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+[[詩百篇第10巻]]>39番*
+
 *原文
-Premier&sup(){1} fils vefue malheureux&sup(){2} mariage,
-Sans nuls enfans deux Isles&sup(){3} en discord,
-Auant dixhuict&sup(){4} incompetant eage&sup(){5},
+Premier&sup(){1} fils vefue&sup(){2} malheureux&sup(){3} mariage,
+Sans nuls enfans deux Isles&sup(){4} en discord&sup(){5},
+Auant dixhuict&sup(){6} incompetant&sup(){7} eage&sup(){8},
 De l'autre pres plus bas sera l'accord.
 
 **異文
 (1) Premier : Dremier 1650Ri
-(2) malheureux : mal-heureux 1600 1668P, mal'heureux 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le
-(3) Isles : isles 1594JF 1772Ri
-(4) dixhuict : dix huict 1568A 1660 1772Ri, dix-huict 1644 1649Xa 1668P 1716
-(5) eage : Aage 1672
+(2) vefue : veufue 1603Mo 1650Mo 1650Le 1668A 1672Ga
+(3) malheureux : mal-heureux 1610Po 1668P, mal'heureux 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le
+(4) Isles : isles 1594JF 1772Ri
+(5) en discord : endiscord 1716PR
+(6) dixhuict : dix huict 1568X 1981EB 1772Ri, dix-huict 1644Hu 1649Xa 1667Wi 1668P 1716PR 1720To
+(7) incompetant : incomperant 1716PRc
+(8) eage / aage : cage 1607PR, Aage 1672Ga
 
 *日本語訳
 長男、未亡人、不幸な結婚、
 一人の子もなく。二つの島が不和になる。
 十八の前、不適格な年齢。
-概ね一層低い他の者によって合意に至るだろう。
+おおむね一層低い他の者によって合意に至るだろう。
 
 **訳について
  山根訳はそれほど問題はない。4行目「ほかの者 より年若き者が婚約するだろう」((山根[1988] p.325))は、意訳の範囲として許容されるだろう。accord を「婚約」の意味で用いる例は DMA や DAF には見られないが、[[ピーター・ラメジャラー]]もそのように訳している。
 なお、山根訳では pres(約、およそ)を十分に訳しきれていない。ただ、これは従来の諸論者も必ずしも十分に反映されてこなかったものである。
  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は apres の語頭音消失としていたが、こうした可能性も考慮する必要があるのかもしれない。
 
  大乗訳もおおむね許容範囲内といえる。その1行目「はじめの息子は不幸な結婚でやもめになり」((大乗 [1975] p.294))もありうる訳である。というのは、vefue は16世紀には未亡人の意味にも男やもめの意味にも用いられたからである((Clébert [2003]))。
 
 *信奉者側の見解
  国王フランソワ2世の結婚と死、そして後を継いだシャルル9世の婚約を鮮やかに予言したものとされる。
-
  フランソワ2世は子供がいないまま16歳で病死した(1 - 3行目)。妻メアリはスコットランド女王でもあり、帰国後、イングランド女王エリザベス1世と対立した(2 - 3行目)。
  4行目は弟シャルル9世がほぼ同じ時期にエリザベート・ドートリッシュと婚約したことを指す(ただし結婚は1570年)。
 
- この解釈は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)以降、[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)、[[バルタザール・ギノー]](1712年)、[[アナトール・ル・ペルチエ]](1867年)、[[チャールズ・ウォード]](1891年)、[[アンドレ・ラモン]](1943年)、[[ジェイムズ・レイヴァー]](1952年)等々が踏襲し((Chavigny [1594] p.76, Garencieres [1672], Guynaud [1712] pp.101-102, Le Pelletier [1867a] p.84, Ward [1891] p.102, Lamont [1943] p.21, Laver [1952] p.66))、現代の多くの信奉者たちによって支持されている。
+ この解釈はフランソワ2世が実際に亡くなるよりも前から宮廷でうわさされていたという。
+ 解釈者たちの間では、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)以降、[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)、[[バルタザール・ギノー]](1712年)、[[アナトール・ル・ペルチエ]](1867年)、[[チャールズ・ウォード]](1891年)、[[アンドレ・ラモン]](1943年)、[[ジェイムズ・レイヴァー]](1952年)等々が踏襲し((Chavigny [1594] p.76, Garencieres [1672], Guynaud [1712] pp.101-102, Le Pelletier [1867a] p.84, Ward [1891] p.102, Lamont [1943] p.21, Laver [1952] p.66))、現代の多くの信奉者たちによっても支持されている。
 
