! ]])(1p., ベルトラン出版、1878年) -1879年向けのカレンダー。肯定しようが否定しようがノストラダムスは存在した([[Calendrier pour l'année 1879. Oui ou non, Nostradamus a-t-il existé]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1878年) -「大予言者」の1879年向けの暦([[Almanach du “Grand prophète” pour 1879]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1878年) -1880年向けの暦、あるいは「大予言者」ノストラダムスに従った「そうなるだろう!」([[Almanach pour 1880, ou Ce qui sera ! d'après le “Grand prophète” Nostradamus]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1879年) ---- #comment
 &bold(){アンリ・トルネ=シャヴィニー}(Henri Torné-Chavigny, 1826年6月20日 - 1880年7月5日)は、フランスの司祭。ノストラダムス予言の信奉者であり、[[エドガー・レオニ]]が言うところの「19世紀の三大解釈者」の一人である(後2人は[[ウジェーヌ・バレスト]]と[[アナトール・ル・ペルチエ]])。  [[ロベール・ブナズラ]]は「ノストラダムスの注釈者の中で一番の有名人」((Benazra [1990] p.405))と紹介している。  本名はアンリ=アントワーヌ・トルネ(Henri-Antoine Torné)だが、ノストラダムスの秘書[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]に肖って、姓に「シャヴィニー」を加えた。  司祭であったことから、&bold(){トルネ師}(アベ・トルネ, l'abbé Torné)とも呼ばれる。  日本語文献に、ノストラダムスの秘書(弟子)の名前を「トルネー」としているものがあるのは、明らかにシャヴィニー本人と、このトルネ=シャヴィニーとを取り違えたものであろう。 #ref(torne.PNG) 【画像】トルネ=シャヴィニーの肖像画([[解釈書に利用された図版>ノストラダムスの肖像画 (予言され裁定された歴史)]]の抜粋)((画像の出典:Leroy [1993])) *生涯  本人の語るところによれば、1826年に[[ラ・ロッシェル]]で生まれたという。  母方の祖父の名はノエル=ジャック・シャヴィニ(Noël-Jacques Chavigni)で、アンリ・トルネは後年、この姓がノストラダムスの秘書シャヴィニー(Chavigny)とほぼ同じものであることもあって、自らの姓に付け加えたのだという。  彼は、1852年にラ・ロッシェルで司祭に任命された後、翌年サン=レジェ=アン=ポンの主任司祭となり、次いで1855年には[[ラ・クロット]]、1865年には[[サン=ドニ=デュ=パン]](1865年)にそれぞれ赴任し主任司祭を務めた。ノストラダムスに関心を持ち、多くの文献を集めて研究を行った。後には研究に専念するため、司祭職を辞した。  彼が1860年から1862年、および1870年代の足かけ20年間に刊行したノストラダムス関連書は、下に挙げるように30点を超える。19世紀までの信奉者は1-2冊の解釈書しか出さないのが普通だったことからすると、彼の活動は突出したものであった。  彼は熱烈なレジティミスト(ブルボン王朝支持者)であり、シャンボール伯アンリが王位に就くことを疑わなかった。それゆえ、彼の近未来解釈には「アンリ5世」に関連するものが多くあった。結局、シャンボール伯は王位に就くことなく1883年に世を去るが、トルネ=シャヴィニーはその3年前に没し、自身の解釈の結果を見ることはなかった((生涯の記述の大部分は Chevignard [1999] pp.47-50 に拠った))。  彼の解釈は典型的な信奉者のものであり、[[詩百篇第8巻1番]]で Pau, Nay, Lolon からアナグラムで「国王ナポロン」(Roy Napaulon,ナポレオン)を導き出す解釈のように、後代に踏襲されたものもある。  また、[[詩百篇第9巻1番]]に自分のことが予言されていると解釈した((Benazra [1990] p.406))。同じ詩は、後に[[中村惠一]]や[[ヴライク・イオネスク]]も「自分のことだ」と解釈したが、自分のことを『予言集』の中に見出そうとする手合いの中でも、おそらく彼の解釈は最も初期の部類に属していると考えられる。  また、「1999年7か月」で始まる有名な[[詩百篇第10巻72番]]を世界の終末と結び付けたのも、おそらく彼が最初だったはずである。  その一方で、彼は、ノストラダムスの『予言集』第一序文([[セザールへの手紙]])が[[ジロラモ・サヴォナローラ]]の著書と酷似した箇所を多く含むことや、『[[1559年9月16日に起こるであろう蝕の意味>Les Significations de l'Eclipse, qui sera le 16. Septembre 1559.]]』が、[[キュプリアヌス・レオウィティウス]]の著書からの転用を含むことを指摘するなど((Brind’Amour [1996] p.584, Chevignard [1999] p.444))、現在の実証的な研究にも寄与する重要な指摘も行っており、「思い込みの激しい信奉者」だけでは片付けられない側面も持っていた。  彼はノストラダムスに関するかなりの文献を持っていたようだが、フランス国立図書館などに寄贈することは拒んだ。彼の予言解釈ではパリの破滅が導き出されていたからであり、寄贈した書物が灰燼に帰することを恐れたからだという((高田 [2000] ))。  なお、蔵書の少なくとも一部は、弟子筋に当たる[[エクトール・リゴー]]が譲り受けた。 *著作リスト  ボルドーで初期の著作の出版を請け負っていたのは、ジュスタン・デュピュイ未亡人出版社(Typographie V&sup(){e} Justin Dupuy & C&sup(){e})であった。 -ノストラダムスによって予言・判断された歴史([[L'histoire prédite et jugée par Nostradamus]])(全3巻、ボルドー、1860-1862年) -1860年の概観、四行詩30篇の解釈([[Prospectus de 1860 : interprétation de 30 quatrains]])(刊行地未詳、8pp., 1860年) -ノストラダムス予言集と黙示録の対照、あるいはノストラダムスによって解釈された黙示録([[Concordance des prophéties de Nostradamus avec l'Apocalypse, ou l'Apocalypse interprétée par Nostradamus]])(ボルドー、1861年) -1566年にピエール・リゴーによって出版された『予言集』復刻版([[Réédition du Livre des Prophéties de Nostradamus, publié en 1566 chez Pierre Rigaud]].)(ボルドー、1862年) -『ノストラダムスによって予言・判断された歴史』および『同じ著者により解釈された黙示録』に依拠した大予言者の書簡(Lettres du grand prophète d'après l'histoire prédite et jugée par Nostradamus et l'Apocalypse interprétée par le même auteur.)