アントワーヌ・ウイック

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*アントワーヌ・ウイック &bold(){アントワーヌ・ウイック}(Antoine Houic)は、16世紀パリの出版業者(活動期間 1566年-1585年)。未亡人マドレーヌ・ベルトランと結婚(初婚または再婚)し、マドレーヌの前夫[[チボー・ベソー]]の出版事業と「ゾウ」の旗印を引き継いだ。  1585年に引退し、その後はパリ盲人院の会計係(procureur et receveur)となった。出版事業は娘マリーの婿でチボー・ベソーの息子でもあるジャン・ベソーに引き継がれた。  アントワーヌ・ウイックは1588年11月20日に薬剤師ジャン・プレオーの未亡人ジェルメーヌ・ド・バル(Germaine de Bar)と再婚(または三婚)し、少なくとも1597年までは生きていたことが確認できる((Ronouard [1965] p.209))。 **ノストラダムス関連 ノストラダムスの著書を出版したことはなかったようである。その代わり、自称「ノストラダムスの弟子」[[フロラン・ド・クロー]]の暦書を出版していた。現存または伝聞によって確認できるのは、1570年向け、1583年向け、1586年向けだけだが、それ以外の年にも出版していた可能性はある。  事業を引き継いだジャン・ベソーはノストラダムス関連書の出版はしなかったようである。  結果として、「ゾウ」の旗印を引き継いだ出版業者([[バルブ・ルニョー]]、[[チボー・ベソー]]、アントワーヌ・ウイック)は、誰一人として正規の関連書を出版しなかったことになる。 ---- #comment
 &bold(){アントワーヌ・ウイック}(Antoine Houic)は、16世紀パリの出版業者(活動期間 1566年-1585年)。未亡人マドレーヌ・ベルトランと結婚(初婚または再婚)し、マドレーヌの前夫[[チボー・ベソー]]の出版事業と「ゾウ」の旗印を引き継いだ。  1585年に引退し、その後はパリ盲人院の会計係(procureur et receveur)となった。出版事業は娘マリーの婿でチボー・ベソーの息子でもあるジャン・ベソーに引き継がれた。  アントワーヌ・ウイックは1588年11月20日に薬剤師ジャン・プレオーの未亡人ジェルメーヌ・ド・バル(Germaine de Bar)と再婚(または三婚)し、少なくとも1597年までは生きていたことが確認できる((Ronouard [1965] p.209))。 *ノストラダムス関連 ノストラダムスの著書を出版したことはなかったようである。その代わり、自称「ノストラダムスの弟子」[[フロラン・ド・クロー]]の暦書を出版していた。現存または伝聞によって確認できるのは、1570年向け、1583年向け、1586年向けだけだが、それ以外の年にも出版していた可能性はある。  事業を引き継いだジャン・ベソーはノストラダムス関連書の出版はしなかったようである。  結果として、「ゾウ」の旗印を引き継いだ出版業者([[バルブ・ルニョー]]、[[チボー・ベソー]]、アントワーヌ・ウイック)は、誰一人として正規の関連書を出版しなかったことになる。 ---- #comment

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