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[[六行詩集]]>3番*
*原文
La Ville&sup(){1} sans dessus dessous&sup(){2},
Renuersée&sup(){3} de mille coups
De canons&sup(){4}: & forts&sup(){5} dessous&sup(){6} terre&sup(){7}:
Cinq&sup(){8} ans tiendra: le tout remis,
Et lasche&sup(){9} à ses&sup(){10} ennemis,
L'eau leur fera apres la guerre.
**異文
(1) Ville : ville 1600Mo 1611 1644Hu 1649
(2) sans dessus dessous : sans-dessus-dessous 1600Mo
(3) Renuersée : Renuersee 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di
(4) canons : Canons 1672Ga
(5) forts : fors 1627Ma
(6) dessous : dessus 1600Mo 1627Di
(7) terre : Terre 1672Ga
(8) Cinq : Trois 1600Au, Ginq 1627Ma
(9) lasche 1605sn 1649Xa : laschee 1600Au 1600Mo 1611 1627Di, lachee 1627Ma, laschée 1628dR 1644Hu 1649Ca, lasché 1672Ga
(10) à ses : à tous ses 1600Mo
*日本語訳
都市は上も下もなく
掻き乱されるだろう。一千発の
砲弾によって。地下の要塞群。
全てが元通りになるには五年かかるだろう。
そして、その敵たちに開放される。
戦争の後で水が彼らに為すだろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、[[前の詩>六行詩2番]]とともに、ベルギーの貿易港オーステンデが攻囲されたときの状況と解釈した。ただし、ガランシエール自身その攻囲は5年ではなく3年だったとしているように、1601年から1604年のことだった。
[[エリザベート・ベルクール]]は、[[1668年アムステルダム版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)]]に載っていた解釈として1666年のパリの火災(incendie)を、19世紀イギリスの解釈者の解釈として1666年のロンドン大火を、それぞれ挙げている((Bellecour [1982] p.85, 邦訳版p.202))。
ただし、1668年アムステルダム版には、ベルクールが言うような解釈は見当たらない。六行詩で解釈されているのは[[25番>六行詩25番]]と[[54番>六行詩54番]]である。また、19世紀イギリスの解釈者も誰のことか分からない。少なくとも、[[チャールズ・ウォード]](1891年)はこの詩を解釈していない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は1939年の時点では、第二次世界大戦中のパリ壊滅と解釈していたものが、戦後になって第三次世界大戦のものへと解釈を変更した((Fontbrune [1939] p.185, Fontbrune [1975] p.192))。これはベルクールが批判したとおりである。
*同時代的な視点
事後予言として解釈した場合、ガランシエールの解釈は十分に説得的である。オリジナルと思われる 1600Au の原文で「3年」とされていたことも、それとの関連から説明できる可能性がある。
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#comment
[[六行詩集]]>3番*
*原文
La Ville&sup(){1} sans dessus dessous&sup(){2},
Renuersée&sup(){3} de mille coups
De canons&sup(){4}: & forts&sup(){5} dessous&sup(){6} terre&sup(){7}:
Cinq&sup(){8} ans tiendra: le tout remis,
Et lasche&sup(){9} à ses&sup(){10} ennemis,
L'eau leur fera apres la guerre.
**異文
(1) Ville : ville 1600Mo 1611 1644Hu 1649
(2) sans dessus dessous : sans-dessus-dessous 1600Mo
(3) Renuersée : Renuersee 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di
(4) canons : Canons 1672Ga
(5) forts : fors 1627Ma
(6) dessous : dessus 1600Mo 1627Di
(7) terre : Terre 1672Ga
(8) Cinq : Trois 1600Au, Ginq 1627Ma
(9) lasche 1605sn 1649Xa : laschee 1600Au 1600Mo 1611 1627Di, lachee 1627Ma, laschée 1628dR 1644Hu 1649Ca, lasché 1672Ga
(10) à ses : à tous ses 1600Mo
*日本語訳
都市は上も下もなく
掻き乱されるだろう。一千発の
砲弾によって。地下の要塞群。
全てが元通りになるには五年かかるだろう。
そして、その敵たちに開放される。
戦争の後で水が彼らに為すだろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、[[前の詩>六行詩2番]]とともに、ベルギーの貿易港オーステンデが攻囲されたときの状況と解釈した。ただし、ガランシエール自身その攻囲は5年ではなく3年だったとしているように、1601年から1604年のことだった。
[[エリザベート・ベルクール]]は、[[1668年アムステルダム版『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)]]に載っていた解釈として1666年のパリの火災(incendie)を、19世紀イギリスの解釈者の解釈として1666年のロンドン大火を、それぞれ挙げている((Bellecour [1982] p.85, 邦訳版p.202))。
ただし、1668年アムステルダム版には、ベルクールが言うような解釈は見当たらない。六行詩で解釈されているのは[[25番>六行詩25番]]と[[54番>六行詩54番]]である。また、19世紀イギリスの解釈者も誰のことか分からない。少なくとも、[[チャールズ・ウォード]](1891年)はこの詩を解釈していない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は1939年の時点では、第二次世界大戦中のパリ壊滅と解釈していたものが、戦後になって第三次世界大戦のものへと解釈を変更した((Fontbrune [1939] p.185, Fontbrune [1975] p.192))。これはベルクールが批判したとおりである。
*同時代的な視点
事後予言として解釈した場合、ガランシエールの解釈は十分に説得的である。オリジナルと思われる 1600Au の原文で「3年」とされていたことも、それとの関連から説明できる可能性がある。
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