3797年

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 &bold(){3797年}は、ノストラダムスの予言範囲として知られている年である。後述するように、実際の予言範囲を&bold(){2242年}とし、それをカモフラージュするために提示された年という解釈も登場している。 *出典  この有名な年は、「[[セザールへの手紙]]」に登場している。 第33節・第34節 Mais estant surprins par fois la semaine lympatiquant, & par longue calculation rendant les estudes nocturnes de soueve odeur, j'ay composé livres de propheties contenant chacun cent quatrains astronomiques de propheties, lesquelles j'ay un peu voulu rabouter obscurement : & sont perpetuelles vaticinations, pour d'icy à l'an 3797. Que possible fera retirer le front à quelques uns en voyant si longue extension, & par soubs toute concavité de la lune aura lieu & intelligence : & ce entendent universellement par toute la terre, les causes mon filz.((原文は姉妹サイトのコンテンツ[[「セザールへの手紙」対訳>>http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/preface.htm]]による。節区切り、異文、語注などはそちらを参照のこと))  さて、一週間を通じて時々予言に驚かされ、夜中の研究に甘美な香りを与えてくれる長い算定に没頭しつつ、私はこの百篇ごとの天文学(占星術)的な四行詩からなる予言の書を構成したのである。私はそれを少々曖昧な形でつなぎ合わせることを望んだが、それは現在から3797年までの永続的な予言なのである。  かくも長い(予言範囲の)拡張に眉をひそめる人々もいるだろう。しかし、月下の至る所で(予言した通りの)事件が起こって認識されるであろうし、それによって全地上であまねく理解されるのだ、わが息子よ。 *異文  「3797年」は、一部の版では「3767年」「3192年」「1767年」などとなっているが、事実上無視してよいものと思われる。 *解釈  比較的信頼できる論者のうち、[[ピエール・ブランダムール]]や[[ピエール・ベアール]]は西暦3797年を指していると考えている。ただし、なぜその年が選ばれたのかについては、認識に違いがある。  ブランダムールは、ノストラダムスが天地創造を紀元前5204年と見たうえで、そこから9000年後を想定したのではないかと推測している((Brind’Amour [1996]))。  これに対してベアールは、「[[アンリ2世への手紙]]」のなかで示されている天地創造からイエスまでの時期4173年8ヶ月と3797年を足すとほぼ8000年になることから、8000年間の人類史を描こうとしていたと推測する。これは、ノストラダムスの重要な出典の1つとされるコルネリウス・アグリッパが天地創造後7001年から8000年に[[サトゥルヌス]]の支配に戻るとしていたことに対応しており、ノストラダムスが「アンリ2世への手紙」などで黄金時代としてのサトゥルヌスの治世に触れていることとも整合しているとする((Béhar [1996] pp.155-158))。  全く別の説として、ノストラダムスが想定していた本当の期限は西暦2242年で、3797年は2242年に1555年(予言集が出版された年)を足しただけのダミーの年代とする説がある。これは[[ピーター・ラメジャラー]]の説だが、その根拠となるのは354年4ヶ月の周期との関連性である((Lemesurier [2003b]))。  [[詩百篇第1巻48番]]のように明確に「終わり」を示した詩で想定されているのが2242年らしい一方、「3797年」には特定性の高い根拠が見つかっていないことは、ラメジャラーの推測には有利と言えるだろう。  なお、従来の信奉者には、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]や[[五島勉]]のように様々な計算などを持ち出して1999年に結び付けようとする解釈が見られた。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - むしろ逆に、予言詩に明示された年数はすべて、予言詩の出版された1555年を起算点にすると考えても、予言詩の2242年イコール西暦3797年となって矛盾はなくなる。しかも、そう考えれば、予言詩中の年代を明示したものがことごとく外れて見えることも説明がつくし、何より、百詩篇第6巻2番が「580年頃」と「703年」を予言していることに説明がつくことになる。そう考えれば、例の1999年というのは西暦3554年のことであるから、恐怖の大王の心配は当分しなくて済みそうだ。 -- 奈々氏 (2011-11-13 20:26:14) -- 「2242年」は天地創造と想定された紀元前5500年から7741年後ということで導かれた「西暦の年」ですから、2242という数字を取り出して西暦1555年に加算するのは意味のない計算だと思います。 -- sumaru (2011-11-14 22:30:27) - 2242年説を支持する。 -- とある信奉者 (2011-11-15 23:23:27) - 37+(9*7)=100、即ち、我が予言は100パーセント成就すると言う事を暗号めいた年数で表した。 -- とある信奉者 (2013-04-10 22:57:40)
