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[[六行詩集]]>48番*
*原文
Du vieux&sup(){1} Charron&sup(){2} on verra le Phoenix&sup(){3},
Estre premier & dernier des fils&sup(){4},
Reluyre&sup(){5} en France, & d'vn chascun&sup(){6} aymable,
Regner long temps&sup(){7} auec tous les honneurs&sup(){8}
Qu'auront&sup(){9} iamais eu ses&sup(){10} precesseurs&sup(){11}
Dont il rendra sa gloire memorable.
**異文
(1) vieux : Vieux 1600Mo
(2) Charron : Caron 1600Au
(3) Phoenix : phoenix 1627Ma 1627Di 1644Hu
(4) des fils 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1672Ga : de ses fils 1600Au 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu
(5) Reluyre : Relluyrre 1600Mo
(6) chascun/chacun : chastin 1600Mo, chécun 1627Ma
(7) long temps : longtemps 1611B, long-temps 1627Di 1644Hu 1649Ca 1649Xa
(8) les honneurs : ses honneur 1600Mo
(9) Qu'auront : Qu'ont [?] 1600Au
(10) ses : tous ses 1600Au 1600Mo
(11) precesseurs 1605sn 1649Xa : predecesseurs 1600Au 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Ca, Predecesseurs 1672Ga
**校訂
precesseur は predecesseur の方が良い。ただし、古語には prédécesseur の意味を持つ precesseur という語が確かにあるので((DAF))、誤植かどうかはよく分からない。
*日本語訳
老いた[[カロン]]によって人々は見るだろう、[[フェニックス]]を。
それは彼の息子たちの最初にして最後の者であり、
フランスで再び輝き、皆から愛されるべき者であり、
全ての名誉とともに長きにわたって君臨する者である。
― 先人たちは誰一人(そのような名誉を)持つことはないだろう。 ―
その記憶すべき栄光を彼はもたらすだろう。
**訳について
5行目全体は前の行の「全ての名誉」を形容している。
この詩については[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言・地獄編]]』で訳している。細かい点はさておき、確実に誤訳と言えるのがその3行目「フランスは再び輝き、愛すべきそれぞれの者のなかから」((五島、上掲書、p.229))である。
フランスが主語なのだとしたら、直前に前置詞 en があるのはおかしい。また、chacun は「それぞれ」の意味だが、中期フランス語の un chascun は現代フランス語の tout un chacun と同じく「誰でも」「みんな」の意味である((DMF))。
*信奉者側の見解
[[アンドレ・ラモン]]は、フランスに現れる偉大な君主アンリ5世を予言したものとした((Lamont [1943] p.294))。
[[五島勉]]は地球温暖化、バンアレン帯の衰えによる強い宇宙線の照射、酸性雨などの複合的環境破壊による「地獄」のような状況の中から、「不死鳥」のように奇跡的な再生を実現する人々が現れる予言とした((五島『大予言・地獄編』pp.229-233))。
*同時代的な視点
五島の解釈は3行目を訳しかえることによって成立している。原文どおり「フランスで」とするなら、この詩はラモンが想定するように、フランスに現れる偉大な君主を予言したものだろう。
[[六行詩4番]]などに顕著なように、六行詩はブルボン家に好意的な立場から書かれているので、この詩もその一環だろう。
「太陽王」ルイ14世は有名だが、すでにルイ13世の治世において、国王を太陽やフェニックスになぞらえて神格化することが行われていたという((柴田・樺山・福井『フランス史2』山川出版社、p.155))。この詩が書かれたと考えられる17世紀初頭(つまりルイ13世が生まれたばかりの頃)にそのような行為が存在していたかは不明だが、同じような視点で書かれた可能性はあるだろう。
*その他
1600Au では46番となっている。
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[[六行詩集]]>48番*
*原文
Du vieux&sup(){1} Charron&sup(){2} on verra le Phoenix&sup(){3},
Estre premier & dernier des fils&sup(){4},
Reluyre&sup(){5} en France, & d'vn chascun&sup(){6} aymable,
Regner long temps&sup(){7} auec tous les honneurs&sup(){8}
Qu'auront&sup(){9} iamais eu ses&sup(){10} precesseurs&sup(){11}
Dont il rendra sa gloire memorable.
