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*原文
Du pont Euxine&sup(){1}, & la grand&sup(){2} Tartarie,
Vn roy&sup(){3} sera qui viendra voir la Gaule:
Transpercera&sup(){4} [[Alane]] & l'Armenie&sup(){5},
Et dans&sup(){6} Bisance [[lairra>laier]]&sup(){7} sanglante Gaule&sup(){8}.
**異文
(1) Euxine : Exine 1597 1600 1610 1611 1716, Eunixe 1649Ca 1792Du
(2) grand : grand' 1597 1611 1660
(3) roy 1557U 1557B 1568 1589PV : Roy &italic(){T.A.Eds.}
(4) Transpercera : Transportera 1588-89
(5) l'Armenie : l'armenie 1589PV
(6) dans: dedans 1867
(7) lairra : Lairra 1672
(8) Gaule : gaule 1597 1600 1610 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1667 1668 1716
(注記)1792Du は、1792年ヴァン・デュレン版『予言集』の異文。原文の系統を考える上で特徴的な異文のため、掲載しておく。
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は [[Alane]] を Alans と校訂している。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は追随しているものの、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[マリニー・ローズ]]らは特にそのような校訂の必要性を認めていない。
しかし、意味が「アラニ人」か「アラニ人の土地」かの違いでしかなく、どちらの立場も大筋で一致していると見てよいだろう。
*日本語訳
ポントゥス・エウクシヌスと大タルタリアから、
一人の王が現れるだろう。彼はガリアを見に来ようとして、
アラニアとアルメニアを貫通し、
[[ビュザンティオン>イスタンブル]]では血塗られた鞭を残すだろう。
**訳について
大乗訳、山根訳はおおむね問題はない。
「ポントゥス・エウクシヌス」は黒海のことなので、訳の時点で「黒海」としても特に問題はないだろう。 なお、「大タルタリア」はラメジャラーが greater を使って訳しているように、「広義のタルタリア」といった意味に理解すべきだろう。
Alane をブランダムールのようにアラニ人そのものと読めば、3行目は「アラニ人たちとアルメニアを貫通し」となる。ただし、ここでは伝統的な [[Alane]]の理解や、高田勇・伊藤進訳で「アラニ族の地」((高田・伊藤 [1999] p.141))とされていることを踏まえ、それに近い訳を採用した。
*信奉者側の見解
[[エリカ・チータム]]は、[[第2巻29番>百詩篇第2巻29番]]と関連付けつつ、20世紀末にアジアから第三の[[反キリスト]]が現れ、ロシア南部やトルコを経由してヨーロッパに攻めてくる予言と解釈した。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の解釈も、大筋は似たようなものである((Cheetham [1990], Fontbrune [1980]))。
こうした解釈は、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1939年)や[[アンドレ・ラモン]](1943年)にすでに見られる((Lamont [1943] p.341))。
もっともマックスの場合は息子と異なり、Alane を Aalen と[[アナグラム]]した上でヴュルテンベルクと結びつけ、トルコやヴュルテンベルクを経由して攻めてくると解釈していた((M. de Fontbrune [1939] pp.271-272))。
この解釈は、息子ジャン=シャルルが自費出版した改訂版では「アラニ人の居住地」とする読み方に差し替えられているが((M. de Fontbrune [1975] p.286))、マックス自身の改訂なのか、息子による改変なのかはよく分からない。
[[セルジュ・ユタン]]は、1959年にフルシチョフがパリを訪問したことと解釈した((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
詩の情景は読んだとおりであり、中央アジアからロシア南部、アルメニア、トルコなどを経由して、フランスにやってくる人物のことが描かれている。
[[第2巻29番>百詩篇第2巻29番]]と関連付けることは、[[ピエール・ブランダムール]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]らもおこなっており、特に問題はないと思われる((Brind’Amour [1996], Clébert [2003], 高田・伊藤 [1999]))。
歴史的なモデルは、アッティラ、ティムール、モンゴル軍などの侵攻が想定されている。
全く異なるモデルを提示したのが、ロジェ・プレヴォである。彼は、ラテン帝国崩壊(1261年)と捉えた。
ラテン帝国が崩壊したとき、その皇帝ボードワン2世はミハイル8世パライオロゴスによって、「黒海と大タルタリア」にあったラテン帝国から西ヨーロッパへと叩き出された。国を追われたボードワン2世は人目を引くために聖遺物を多く持っていたと称し、イエスを打ち据えるのに使われたとされる鞭をビュザンティオンに置いてきたとも述べていたという((Prévost [1999] pp.201-202))。
侵略者の描写という従来のイメージとはかけ離れた読み方だが、詩の情景にある程度一致しているといえないこともない。
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*原文
Du pont Euxine&sup(){1}, & la grand&sup(){2} Tartarie,
Vn roy&sup(){3} sera qui viendra voir la Gaule:
Transpercera&sup(){4} [[Alane]] & l'Armenie&sup(){5},
Et dans&sup(){6} Bisance [[lairra>laier]]&sup(){7} sanglante Gaule&sup(){8}.
