エクトール・ド・ノートルダム

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 &bold(){エクトール・ド・ノートルダム}(Hector de Nostredame, 生没年未詳)は、ノストラダムスの弟の一人。サン=レミ=ド=プロヴァンスに生まれたが、洗礼記録などはなく、詳細は不明である。  弟の[[アントワーヌ>アントワーヌ・ド・ノートルダム]]の息子[[エクトール>エクトール・ド・ノートルダム (アントワーヌの子)]]の洗礼記録に、立ち会った代父として「商人のエクトール・ド・ノートルダム」の名が記されている((Leroy [1993] p.47))。ほぼ間違いなく同一人物であろうから、エクトールの職業は商人だったと考えられる。  1546年4月26日の結婚契約書が残っている((Leroy [1993] p.viii))。相手の名はアントワネット・ド・モルゲート(Antoinette de Morguète)だが、アントワネットはアントネート(Anthonete)、トネート(Thonète)など、表記に揺れがある。  アントワネットはマルティーグ島のジャン・モルゲ(Jean Morguet((モルゲート(Morguète)であろうとは思うが、Leroy [1993] p.50 の表記に従う。)))とカトリーヌ・ド・ベランギエール(Catherine de Bérenguière)という夫婦の娘であったという。カトリーヌはサン=レミとタラスコンに不動産を所有していたようである。  エクトールとアントワネットの間には、一人娘[[フロリモンド>フロリモンド・ド・ノートルダム]]が生まれた((以上、結婚相手と娘については Leroy [1993] p.50 による。))。 *関連項目 -[[エクトール・ド・ノートルダム (アントワーヌの子)]] ---- #comment

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