-*同時代的な視点
- [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ノストラダムスがスコットランドを「島」と表現したことがあった点を指摘しつつ、「二つの島」が確かにイングランドとスコットランドを指している可能性があると述べている。
-
- [[ピーター・ラメジャラー]]は、詩の情景がある程度フランソワ2世の死などと適合していることを認めつつ、この詩が収められた現存最古の版が1568年版であることを踏まえ、事件後に秘書シャヴィニーによって改変された可能性を示している((Lemesurier [2003b]))。
-
-*その他
- ノストラダムスの予知能力の証明として、発表間もない頃からよく知られており、宮廷人たちも噂しあっていたとされる。そして、その裏づけとして、駐仏ヴェネツィア大使の[[ミケーレ・ソリャーノ]]による証言がしばしば引き合いに出される。
+**懐疑的な見解
+ ノストラダムスの予知能力の証明として、発表間もない頃からよく知られていたとか、宮廷人たちも噂しあっていたとされる話について検証しておく。
+ 
+ まず、この話の裏づけとしてしばしば引き合いに出されるのが、駐仏ヴェネツィア大使の[[ミケーレ・ソリャーノ]]による証言である。
 
  [[エドガー・レオニ]]は、国王フランソワ2世が倒れた後の1560年11月20日付で書かれた書簡(フランス国立図書館所蔵の "Manuscript du fonds italien #1721-4-193")を、こう英訳している((Leoni [1961/1982]p.30))。
 
 &italic(){Each courtier recalls now the 39&sup(){th} quatrain of Century X of Nostradamus and comments on it under his breath.}
 &italic(){宮廷人たちはみな、ノストラダムスの百詩篇第10巻39番を想起し、小声で論評しています。}
 
  [[ジェイムズ・レイヴァー]]もほぼ同じ英訳をしているが、同じようにソリャーノの証言に好意的な[[ピエール・ブランダムール]]は、全く同じ書簡をこう仏訳している((Brind'Amour [1993] pp.39-40))(ブランダムールはイタリア語原文とフランス語訳を併記しているが、ここではフランス語訳のみ再掲する)。
 
 &italic(){on discute aussi d'une pronostic fait par les astrologues, à savoir qu'il ne passera pas la dix-huitième année de son âge.}
 &italic(){人々は占星術師たちによってなされた占い、すなわち彼(フランソワ2世)が18歳を迎えることはないという話を議論しています。}
 
- これは見ての通り「10巻39番のほのめかし」((Brind'Amour [1993] p.60))にすぎず、直接的に言及されているわけではない。レオニの英訳はウジェーヌ・ド・フランスによるカトリーヌ・ド・メディシスの評伝(1911年)からの孫引きのようなので((cf.Leoni [1961] p.743))、ド・フランスによる改変が加えられているのではないだろうか。
+ これは見ての通り「10巻39番のほのめかし」((Brind'Amour [1993] p.60))にすぎず、直接的に言及されているわけではない。レオニの英訳はウジェーヌ・ド・フランスによるカトリーヌ・ド・メディシスの評伝(1911年)からの孫引きのようなので((cf.Leoni [1961] p.743))、ド・フランスによる改変が加えられているバージョンという可能性がある。
 
  ブランダムールや[[イアン・ウィルソン]]は、この「ほのめかし」を極めて好意的に受け止めているが((cf. Wilson [2003] p.200))、証言としての評価は難しい。ブランダムールの引用では、「占星術師たち」となっていて、そもそもノストラダムスへの言及自体がない点も気になる。
  なお、この書簡の実物は現存せず、18世紀に筆写された手稿であることも追記しておく。
+
+*同時代的な視点
+ [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ノストラダムスがスコットランドを「島」と表現したことがあった点を指摘しつつ、「二つの島」が確かにイングランドとスコットランドを指している可能性があると述べている。
+
+ [[ピーター・ラメジャラー]]は、詩の情景がある程度フランソワ2世の死などと適合していることを認めつつ、この詩が収められた現存最古の版が1568年版であることを踏まえ、事件後に秘書シャヴィニーによって改変された可能性を示している((Lemesurier [2003b]))。
 
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+&bold(){コメントらん}
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