**異文
(1) Euxine : Exine 1597 1600 1610 1611 1716, Eunixe 1649Ca 1792Du
(2) grand : grand' 1597 1611 1660
(3) roy 1557U 1557B 1568 1589PV : Roy &italic(){T.A.Eds.}
(4) Transpercera : Transportera 1588-89
(5) l'Armenie : l'armenie 1589PV
(6) dans: dedans 1867
(7) lairra : Lairra 1672
(8) Gaule : gaule 1597 1600 1610 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1667 1668 1716
(注記)1792Du は、1792年ヴァン・デュレン版『予言集』の異文。原文の系統を考える上で特徴的な異文のため、掲載しておく。
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は [[Alane]] を Alans と校訂している。
[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は追随しているものの、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[マリニー・ローズ]]らは特にそのような校訂の必要性を認めていない。
しかし、意味が「アラニ人」か「アラニ人の土地」かの違いでしかなく、どちらの立場も大筋で一致していると見てよいだろう。
*日本語訳
ポントゥス・エウクシヌスと大タルタリアから、
一人の王が現れるだろう。彼はガリアを見に来ようとして、
アラニアとアルメニアを貫通し、
[[ビュザンティオン>イスタンブル]]では血塗られた鞭を残すだろう。
**訳について
大乗訳、山根訳はおおむね問題はない。
「ポントゥス・エウクシヌス」は黒海のことなので、訳の時点で「黒海」としても特に問題はないだろう。
なお、「大タルタリア」はラメジャラーが greater を使って訳しているように、「広義のタルタリア」といった意味に理解すべきだろう。
Alane をブランダムールのようにアラニ人そのものと読めば、3行目は「アラニ人たちとアルメニアを貫通し」となる。
ただし、ここでは伝統的な [[Alane]]の理解や、高田勇・伊藤進訳で「アラニ族の地」((高田・伊藤 [1999] p.141))とされていることを踏まえ、それに近い訳を採用した。
*信奉者側の見解
[[エリカ・チータム]]は、[[第2巻29番>百詩篇第2巻29番]]と関連付けつつ、20世紀末にアジアから第三の[[反キリスト]]が現れ、ロシア南部やトルコを経由してヨーロッパに攻めてくる予言と解釈した。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の解釈も、大筋は似たようなものである((Cheetham [1990], Fontbrune [1980]))。
こうした解釈は、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1939年)や[[アンドレ・ラモン]](1943年)にすでに見られる((Lamont [1943] p.341))。
もっともマックスの場合は息子と異なり、Alane を Aalen と[[アナグラム]]した上でヴュルテンベルクと結びつけ、トルコやヴュルテンベルクを経由して攻めてくると解釈していた((M. de Fontbrune [1939] pp.271-272))。
この解釈は、息子ジャン=シャルルが自費出版した改訂版では「アラニ人の居住地」とする読み方に差し替えられているが((M. de Fontbrune [1975] p.286))、マックス自身の改訂なのか、息子による改変なのかはよく分からない。
[[セルジュ・ユタン]]は、1959年にフルシチョフがパリを訪問したことと解釈した((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
アラニアは現在のロシア、アストラハン州のあたりを指す。
つまり、詩の情景は読んだとおりであり、中央アジアからロシア南部、アルメニア、トルコなどを経由して、フランスにやってくる人物のことが描かれている。
もっとも下の地図の通り、黒海から出発するのであれば、アラニア経由でトルコに回り、フランスへ至るルートはやや不自然な感もある。
[[第2巻29番>百詩篇第2巻29番]]と関連付けることは、[[ピエール・ブランダムール]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]らもおこなっており、特に問題はないと思われる((Brind’Amour [1996], Clébert [2003], 高田・伊藤 [1999]))。
歴史的なモデルは、アッティラ、ティムール、モンゴル軍などの侵攻が想定されている。
全く異なるモデルを提示したのが、ロジェ・プレヴォである。彼は、ラテン帝国崩壊(1261年)と捉えた。
ラテン帝国が崩壊したとき、その皇帝ボードワン2世はミハイル8世パライオロゴスによって、「黒海と大タルタリア」にあったラテン帝国から西ヨーロッパへと叩き出された。
国を追われたボードワン2世は人目を引くために聖遺物を多く持っていたと称し、イエスを打ち据えるのに使われたとされる鞭をビュザンティオンに置いてきたとも述べていたという((Prévost [1999] pp.201-202))。
侵略者の描写という従来のイメージとはかけ離れた読み方だが、詩の情景にある程度一致しているといえないこともない。
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