百詩篇第2巻13番

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[[百詩篇第2巻]]>13番 *原文 Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice: Iour de la mort mis en natiuité&sup(){1}: L'esprit&sup(){2} diuin&sup(){3} fera l'ame&sup(){4} [[felice]]&sup(){5}, Voiant le verbe&sup(){6} en son eternité. **異文 (1) natiuité : Nativité 1672 (2) L'esprit : L'espoir 1588-89, L'Esprit 1644 1649Xa 1653 1665 1672 (3) diuin : Divin 1672 (4) l'ame : lame 1557B (5) felice : foelice 1672 (6) verbe : Verbe 1644 1649Xa 1653 1665 1672 #co(){ 1591BRなどの比較も済み } **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は2行目の mis en を mise en と校訂しており、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]も支持している((Brind'Amour [1996], Petey-Girard [2003]))。また、ブランダムールは4行目の le verbe を le Verbe と校訂している。意味内容からすれば、それが妥当だろう。 *日本語訳 魂のない肉体はもはや生贄とはならない。 誕生に転化する死の日。 聖霊は幸いなものにするであろう、 永遠の内にて[[みことば]]を目にする魂を。 **訳について  大乗訳も山根訳も一応許容範囲と思われる。  [[五島勉]]は2行目を「死の日は本来の自然のなかにとけこみ」((五島『ノストラダムスの大予言』p.184))と訳しているが、明らかに誤訳。nativité を nature と間違えたか、解釈にあわせて曲解したかのどちらかであろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は宗教改革によって、キリスト教の教義に変化が起こることの予言とした((Garencieres [1672]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は一連の解釈の一番最後にこの詩を置き、反キリスト君臨の後の描写としている。彼は「魂のない肉体」とは、ミサ聖祭において供されるパンとワインに実体が宿らなくなることとした(化体説については[[百詩篇第3巻2番]]も参照)。そして大虐殺が行われる日は、聖人にとっては永遠の生の門が開かれる日にほかならず、聖霊やみ言葉が祝福を授けてくれるとしている((Le Pelletier [1867a] p.364))。  [[セルジュ・ユタン]]は錬金術的な詩としている((Hutin [1978/2002]))。  [[エリカ・チータム]]はノストラダムスが魂の輪廻を信じていることを告白したもので、キリスト教ともユダヤ教とも異なる概念だとしている((Cheetham [1990]))。  [[五島勉]]は、フランス人解釈者レヴィン・ボトワンの説として、1999年の破局後に生き残った人類の悲惨さの描写という解釈を紹介した。「魂のない肉体」は、汚染や放射能によって脳をやられてまともな判断力を失った人々を指し、自分たちがどれだけ悲惨か認識できないことを「幸いなもの」という皮肉めいた形で予言したのだという((五島、前掲書、pp.184-189))。 **懐疑的な見解  五島が主張する 「レヴィン・ボトワン」 という解釈者の名前は、海外の文献には全く見当たらない。 *同時代的な視点  4行目「み言葉」はイエスのことである。  [[ピエール・ブランダムール]]は、キリスト教的な至福の永遠性に関わる描写としている。特に聖書の -「幸いだ、心の清い者たち、その彼らこそ、神を見るであろう。」(「マタイによる福音書」第5章8節・佐藤研訳)((新約聖書翻訳委員会『マルコによる福音書 マタイによる福音書』岩波書店、p.106)) -「彼の顔を見、その御名が彼らの額に〔記される〕。」(「ヨハネの黙示録」第22章4節・小河陽訳)((新約聖書翻訳委員会『パウロの名による書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録』岩波書店、pp.267, 269)) との関連性を指摘している((Brind'Amour [1996]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ブランダムールの解釈について、予言というよりも信仰告白だとして、むしろ同時代もしくは未来の宗教的実践の変化について描写したものではないかとした((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』、ことにその中の『[[偽メトディウス]]』と『[[ティブルのシビュラ]]』から題材が採られているとした。  