 &bold(){3797年}は、ノストラダムスの予言範囲として知られている年である。後述するように、実際の予言範囲を&bold(){2242年}とし、それをカモフラージュするために提示された年という解釈も登場している。 *出典  この有名な年は、「[[セザールへの手紙]]」に登場している。 第33節・第34節 Mais estant surprins par fois la semaine lympatiquant, & par longue calculation rendant les estudes nocturnes de soueve odeur, j'ay composé livres de propheties contenant chacun cent quatrains astronomiques de propheties, lesquelles j'ay un peu voulu rabouter obscurement : & sont perpetuelles vaticinations, pour d'icy à l'an 3797. Que possible fera retirer le front à quelques uns en voyant si longue extension, & par soubs toute concavité de la lune aura lieu & intelligence : & ce entendent universellement par toute la terre, les causes mon filz.((原文は姉妹サイトのコンテンツ[[「セザールへの手紙」対訳>>http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/preface.htm]]による。節区切り、異文、語注などはそちらを参照のこと))  さて、一週間を通じて時々予言に驚かされ、夜中の研究に甘美な香りを与えてくれる長い算定に没頭しつつ、私はこの百篇ごとの天文学(占星術)的な四行詩からなる予言の書を構成したのである。私はそれを少々曖昧な形でつなぎ合わせることを望んだが、それは現在から3797年までの永続的な予言なのである。  かくも長い(予言範囲の)拡張に眉をひそめる人々もいるだろう。しかし、月下の至る所で(予言した通りの)事件が起こって認識されるであろうし、それによって全地上であまねく理解されるのだ、わが息子よ。 *異文  「3797年」は、一部の版では「3767年」「3192年」「1767年」などとなっているが、事実上無視してよいものと思われる。 *解釈  比較的信頼できる論者のうち、[[ピエール・ブランダムール]]や[[ピエール・ベアール]]は西暦3797年を指していると考えている。ただし、なぜその年が選ばれたのかについては、認識に違いがある。  ブランダムールは、ノストラダムスが天地創造を紀元前5204年と見たうえで、そこから9000年後を想定したのではないかと推測している((Brind’Amour [1996]))。  これに対してベアールは、「[[アンリ2世への手紙]]」のなかで示されている天地創造からイエスまでの時期4173年8ヶ月と3797年を足すとほぼ8000年になることから、8000年間の人類史を描こうとしていたと推測する。これは、ノストラダムスの重要な出典の1つとされるコルネリウス・アグリッパが天地創造後7001年から8000年に[[サトゥルヌス]]の支配に戻るとしていたことに対応しており、ノストラダムスが「アンリ2世への手紙」などで黄金時代としてのサトゥルヌスの治世に触れていることとも整合しているとする((Béhar [1996] pp.155-158))。  全く別の説として、ノストラダムスが想定していた本当の期限は西暦2242年で、3797年は2242年に1555年(予言集が出版された年)を足しただけのダミーの年代とする説がある。これは[[ピーター・ラメジャラー]]の説だが、その根拠となるのは354年4ヶ月の周期との関連性である((Lemesurier [2003b]))。  [[詩百篇第1巻48番]]のように明確に「終わり」を示した詩で想定されているのが2242年らしい一方、「3797年」には特定性の高い根拠が見つかっていないことは、ラメジャラーの推測には有利と言えるだろう。  なお、従来の信奉者には、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]や[[五島勉]]のように様々な計算などを持ち出して1999年に結び付けようとする解釈が見られた。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - むしろ逆に、予言詩に明示された年数はすべて、予言詩の出版された1555年を起算点にすると考えても、予言詩の2242年イコール西暦3797年となって矛盾はなくなる。しかも、そう考えれば、予言詩中の年代を明示したものがことごとく外れて見えることも説明がつくし、何より、百詩篇第6巻2番が「580年頃」と「703年」を予言していることに説明がつくことになる。そう考えれば、例の1999年というのは西暦3554年のことであるから、恐怖の大王の心配は当分しなくて済みそうだ。 -- 奈々氏 (2011-11-13 20:26:14) -- 「2242年」は天地創造と想定された紀元前5500年から7741年後ということで導かれた「西暦の年」ですから、2242という数字を取り出して西暦1555年に加算するのは意味のない計算だと思います。 -- sumaru (2011-11-14 22:30:27) ---訂正。上記のコメントの「紀元前5500年から7741年後」とあるのは、「紀元前5200年から7441年後」の誤りです。12年以上前のコメントのため、どのような勘違いで上のように書いていたのかは思い出せませんが、「意味のない計算」というコメントの趣旨は変わりません。[[外部サイトでのご指摘>>https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12841862892.html]]を頂きましたので訂正するとともに、ご指摘に御礼申し上げます。--sumaru (2024-02-24 22:25:00) - 2242年説を支持する。 -- とある信奉者 (2011-11-15 23:23:27) - 37+(9*7)=100、即ち、我が予言は100パーセント成就すると言う事を暗号めいた年数で表した。 -- とある信奉者 (2013-04-10 22:57:40)

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