**異文
(1) vieux : Vieux 1600Mo
(2) Charron : Caron 1600Au
(3) Phoenix : phoenix 1627Ma 1627Di 1644Hu
(4) des fils 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1672Ga : de ses fils 1600Au 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu
(5) Reluyre : Relluyrre 1600Mo
(6) chascun/chacun : chastin 1600Mo, chécun 1627Ma
(7) long temps : longtemps 1611B, long-temps 1627Di 1644Hu 1649Ca 1649Xa
(8) les honneurs : ses honneur 1600Mo
(9) Qu'auront : Qu'ont [?] 1600Au
(10) ses : tous ses 1600Au 1600Mo
(11) precesseurs 1605sn 1649Xa : predecesseurs 1600Au 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Ca, Predecesseurs 1672Ga
**校訂
precesseur は predecesseur の方が良い。ただし、古語には prédécesseur の意味を持つ precesseur という語が確かにあるので((DAF))、誤植かどうかはよく分からない。
*日本語訳
老いた[[カロン]]によって人々は見るだろう、[[フェニックス]]を。
それは彼の息子たちの最初にして最後の者であり、
フランスで輝き、皆から愛されるべき者であり、
全ての名誉とともに長きにわたって君臨する者である。
― 先人たちは誰一人(そのような名誉を)持つことはないだろう。 ―
その記憶すべき栄光を彼はもたらすだろう。
**訳について
5行目全体は前の行の「全ての名誉」を形容している。
この詩については[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言・地獄編]]』で訳している。細かい点はさておき、確実に誤訳と言えるのがその3行目「フランスは再び輝き、愛すべきそれぞれの者のなかから」((五島、上掲書、p.229))である。
フランスが主語なのだとしたら、直前に前置詞 en があるのはおかしい。
16世紀の reluire には確かに「再び輝く」の意味もあったものの((DLFS, T.06))、この場合にそれが妥当かについては疑問もある。少なくとも、六行詩を17世紀の偽作と捉える場合、DFEにもあるように「輝く」の意味で捉えた方が良いように思われる。
また、chacun は「それぞれ」の意味だが、中期フランス語の un chascun は現代フランス語の tout un chacun と同じく「誰でも」「みんな」の意味である((DMF))。
*信奉者側の見解
[[アンドレ・ラモン]]は、フランスに現れる偉大な君主アンリ5世を予言したものとした((Lamont [1943] p.294))。
[[五島勉]]は地球温暖化、バンアレン帯の衰えによる強い宇宙線の照射、酸性雨などの複合的環境破壊による「地獄」のような状況の中から、「不死鳥」のように奇跡的な再生を実現する人々が現れる予言とした((五島『大予言・地獄編』pp.229-233))。
*同時代的な視点
五島の解釈は3行目を訳しかえることによって成立している。
原文どおり「フランスで」とするなら、この詩はラモンが想定するように、フランスに現れる偉大な君主を予言したものだろう。
[[六行詩4番]]などに顕著なように、六行詩はブルボン家に好意的な立場から書かれているので、この詩もその一環だろう。
「太陽王」ルイ14世は有名だが、すでにルイ13世の治世において、国王を太陽やフェニックスになぞらえて神格化することが行われていたという((柴田・樺山・福井『フランス史2』山川出版社、p.155))。この詩が書かれたと考えられる17世紀初頭(つまりルイ13世が生まれたばかりの頃)にそのような行為が存在していたかは不明だが、同じような視点で書かれた可能性はあるだろう。
*その他
1600Au では46番となっている。
*外部リンク
-[[reluire>>http://nostredame.seesaa.net/article/478755998.html]](ノストラダムスの大事典 編集雑記)
--reluireの訳し方についての補足
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