予兆詩第72番

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予兆詩第72番 1561年9月について *原文 L'Occident libre, les isles Britanniques. Le recongnu passer le bas puis haut. Le content triste, [[rebel.>Rebel.]] Corse, [[Scotiques>Scotique]]. Puis rebeller par glas, & par nuit chaut.((原文は Chevignard [1999] p.148 による。)) **異文  この詩は従来の予兆詩集に含まれていなかった。初出である『[[1561年向けの暦>Almanach, Pour L'an 1561.]]』は断片が現存しているが、この詩が載っていたページは現存していない。そうした事情のため、異文が存在しない。  ただし、[[百詩篇第7巻80番]]としての異文なら存在する。それについてはそちらの記事を参照のこと。 **校訂  3行目の Corse は、むしろ従来[[百詩篇第7巻80番]]で言われてきたように、[[corss.]]と読んだ上で corsaires(海賊たち)の略と理解することも可能という指摘もある((Chevignard [1999]))。 *日本語訳 自由な西方、イギリス諸島。 認められた者は低きを通る、ついで高きを。 悲しい満足、反逆、コルシカ島、スコットランド人 そして、弔鐘が鳴る暑い夜に反逆する。 *解説  この詩は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が『フランスのヤヌスの第一の顔』に収録しなかったため、従来の予兆詩集には含まれていなかった。  しかし、[[バルブ・ルニョー]]が出版した海賊版の『予言集』には[[百詩篇第7巻80番]]として掲載されていたため、百詩篇のうちの1篇として解釈が積み重ねられてきた。そこでの解釈は、主にアメリカ独立戦争などと関連付けるものだった。  ノストラダムスは暦書の予言を前の年の前半にはまとめていたと推測されている。それが正しいのなら、この詩が書かれたのは1560年前半ということになるだろう。  さて、1560年当時のフランスとスコットランドの情勢がどのようなものであったか確認しておこう。当時のフランス国王はフランソワ2世で、その妻メアリはフランス王妃であるとともにスコットランド女王でもあった。彼女の親フランス・親カトリックの姿勢にはスコットランド国内での反発があり、前年(1559年)5月にはプロテスタントたちの大規模な反乱が起こっていた。 これを踏まえて1560年に結ばれたエディンバラ条約によって、スコットランド駐留のフランス軍は撤退することになった。  つまり、イギリス国教会の支配を再確立しようとするイングランド女王エリザベスとの確執も含め、当時のスコットランド情勢は、フランス政治にとって重大な関心事のひとつであった。  この予兆詩の細部に不明瞭さはあるが、アメリカ独立戦争を持ち出すまでもなく、当時の時代状況から十分に理解できる可能性がある。  なお、ノストラダムスは「西の果て」をしばしばイギリス諸島の意味で用いていたため((Brind’Amour [1996] pp.382-383))、ここでも「自由な西方」と「イギリス諸島」は並列的な関係の可能性がある。だから、「自由な西方」がイギリスから見て西のアメリカを指すと決め付けるわけにはいかないだろう。 ---- #comment
予兆詩第72番 1561年9月について *原文 L'Occident libre, les isles Britanniques. Le recongnu passer le bas puis haut. Le content triste, [[rebel.>Rebel.]] Corse, [[Scotiques>Scotique]]. Puis rebeller par glas, & par nuit chaut.((原文は Chevignard [1999] p.148 による。)) **異文  この詩は従来の予兆詩集に含まれていなかった。初出である『[[1561年向けの暦>Almanach, Pour L'an 1561.]]』は断片が現存しているが、この詩が載っていたページは現存していない。そうした事情のため、異文が存在しない。  ただし、[[百詩篇第7巻80番]]としての異文なら存在する。それについてはそちらの記事を参照のこと。 **校訂  3行目の Corse は、むしろ従来[[百詩篇第7巻80番]]で言われてきたように、[[corss.]]と読んだ上で corsaires(海賊たち)の略と理解することも可能という指摘もある((Chevignard [1999]))。 *日本語訳 自由な西方、[[イギリス諸島]]。 認められた者は低きを通る、ついで高きを。 悲しい満足、反逆、[[コルシカ島]]、スコットランド人 そして、弔鐘が鳴る暑い夜に反逆する。 *解説  この詩は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が『フランスのヤヌスの第一の顔』に収録しなかったため、従来の予兆詩集には含まれていなかった。  しかし、[[バルブ・ルニョー]]が出版した海賊版の『予言集』には[[百詩篇第7巻80番]]として掲載されていたため、百詩篇のうちの1篇として解釈が積み重ねられてきた。そこでの解釈は、主にアメリカ独立戦争などと関連付けるものだった。  ノストラダムスは暦書の予言を前の年の前半にはまとめていたと推測されている。それが正しいのなら、この詩が書かれたのは1560年前半ということになるだろう。  さて、1560年当時のフランスとスコットランドの情勢がどのようなものであったか確認しておこう。当時のフランス国王はフランソワ2世で、その妻メアリはフランス王妃であるとともにスコットランド女王でもあった。彼女の親フランス・親カトリックの姿勢にはスコットランド国内での反発があり、前年(1559年)5月にはプロテスタントたちの大規模な反乱が起こっていた。 これを踏まえて1560年に結ばれたエディンバラ条約によって、スコットランド駐留のフランス軍は撤退することになった。  つまり、イギリス国教会の支配を再確立しようとするイングランド女王エリザベスとの確執も含め、当時のスコットランド情勢は、フランス政治にとって重大な関心事のひとつであった。  この予兆詩の細部に不明瞭さはあるが、アメリカ独立戦争を持ち出すまでもなく、当時の時代状況から十分に理解できる可能性がある。  なお、ノストラダムスは「西の果て」をしばしばイギリス諸島の意味で用いていたため((Brind’Amour [1996] pp.382-383))、ここでも「自由な西方」と「イギリス諸島」は並列的な関係の可能性がある。だから、「自由な西方」がイギリスから見て西のアメリカを指すと決め付けるわけにはいかないだろう。 ---- #comment

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