『[[ティブルのシビュラ]]』の締めくくりは以下のようなものである。  「そして、主は、各人の所業に基づいて審判を下し、不敬な者たちは永遠の火のゲヘナに送り、他方、敬虔な者たちは、永遠の生命という報酬を受け取ります。そして、天は新しくなり、大地も新しくなり、双方ともに永遠に保持されますが、海は消失します。そして主は聖人たちの間で統治し、聖人たちは、主とともに未来永劫に統治するのです。アーメン」(伊藤博明・訳)((伊藤「ティブルのシビュラ - 中世シビュラ文献の紹介と翻訳(1)」『埼玉大学紀要(教養学部)』第45巻第1号、2009年、p.12)) ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 -  血 (sang)  …を   流出させる (epancher)    toc≡saint【a.気が変な 醜い ぶすな ≡ n.聖人】    役に立たない (nul)    merci【n.m.感謝、礼,n.f.恵み 慈悲 好意 随意】 …を   する (a<avoir)  の方が正しい  -- 名無しさん (2014-04-27 16:43:20) - つまり、大事な事は、ぜいたくはするなって事ですな、他人のために文章を書けない奴、人の邪魔をする奴は死ねって事ですね。または今の人類である必要が無いって事ですね。そういう機会が有りましたらご確認をお願いいたします。切れるものは切るべきときに切る。これが大事である。 -- 名無しさん (2014-05-16 01:28:56) - 有るタイミングから現人類は駆逐され新人類が発生する予言であると思う。現人類を比として利用して新人類が作られるだろう。もちろん(神のお心にもよるが)現人類には住めた世界では無いと考えられる、代わりに新人類が世界に君臨する事が予測される。その前の期間、キリストが頑張ってくれれば良いのではと思う。 -- 名無しさん (2014-05-16 01:47:00) - キリストの死と復活、神の声を聴いたサウロがキリスト教徒に改宗し、パウロと改名したことになぞらえて、 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が暗殺者の凶弾に倒されたが、復活した事を予言か? -- とある信奉者 (2014-10-25 09:51:44) #comment
[[百詩篇第2巻]]>13番 *原文 Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice: Iour de la mort mis en natiuité&sup(){1}: L'esprit&sup(){2} diuin&sup(){3} fera l'ame&sup(){4} [[felice]]&sup(){5}, Voiant le verbe&sup(){6} en son eternité. **異文 (1) natiuité : Nativité 1672 (2) L'esprit : L'espoir 1588-89, L'Esprit 1644 1649Xa 1653 1665 1672 (3) diuin : Divin 1672 (4) l'ame : lame 1557B (5) felice : foelice 1672 (6) verbe : Verbe 1644 1649Xa 1653 1665 1672 #co(){ 1591BRなどの比較も済み } **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は2行目の mis en を mise en と校訂しており、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]も支持している((Brind'Amour [1996], Petey-Girard [2003]))。また、ブランダムールは4行目の le verbe を le Verbe と校訂している。意味内容からすれば、それが妥当だろう。 *日本語訳 魂のない肉体はもはや生贄とはならない。 誕生に転化する死の日。 聖霊は幸いなものにするであろう、 永遠の内にて[[みことば]]を目にする魂を。 **訳について  大乗訳も山根訳も一応許容範囲と思われる。  [[五島勉]]は2行目を「死の日は本来の自然のなかにとけこみ」((五島『ノストラダムスの大予言』p.184))と訳しているが、明らかに誤訳。nativité を nature と間違えたか、解釈にあわせて曲解したかのどちらかであろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は宗教改革によって、キリスト教の教義に変化が起こることの予言とした((Garencieres [1672]))。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は一連の解釈の一番最後にこの詩を置き、反キリスト君臨の後の描写としている。