百詩篇第4巻89番

「百詩篇第4巻89番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

百詩篇第4巻89番」(2010/11/16 (火) 22:43:35) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*原文 Trente de Londres secret coniureront, Contre leur&sup(){1} Roy&sup(){2} sur le pont l'entreprise&sup(){3}: Luy&sup(){4}, satalites&sup(){5} la&sup(){6} mort degousteront&sup(){7}, Vn Roy&sup(){8} esleu blonde&sup(){9}, natif&sup(){10} de Frize&sup(){11}. **異文 (1) leur : Leur 1672 (2) Roy : roy 1557B (3) entreprise : entrrprinse 1665, Entreprise 1672 (4) Luy : Leuy 1600 1867LP 1627 1644 1650Ri 1653 1665, Les 1672 (5) satalites : satellites 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840, Satellites 1672 (6) la : là 1867LP (7) degousteront : de gousteront 1867LP 1716, desgousteront 1611, desgouteront 1605 1649Xa 1672 (8) Roy : roy 1557B (9) blonde : blond 1650Le 1665 1668 1672 1840 (10) natif : & natif 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 (11) Frize : flize 1590Ro, Frixe 1627 *日本語訳 ロンドンの三十人がひそかに企てるだろう、 彼らの王に対し、橋の上での陰謀を。 従者たちは彼の死を嫌うだろう。 フリースラント生まれの金髪の王が選ばれる。 **訳について  2行目 pont は、ラテン語 pontus からの借用だとするならば、「橋の上で」ではなく「海の上で」となる。  大乗訳は後半が誤訳。3行目「予備軍は死を味わう」((大乗 [1975] p.145))は、desgousteront(>dégoûter)に味わうという意味はない。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳を直訳したものだが、それ自体が goûter(味わう)と混同したものと思われる。  4行目「王はみごとに立てられ 低い国々が誕生するだろう」も誤訳。比喩的に訳したのだとしても、natif de Frize で Frize が主語になるのは不自然。ロバーツの英訳では born in the low countries((Roberts [1949] p.140))となっており、日本語版固有の誤訳であると分かる。ちなみに[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の訳では Frize は Friezeland と英訳されている。  山根訳3行目「彼も廷臣も死ぬのはいやだ」((山根 [1988] p.173))は、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]もそう訳しているので、許容されるものと思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はチャールズ1世に向けられた陰謀に関する予言と解釈した。  [[チャールズ・ウォード]]は名誉革命によってオランダ南部出身のウィリアム3世が即位したことと解釈した。ただし、ウィリアムがフリースラント(オランダ北部)の生まれでなかったことをはじめ、詩の細部に適合しない部分があることを認めている((Ward [1891] pp.218-219))。この解釈は[[D.D.]]が最初に提唱したものらしい。  [[ジェイムズ・レイヴァー]]は、フリースラントがオランダの一部であることを踏まえ、当時の地理区分からすれば許容される表現だとしている。ウィリアム3世が金髪でなかった点については、鬘を着用するのが一般的だった当時の習慣と関連付けて、判断を留保した((Laver [1952] p.134))。  [[ジョン・ホーグ]]や[[エリカ・チータム]]も支持しているが、チータムの場合、ウィリアム3世はフリースラント出身だったとした上で、見事な的中例として紹介している((Cheetham [1990]))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、デンマーク王だったカヌート1世が、イングランド人の王エドマンド2世の死後(1016年)、イングランド王にもなったことがモデルになっているとしている((Lemesurier [2003b]))。 ---- #comment
*原文 Trente de Londres secret coniureront, Contre leur&sup(){1} Roy&sup(){2} sur le pont l'entreprise&sup(){3}: Luy&sup(){4}, satalites&sup(){5} la&sup(){6} mort degousteront&sup(){7}, Vn Roy&sup(){8} esleu blonde&sup(){9}, natif&sup(){10} de Frize&sup(){11}. **異文 (1) leur : Leur 1672 (2) Roy : roy 1557B (3) entreprise : entrrprinse 1665, Entreprise 1672 (4) Luy : Leuy 1600 1867LP 1627 1644 1650Ri 1653 1665, Les 1672 (5) satalites : satellites 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840, Satellites 1672 (6) la : là 1867LP (7) degousteront : de gousteront 1867LP 1716, desgousteront 1611, desgouteront 1605 1649Xa 1672 (8) Roy : roy 1557B (9) blonde : blond 1650Le 1665 1668 1672 1840 (10) natif : & natif 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 (11) Frize : flize 1590Ro, Frixe 1627 *日本語訳 ロンドンの三十人がひそかに企てるだろう、 彼らの王に対し、橋の上での陰謀を。 従者たちは彼の死を嫌うだろう。 フリースラント生まれの金髪の王が選ばれる。 **訳について  2行目 pont は、ラテン語 pontus からの借用だとするならば、「橋の上で」ではなく「海の上で」となる。  大乗訳は後半が誤訳。3行目「予備軍は死を味わう」((大乗 [1975] p.145))は、desgousteront(>dégoûter)に味わうという意味はない。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳を直訳したものだが、それ自体が goûter(味わう)と混同したものと思われる。  4行目「王はみごとに立てられ 低い国々が誕生するだろう」も誤訳。比喩的に訳したのだとしても、natif de Frize で Frize が主語になるのは不自然。ロバーツの英訳では born in the low countries((Roberts [1949] p.140))となっており、日本語版固有の誤訳であると分かる。ちなみに[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の訳では Frize は Friezeland と英訳されている。  山根訳3行目「彼も廷臣も死ぬのはいやだ」((山根 [1988] p.173))は、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]もそう訳しているので、許容されるものと思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はチャールズ1世に向けられた陰謀に関する予言と解釈した。  イギリスで名誉革命(1689年)がおこり、オランダ南部出身のウィリアム3世(オラニエ公ウィレム)が即位すると、そのこととする解釈が定説化していった。  そうした解釈は、[[1689年ルーアン版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ブゾンニュ、1689年)]]に掲載された「当代の一知識人」の解釈で早くも見られる。  その後、[[D.D.]]や[[チャールズ・ウォード]]によって解釈が整備されていったが、ウォードはウィリアムがフリースラント(オランダ北部)の生まれでなかったことをはじめ、詩の細部に適合しない部分があることを認めている((D.D. [1715] pp.58-62, Ward [1891] pp.218-219))。  [[ジェイムズ・レイヴァー]]は、フリースラントがオランダの一部であることを踏まえ、当時の地理区分からすれば許容される表現だとしている。ウィリアム3世が金髪でなかった点については、鬘を着用するのが一般的だった当時の習慣と関連付けて、判断を留保した((Laver [1952] p.134))。  [[ジョン・ホーグ]]や[[エリカ・チータム]]も支持しているが、チータムの場合、ウィリアム3世はフリースラント出身だったとした上で、見事な的中例として紹介している((Cheetham [1990]))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、デンマーク王だったカヌート1世が、イングランド人の王エドマンド2世の死後(1016年)、イングランド王にもなったことがモデルになっているとしている((Lemesurier [2003b]))。 ---- #comment

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: