mansol

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 &bold(){mansol} はかつて謎とされていたが、[[エドガール・ルロワ]]の指摘以来、mausole(mausolée)の誤植にすぎないことが有力視されている。 *モゾル  モゾル(mausole)もしくはモゾレ(mausolée)は2通りの解釈が可能だが、いずれも[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]に近い[[グラヌム]]遺跡と深く結びついている。  モゾル(Mausole)と読む場合、それはサン=ポール=ド=モゾル(Saint-Paul-de-Mausole)のことだろう。[[百詩篇第9巻85番]]に見られる saint Pol de Manseoleなどは、この推察を裏付ける。  サン=ポール=ド=モゾルは、グラヌム遺跡近くにある旧修道院で、ゴッホが入院したことでも有名な精神病院に転用されている。一帯は19世紀には単独のコミューン(地方行政単位)を形成していたという。  モゾレ(mausolée)と読む場合、それはグラヌム遺跡にある「ユリウス家の霊廟」(Mausolée des Jules)と呼ばれる記念塔を指していると思われる。[[百詩篇第5巻57番]]に登場するDe SEXT. mansol などはそれを裏付けるものだろう(SEXT. はユリウスの息子セクストゥスのことと考えられる)。実際には霊廟ではなく単なる記念塔ともいわれるが、16世紀当時は霊廟と考えられていたという。 #image(Glanum.jpg) グラヌムの記念塔((画像の出典 : [[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Glanum-mausolee.jpg>>http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Glanum-mausolee.jpg]]))  いずれにしても、これはグラヌム周辺を指す表現であろうということになる((この節は Leroy [1993] pp.192-194, Brind’Amour [1996] pp.500-501 etc.))。 *旧来の説  かつて[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は「分からない」として訳していなかった。  解釈を展開したのは[[アナトール・ル・ペルチエ]]で、ラテン語 manens solus(独りでいる男)を合成した略語で、「独身者」=「聖職者、ローマ教皇」と読んだ。この読み方は、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]、[[ヴライク・イオネスク]]らに引き継がれ、20世紀以降の信奉者たちの読みにも大きな影響を及ぼした。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はその変形で、manus(労働)と sol(太陽)の合成語で「太陽の労働」を意味するとした。彼の場合、[[聖マラキの予言]]を引き合いに出し、ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世(在位1978年-2005年)と解釈した。 ---- #comment
 &bold(){mansol} はかつて謎とされていたが、[[エドガール・ルロワ]]の指摘以来、mausole(mausolée)の誤植にすぎないことが有力視されている。 *モゾル  モゾル(mausole)もしくはモゾレ(mausolée)は2通りの解釈が可能だが、いずれも[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]に近い[[グラヌム]]遺跡と深く結びついている。  モゾル(Mausole)と読む場合、それはサン=ポール=ド=モゾル(Saint-Paul-de-Mausole)のことだろう。[[詩百篇第9巻85番]]に見られる saint Pol de Manseoleなどは、この推察を裏付ける。  サン=ポール=ド=モゾルは、グラヌム遺跡近くにある旧修道院で、ゴッホが入院したことでも有名な精神病院に転用されている。一帯は19世紀には単独のコミューン(地方行政単位)を形成していたという。  モゾレ(mausolée)と読む場合、それはグラヌム遺跡にある「ユリウス家の霊廟」(Mausolée des Jules)と呼ばれる記念塔を指していると思われる。  [[詩百篇第5巻57番>百詩篇第5巻57番]]に登場するDe SEXT. mansol などはそれを裏付けるものだろう(SEXT. はユリウスの息子セクストゥスのことと考えられる)。  実際には霊廟ではなく単なる記念塔ともいわれるが、16世紀当時は霊廟と考えられていたという。 #image(Glanum.jpg) グラヌムの記念塔((画像の出典 : [[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Glanum-mausolee.jpg>>http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Glanum-mausolee.jpg]]))  いずれにしても、これはグラヌム周辺を指す表現であろうということになる((この節は Leroy [1993] pp.192-194, Brind’Amour [1996] pp.500-501 etc.))。 *旧来の説  かつて[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は「分からない」として訳していなかった。  解釈を展開したのは[[アナトール・ル・ペルチエ]]で、ラテン語 manens solus(独りでいる男)を合成した略語で、「独身者」=「聖職者、ローマ教皇」と読んだ。  この読み方は、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]、[[ヴライク・イオネスク]]らに引き継がれ、20世紀以降の信奉者たちの読みにも大きな影響を及ぼした。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はその変形で、manus(労働)と sol(太陽)の合成語で「太陽の労働」を意味するとした。  彼の場合、[[聖マラキの予言]]を引き合いに出し、ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世(在位1978年-2005年)と解釈した。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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