彼は「魂のない肉体」とは、ミサ聖祭において供されるパンとワインに実体が宿らなくなることとした(化体説については[[百詩篇第3巻2番]]も参照)。そして大虐殺が行われる日は、聖人にとっては永遠の生の門が開かれる日にほかならず、聖霊やみ言葉が祝福を授けてくれるとしている((Le Pelletier [1867a] p.364))。  [[セルジュ・ユタン]]は錬金術的な詩としている((Hutin [1978/2002]))。  [[エリカ・チータム]]はノストラダムスが魂の輪廻を信じていることを告白したもので、キリスト教ともユダヤ教とも異なる概念だとしている((Cheetham [1990]))。  [[五島勉]]は、フランス人解釈者レヴィン・ボトワンの説として、1999年の破局後に生き残った人類の悲惨さの描写という解釈を紹介した。「魂のない肉体」は、汚染や放射能によって脳をやられてまともな判断力を失った人々を指し、自分たちがどれだけ悲惨か認識できないことを「幸いなもの」という皮肉めいた形で予言したのだという((五島、前掲書、pp.184-189))。 **懐疑的な見解  五島が主張する 「レヴィン・ボトワン」 という解釈者の名前は、海外の文献には全く見当たらない。 *同時代的な視点  4行目「み言葉」はイエスのことである。  [[ピエール・ブランダムール]]は、キリスト教的な至福の永遠性に関わる描写としている。特に聖書の -「幸いだ、心の清い者たち、その彼らこそ、神を見るであろう。」(「マタイによる福音書」第5章8節・佐藤研訳)((新約聖書翻訳委員会『マルコによる福音書 マタイによる福音書』岩波書店、p.106)) -「彼の顔を見、その御名が彼らの額に〔記される〕。」(「ヨハネの黙示録」第22章4節・小河陽訳)((新約聖書翻訳委員会『パウロの名による書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録』岩波書店、pp.267, 269)) との関連性を指摘している((Brind'Amour [1996]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ブランダムールの解釈について、予言というよりも信仰告白だとして、むしろ同時代もしくは未来の宗教的実践の変化について描写したものではないかとした((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』、ことにその中の『[[偽メトディウス]]』と『[[ティブルのシビュラ]]』から題材が採られているとした。  『[[ティブルのシビュラ]]』の締めくくりは以下のようなものである。  「そして、主は、各人の所業に基づいて審判を下し、不敬な者たちは永遠の火のゲヘナに送り、他方、敬虔な者たちは、永遠の生命という報酬を受け取ります。そして、天は新しくなり、大地も新しくなり、双方ともに永遠に保持されますが、海は消失します。そして主は聖人たちの間で統治し、聖人たちは、主とともに未来永劫に統治するのです。アーメン」(伊藤博明・訳)((伊藤「ティブルのシビュラ - 中世シビュラ文献の紹介と翻訳(1)」『埼玉大学紀要(教養学部)』第45巻第1号、2009年、p.12)) ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 -  血 (sang)  …を   流出させる (epancher)    toc≡saint【a.気が変な 醜い ぶすな ≡ n.聖人】    役に立たない (nul)    merci【n.m.感謝、礼,n.f.恵み 慈悲 好意 随意】 …を   する (a<avoir)  の方が正しい  -- 名無しさん (2014-04-27 16:43:20) - つまり、大事な事は、ぜいたくはするなって事ですな、他人のために文章を書けない奴、人の邪魔をする奴は死ねって事ですね。または今の人類である必要が無いって事ですね。そういう機会が有りましたらご確認をお願いいたします。切れるものは切るべきときに切る。これが大事である。 -- 名無しさん (2014-05-16 01:28:56) - 有るタイミングから現人類は駆逐され新人類が発生する予言であると思う。現人類を比として利用して新人類が作られるだろう。もちろん(神のお心にもよるが)現人類には住めた世界では無いと考えられる、代わりに新人類が世界に君臨する事が予測される。その前の期間、キリストが頑張ってくれれば良いのではと思う。 -- 名無しさん (2014-05-16 01:47:00) - キリストの死と復活、神の声を聴いたサウロがキリスト教徒に改宗し、パウロと改名したことになぞらえて、 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が暗殺者の凶弾に倒されたが、復活した事を予言か? -- とある信奉者 (2014-10-25 09:51:44)

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