予兆詩第44番

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予兆詩第44番(旧40番) 1559年6月について *原文 De maison sept par mort mortelle suite. Gresle, tempeste, mal pestilent&sup(){1}, fureurs. Roy d'Orient, d'Occident tous en fuite, Subjuguera ses jadis conquereurs. ((原文は Chevignard [1999] p.135 による。)) **異文 (1) mal pestilent 1589Rec : pestilent mal 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 (注記)1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿における転記。 **英訳版原文 From the house seven by the pursuit of mortall deth. Hayle, tempest, pestilentiall sicknesse, furies. The Kyng of the East, al the west men beyng in flight, Shal subdue his conquerors that have ben heretofore. (注記)この英訳は[[英訳版『1559年向けの暦』>An Almanacke for the yeare of oure Lorde God, 1559.]]に掲載されていたものである。1559年向けの予兆詩はオリジナルが現存していないこともあるので、参考のため掲載しておく。 *日本語訳 家の七人は致命的な死により付きまとわれる。 雹、嵐、ペストをもたらす害悪、怒り。 西方の全ての者が逃げ出し、東方の王は、 そのかつての征服者たちを屈服させるだろう。 **訳について  「東方」「西方」はもちろん「東洋」「西洋」と訳すことが可能である。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、前半については、アンリ2世の子供たち7人の中に早世する者たちがいたことと解釈した。後半は未来に属することとして、解釈をしていなかった((Chavigny [1594] p.220))。  類似の解釈は[[アナトール・ル・ペルチエ]]も展開したが、彼の場合、1行目をアンリ2世の子供たちと解釈し、2行目は当時のペスト禍や宗教戦争と解釈した。後半については、当時オスマン帝国が勢力を伸ばし、かつて十字軍が制圧した地域も勢力圏内においたことの予言とした((Le Pelletier [1867a] pp.77-78))。 こうした解釈は、その後多くの論者に引き継がれたが、中には[[ジェイムズ・レイヴァー]]のように、前半2行だけを引用して解釈した者もいる。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、1999年にヨーロッパに黄色人種が侵攻する予言と解釈しており、この解釈は息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]にも引き継がれた((Fontbrune [1938] p.293, Fontbrune [1980/1982]))。ただし、息子の方は、のちにG7が中国に経済的に従うことになると解釈を修正したようである((cf. Chevignard [1999]))。 *同時代的な視点  アンリ2世の子供たちの不幸を予言したものかは何ともいえない。アンリ2世の栄光を予言しているらしい詩が、いくつもあると指摘されていることとは矛盾するからである。  なお、「東方の王」(東洋の王)は、続く[[予兆詩第45番]]にも登場する。 ---- #comment
予兆詩第44番(旧40番) 1559年6月について *原文 De maison sept par mort mortelle suite. Gresle, tempeste, mal pestilent&sup(){1}, fureurs. Roy d'Orient, d'Occident tous en fuite, Subjuguera ses jadis conquereurs. ((原文は Chevignard [1999] p.135 による。)) **異文 (1) mal pestilent 1589Rec : pestilent mal 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 (注記)1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿における転記。 **英訳版原文 From the house seven by the pursuit of mortall deth. Hayle, tempest, pestilentiall sicknesse, furies. The Kyng of the East, al the west men beyng in flight, Shal subdue his conquerors that have ben heretofore. (注記)この英訳は[[英訳版『1559年向けの暦』>An Almanacke for the yeare of oure Lorde God, 1559.]]に掲載されていたものである。1559年向けの予兆詩はオリジナルが現存していないこともあるので、参考のため掲載しておく。 *日本語訳 家の七人は致命的な死により付きまとわれる。 雹、嵐、ペストをもたらす害悪、怒り。 西方の全ての者が逃げ出し、東方の王は、 そのかつての征服者たちを屈服させるだろう。 **訳について  「東方」「西方」はもちろん「東洋」「西洋」と訳すことが可能である。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、前半については、アンリ2世の子供たち7人の中に早世する者たちがいたことと解釈した。  後半は未来に属することとして、解釈をしていなかった((Chavigny [1594] p.220))。  類似の解釈は[[アナトール・ル・ペルチエ]]も展開したが、彼の場合、1行目をアンリ2世の子供たちと解釈し、2行目は当時のペスト禍や宗教戦争と解釈した。  後半については、当時オスマン帝国が勢力を伸ばし、かつて十字軍が制圧した地域も勢力圏内においたことの予言とした((Le Pelletier [1867a] pp.77-78))。  こうした解釈は、その後多くの論者に引き継がれたが、中には[[ジェイムズ・レイヴァー]]のように、前半2行だけを引用して解釈した者もいる。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、1999年にヨーロッパに黄色人種が侵攻する予言と解釈しており、この解釈は息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]にも引き継がれた((Fontbrune [1938] p.293, Fontbrune [1980/1982]))。  ただし、息子の方は、のちにG7が中国に経済的に従うことになると解釈を修正したようである((cf. Chevignard [1999]))。 *同時代的な視点  アンリ2世の子供たちの不幸を予言したものかは何ともいえない。  アンリ2世の栄光を予言しているらしい詩が、いくつもあると指摘されていることとは矛盾するからである。  なお、「東方の王」(東洋の王)は、続く[[予兆詩第45番]]にも登場する。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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