(サン=ジャン=ダンジュリ;ウジェーヌ・ルマリエ、1870年) -ノストラダムスによる予言的肖像群([[Portraits prophétiques d'après Nostradamus]])(ポワチエ;アンリ・ウーダン、1871年) -大予言者ノストラダムスの暦([[Almanach du Grand prophète Nostradamus 1872]])(パリ;ルジ・リュフェ社、1871年) -1566年にピエール・リゴーによって出版された『予言集』復刻版(再版、アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -ノストラダムス予言集と黙示録の対照、あるいはノストラダムスによって解釈された黙示録(再版、サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1872年) -アントウェルペンにおけるアンリ5世。大予言者の新たなる書簡([[Henri V à Anvers. Nouvelle lettre du Grand prophète]])(16pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -白派と赤派。大予言者の新たなる書簡([[Les Blancs et Les Rouges, nouvelle lettre du Grand prophète]])(16pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -ノストラダムスと占星術。大予言者の新たなる書簡([[Nostradamus et l'astrologie, nouvelle lettre du Grand prophète]])(32pp., サン=ドニ;自費出版、1872年) -著者である大予言者ノストラダムスによって解釈されたいわゆるオリヴァリウスの予言とオルヴァルの予言([[Prophéties dites d'Olivarius et d'Orval, interprétées par leur auteur, Nostradamus le Grand prophète]].)(アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -大予言者ノストラダムスの暦([[Almanach du Grand prophète Nostradamus 1873]])(アングレーム;ジラール未亡人、1872年) -ラ・サレットとルルド。大予言者の新たなる書簡([[La Salette et Lourdes, nouvelle lettre du Grand prophète]])(38pp., サン=ドニ;自費出版、1873年) -ナポレオン3世の死。大予言者の新たなる書簡([[Mort de Napoléon III, nouvelle lettre du Grand prophète]])(サン=ジャン=ダンジェリ;ルマリエ出版社、1873年) -マクマオンとナポレオン4世。大予言者の新たなる書簡([[Mac-Mahon et Napoléon IV, nouvelle lettre du Grand prophète]])(28pp., サン=ドニ;自費出版、1873年) -大予言者の新たなる書簡集:解明されたノストラダムス、あるいはデュパンルー閣下、ヴイヨ氏、そして近代的な諸予言の我々の解釈を前にしたノストラダムス([[Nouvelles lettres du Grand prophète : Nostradamus éclairci, ou Nostradamus devant Mgr Dupanloup, M. L. Veuillot et nos interprètes de prophéties modernes]])(ポン、テクシエ出版社、1874年) -大予言者の新たなる書簡集:白派の王と融和、あるいはノストラダムスによる現在と未来([[Nouvelles lettres du Grand prophète : Le Roy blanc et la fusion ou present et avenir par Nostradamus]])(サン=ジャン=ダンジェリ、1874年) -予言されたアンリ5世([[Henri V prédit]])(ブリュッセル;J. ファン・ゴンペルトリオン、1875年) -「大予言者」ノストラダムスの1877年向けの暦([[Ce qui sera ! Almanach du “Grand prophète” Nostradamus pour 1877]])(144pp., パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1876年) -「大予言者」ノストラダムスの1877年向けの暦(Ce qui sera ! Almanach du “Grand prophète” Nostradamus pour 1877)(136pp., パリ;自費出版、1877年) -「大予言者」ノストラダムスによる「そうなるだろう!」([[Ce qui sera ! d'après le “Grand prophète” Nostradamus... Suivi de l'Almanach du “Grand prophète” pour 1878]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1877年) -大予言者の新たなる書簡:予言的解釈について([[Nouvelle lettre du Grand prophète : De l'interprétation prophétique et...]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -1555年にその予言集が刊行されて以来今日に至るまでのフランス政府におけるノストラダムスの影響([[Influence de Nostradamus dans le gouvernement de la France, depuis la publication de ses prophéties en 1555, jusqu'à ce jour]])(パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -ノストラダムスは予言・判断された歴史を綴る([[Nostradamus écrit l'histoire prédite et jugée]])(in-fol., パリ / サン=ドニ=デュ=パン;自費出版、1878年) -報奨金の1000フラン([[Mille francs de récompense ! ]])(1p., ベルトラン出版、1878年) -1879年向けのカレンダー。肯定しようが否定しようがノストラダムスは存在した([[Calendrier pour l'année 1879. Oui ou non, Nostradamus a-t-il existé]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1878年) -「大予言者」の1879年向けの暦([[Almanach du “Grand prophète” pour 1879]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1878年) -1880年向けの暦、あるいは「大予言者」ノストラダムスに従った「そうなるだろう!」([[Almanach pour 1880, ou Ce qui sera ! d'après le “Grand prophète” Nostradamus]])(パリ;ジュール・ル・クレール出版社、1879年) ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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