百詩篇第7巻83番

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*原文 Vents&sup(){1} chaut, conseil, pleurs & timidité&sup(){2}, De nuict au lict assailly sans les armes&sup(){3}, D'oppression grande&sup(){4} calamité, L'epithalame&sup(){5} conuerty pleurs & larmes. **異文 (1) Vents 1588Rf 1589Rg : Vent &italic(){T.A.Eds.} (2) & timidité 1588Rf 1589Rg : timidité &italic(){T.A.Eds.} (3) armes : Armes 1672 (4) grande : grand 1672 (5) L'epithalame : L'epithalme 1660 1668P, L'Epithalame 1672 (注記)底本は1588Rf で、比較に用いたのは 1589Rg, 1589Me, 1605, 1611A, 1628, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1660, 1668, 1672 である。リヨンで出された版などには原則として掲載されていない。 *日本語訳 熱風、議会、悲しみと恐れ。 夜の寝台にて、丸腰で襲われた者。 抑圧による大惨禍。 祝婚歌は悲しみと涙に換えられる。 **訳について  大乗訳4行目「エピタラムは涙で放心するだろう」((大乗 [1975] p.214))は、元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The Epithalamium shall be converted into tears. ((Roberts [1949] p.230))と見比べても、根拠がよく分からない訳。 *信奉者側の見解  [[池田邦吉]]は金日成の死去(1994年7月)の予言とした。彼は4行目の「祝婚歌」を単に「歌」と訳し、反語的表現で「葬送歌」を意味している可能性があるとしている。詩番号は、金日成が「7」月に「83」歳(数え年)で死ぬことを言い当てているという((池田『未来からの警告』pp.64-66))。 *同時代的な視点  この詩は本来[[1561年12月向けの予兆>予兆詩第75番]]として発表されたものだった。その前半と後半を入れ替えて、百詩篇第7巻83番と位置づけたのは[[バルブ・ルニョー]]による非正規版が最初であり、その詩番号にはなんら正統性がない。そこから何らかの予言を読み取る行為は、それが単なるこじ付けに過ぎないことを示している。  婚礼が一転して大惨事になったという意味では、たとえばサン=バルテルミーの虐殺を的中させたと見えないこともないが、詩の他の部分は非常に曖昧であり、むしろ当時の宗教戦争の状況を漠然と示しているようにも見える。  なお、4行目 converti を[[ベルナール・シュヴィニャール]]は convertit と校訂していることも付け加えておく([[予兆詩第75番]]参照)。その場合、婚礼が惨事に変わるのではなく、婚礼が惨事を払拭するといった意味になるだろう。 ---- #comment
*原文 Vents&sup(){1} chaut, conseil, pleurs & timidité&sup(){2}, De nuict au lict assailly sans les armes&sup(){3}, D'oppression grande&sup(){4} calamité, L'epithalame&sup(){5} conuerty pleurs & larmes. **異文 (1) Vents 1588Rf 1589Rg : Vent &italic(){T.A.Eds.} (2) & timidité 1588Rf 1589Rg : timidité &italic(){T.A.Eds.} (3) armes : Armes 1672 (4) grande : grand 1672 (5) L'epithalame : L'epithalme 1660 1668P, L'Epithalame 1672 (注記)底本は1588Rf で、比較に用いたのは 1589Rg, 1589Me, 1605, 1611A, 1628, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1660, 1668, 1672 である。リヨンで出された版などには原則として掲載されていない。 *日本語訳 熱風、議会、悲しみと恐れ。 夜の寝台にて、丸腰で襲われた者。 抑圧による大惨禍。 祝婚歌は悲しみと涙に換えられる。 **訳について  大乗訳4行目「エピタラムは涙で放心するだろう」((大乗 [1975] p.214))は、元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The Epithalamium shall be converted into tears. ((Roberts [1949] p.230))と見比べても、根拠がよく分からない訳。 *信奉者側の見解  [[池田邦吉]]は金日成の死去(1994年7月)の予言とした。彼は4行目の「祝婚歌」を単に「歌」と訳し、反語的表現で「葬送歌」を意味している可能性があるとしている。詩番号は、金日成が「7」月に「83」歳(数え年)で死ぬことを言い当てているという((池田『未来からの警告』pp.64-66))。 *同時代的な視点  この詩は本来[[1561年12月向けの予兆>予兆詩第75番]]として発表されたものだった。その前半と後半を入れ替えて、百詩篇第7巻83番と位置づけたのは[[バルブ・ルニョー]]による非正規版が最初であり、その詩番号にはなんら正統性がない。そこから何らかの予言を読み取る行為は、それが単なるこじ付けに過ぎないことを示している。  婚礼が一転して大惨事になったという意味では、たとえばサン=バルテルミーの虐殺を的中させたと見えないこともないが、詩の他の部分は非常に曖昧であり、むしろ当時の宗教戦争の状況を漠然と示しているようにも見える。  なお、4行目 converti を[[ベルナール・シュヴィニャール]]は convertit と校訂していることも付け加えておく([[予兆詩第75番]]参照)。その場合、婚礼が惨事に変わるのではなく、婚礼が惨事を払拭するといった意味になるだろう。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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