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「百詩篇第2巻9番」(2009/11/06 (金) 23:19:22) の最新版変更点
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*原文
Neuf ans le regne&sup(){1} le maigre&sup(){2} en paix tiendra,
Puis il cherra en soif si sanguinaire:
Pour luy grand peuple&sup(){3} sans&sup(){4} foy & loy&sup(){5} mourra&sup(){6}
Tué par vn&sup(){7} beaucoup&sup(){8} plus de bonnaire&sup(){9}.
**異文
(1) regne : Regne 1672
(2) maigre : malaigre 1588-89
(3) grand peuple : peuple 1600 1610
(4) sans : sang 1660
(5) foy & loy : foy loy 1557B, Foy & Loy 1672
(6) mourra : morra 1557B
(7) par vn : vn 1600 1627 1644 1653 1665
(8) beaucoup : beaucop 1557B
(9) de bonnaire 1555 1605 1610 1716 1840 : debonnaire &italic(){T.A.Eds.}
*日本語訳
九年間、やせた男が王国を平和に保つだろう。
それから、彼はひどく血に渇いた状態に陥り、
彼のせいで多くの人々が、信仰も法もなしに死ぬだろう。
はるかに温厚な人物によって殺される。
**訳について
山根訳は問題ない。3行目「偉大な国民」(grand peuple)については、当「大事典」では2行目の血に飢えている描写からすれば、人数の規模が大きいことを指していると見るべきと判断し「多くの人々」と訳したが、もちろん「偉大な人々」の意味にも訳せる。
大乗訳4行目「彼はより野蛮な人に殺されるだろう」((大乗 [1975] p.73))は誤訳。彼(=やせた男)が殺されると読める可能性は[[ピエール・ブランダムール]]も認めているので、それ自体を誤りということはできないが、debonnaire を「野蛮な」と訳すのは無理がある。
ブランダムールは3行目の「信仰も法もなしに」は、「彼」(=やせた男)にかかる可能性があることを指摘している。
*信奉者側の見解
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は「やせた男」をルイ16世とし、流血の事態はフランス革命の描写と解釈した((Roberts [1949]))。
[[ロルフ・ボズウェル]]や[[アンドレ・ラモン]]は「やせた男」をヒトラーとしている。ナチスは1930年の選挙で躍進し、その9年後に第二次世界大戦を引き起こし、多くの犠牲を出したことが予言されているとしたのである((Boswell [1943] pp.188-189, Lamont [1943] p.257))。
[[セルジュ・ユタン]]も疑問符つきながらヒトラーの可能性を示している((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
情景は読んだままである。
「やせた男」が9年間平和に統治した後で、多くの人々を死なせるような政策(戦争あるいは恐怖政治か)を実行することになる、ということだろう。4行目については、構文どおりに読めば、多くの人々が直接的には「はるかに温厚な人物」に殺されるということだが、ブランダムールはむしろ「やせた男」が政敵である「はるかに温厚な人物」に殺されることを描写しているのではないかとしている。
[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[ピエール・ブランダムール]]は具体的な関連付けを行っていないが、[[エヴリット・ブライラー]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ロジェ・プレヴォ]]はいずれもカルヴァンと関連付けている。
プレヴォは1537年にジュネーヴに初めて来てから9年間は処罰などがなかったが、1546年のピエール・アモー事件の処罰以来、反対者に強硬姿勢をとるようになったと指摘している((Prévost [1999] pp.103-104))。
カルヴァンが初めてジュネーヴに赴いたのは1536年のことらしいので((渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』))、若干のずれはあるのかもしれないが、おおむね当てはまっているといえるかもしれない。
なお、プレヴォは4行目の tué を tuer(殺す)ではなく、ラテン語の tueri から来た言葉で「守られる」などの意味だとし、カルヴァンに比べれば温厚といえたテオドール・ド・ベーズの存在が仄めかされているのではないかとしている。
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#comment
*原文
Neuf ans le regne&sup(){1} le maigre&sup(){2} en paix tiendra,
Puis il cherra en soif si sanguinaire:
Pour luy grand peuple&sup(){3} sans&sup(){4} foy & loy&sup(){5} mourra&sup(){6}
Tué par vn&sup(){7} beaucoup&sup(){8} plus de bonnaire&sup(){9}.
**異文
(1) regne : Regne 1672
(2) maigre : malaigre 1588-89
(3) grand peuple : peuple 1600 1610
(4) sans : sang 1660
(5) foy & loy : foy loy 1557B, Foy & Loy 1672
(6) mourra : morra 1557B
(7) par vn : vn 1600 1627 1644 1653 1665
(8) beaucoup : beaucop 1557B
(9) de bonnaire 1555 1605 1610 1716 1840 : debonnaire &italic(){T.A.Eds.}
*日本語訳
九年間、やせた男が王国を平和に保つだろう。
それから、彼はひどく血に渇いた状態に陥り、
彼のせいで多くの人々が、信仰も法もなしに死ぬだろう。
はるかに温厚な人物によって殺される。
**訳について
山根訳は問題ない。3行目「偉大な国民」(grand peuple)については、当「大事典」では2行目の血に飢えている描写からすれば、人数の規模が大きいことを指していると見るべきと判断し「多くの人々」と訳したが、もちろん「偉大な人々」の意味にも訳せる。
大乗訳4行目「彼はより野蛮な人に殺されるだろう」((大乗 [1975] p.73))は誤訳。彼(=やせた男)が殺されると読める可能性は[[ピエール・ブランダムール]]も認めているので、それ自体を誤りということはできないが、debonnaire を「野蛮な」と訳すのは無理がある。
ブランダムールは3行目の「信仰も法もなしに」は、「彼」(=やせた男)にかかる可能性があることを指摘している。
*信奉者側の見解
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は「やせた男」をルイ16世とし、流血の事態はフランス革命の描写と解釈した((Roberts [1949]))。
[[ロルフ・ボズウェル]]や[[アンドレ・ラモン]]は「やせた男」をヒトラーとしている。ナチスは1930年の選挙で躍進し、その9年後に第二次世界大戦を引き起こし、多くの犠牲を出したことが予言されているとしたのである((Boswell [1943] pp.188-189, Lamont [1943] p.257))。
[[セルジュ・ユタン]]も疑問符つきながらヒトラーの可能性を示している((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
情景は読んだままである。
「やせた男」が9年間平和に統治した後で、多くの人々を死なせるような政策(戦争あるいは恐怖政治か)を実行することになる、ということだろう。4行目については、構文どおりに読めば、多くの人々が直接的には「はるかに温厚な人物」に殺されるということだが、ブランダムールはむしろ「やせた男」が政敵である「はるかに温厚な人物」に殺されることを描写しているのではないかとしている。
[[ジャン=ポール・クレベール]]や[[ピエール・ブランダムール]]は具体的な関連付けを行っていないが、[[エヴリット・ブライラー]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ロジェ・プレヴォ]]はいずれもカルヴァンと関連付けている。
プレヴォは1537年にジュネーヴに初めて来てから9年間は処罰などがなかったが、1546年のピエール・アモー事件の処罰以来、反対者に強硬姿勢をとるようになったと指摘している((Prévost [1999] pp.103-104))。
カルヴァンが初めてジュネーヴに赴いたのは1536年のことらしいので((渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』))、若干のずれはあるのかもしれないが、おおむね当てはまっているといえるかもしれない。
なお、プレヴォは4行目の tué を tuer(殺す)ではなく、ラテン語の tueri から来た言葉で「守られる」などの意味だとし、カルヴァンに比べれば温厚といえたテオドール・ド・ベーズの存在が仄めかされているのではないかとしている。
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