ゲーテのパスツール・ショック

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 「&bold(){ゲーテのパスツール・ショック}」は、[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言]]』で紹介しているエピソードである。年代的に全く整合しないため、史実を含まない単なる創作と考えられる。 *概要  五島によると、パスツールが20代のとき、ワイマール公国の宰相を務めていたゲーテと親交があり、ゲーテはパスツールの研究成果を衛生政策に取り入れていた。そんなある日、執務室で『予言集』を読んでいたゲーテは、[[百詩篇第1巻25番]]にパスツールの名が予言されているのに気づいて、驚愕のあまり叫びながら椅子から転げ落ちたという。五島はこの出来事を19世紀初頭のことと紹介している。  このエピソードは、[[スチュワート・ロッブ]]ら海外の研究者が紹介しているものだという((五島『ノストラダムスの大予言』1973年赤背版、pp.76-80))。 *コメント  このエピソードが発表されてまもなく、[[高木彬光]]が年代の不整合を指摘した。ゲーテは1832年歿、パスツールは1822年生まれで、ゲーテが死んだ時点ですら、パスツールは10歳でしかないというわけだ((高木 [1975] pp.136-142))。  五島はもともと「ゲーテのパスツール・ショック」を紹介した際に、「こまかい年代を追及していくと多少の疑問が出てくる」((前掲書、p.80))と注記していたが、よりあとの改訂版では高木の批判を意識したのか、さらに「当時、ルイ・パスツールはまだ子どもで」という文言を加えている((前掲書、1991年第443版、p.80))。五島の改訂については、公刊された文献では志水一夫が最初に指摘していた((志水 [1991]))。  なお、五島の主張とは裏腹に、ロッブの関連書にはこんなエピソードは出てこない。 ---- #comment
 「&bold(){ゲーテのパスツール・ショック}」は、[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言]]』で紹介しているエピソードである。  年代的に全く整合しないため、史実を含まない単なる創作と考えられる。 *概要  五島によると、パスツールが20代のとき、ワイマール公国の宰相を務めていたゲーテと親交があり、ゲーテはパスツールの研究成果を衛生政策に取り入れていた。  そんなある日、執務室でノストラダムスの『予言集』を読んでいたゲーテは、[[詩百篇第1巻25番]]にパスツールの名が予言されているのに気づいて、驚愕のあまり叫びながら椅子から転げ落ちたという。  五島はこの出来事を19世紀初頭のことと紹介している。  このエピソードは、[[スチュワート・ロッブ]]ら海外の研究者が紹介しているものだという((五島『ノストラダムスの大予言』1973年赤背版、pp.76-80))。 #amazon(4267016542) &color(gray){【画像】『新装版・ゲーテ全集1』} *コメント  このエピソードが発表されてまもなく、[[高木彬光]]が年代の不整合を指摘した。  ゲーテは1832年歿、パスツールは1822年生まれで、ゲーテが死んだ時点ですら、パスツールは10歳でしかないというわけだ((高木 [1975] pp.136-142))。  五島はもともと「ゲーテのパスツール・ショック」を紹介した際に、「こまかい年代を追及していくと多少の疑問が出てくる」((前掲書、p.80))と注記していたが、よりあとの改訂版では高木の批判を意識したのか、さらに「当時、ルイ・パスツールはまだ子どもで」という文言を加えている((前掲書、1991年第443版、p.80))。  五島の改訂については、公刊された文献では[[志水一夫]]が最初に指摘していた((志水 [1991]))。  なお、五島の主張とは裏腹に、&color(red){ロッブの関連書にはこんなエピソードは出てこない}。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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