百詩篇第2巻89番

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*原文 Du [[iou>jou]]&sup(){1} seront [[demis]]&sup(){2} les deux grandz&sup(){3} maistres&sup(){4} Leur grand pouuoir se verra augmenté: La terre neufue&sup(){5} sera en ses haults&sup(){6} [[estres>estre]]: Au sanguinaire&sup(){7} le nombre [[racompté>racompter]]. **異文 (1) Du iou 1555 1840 : Du iour 1557U 1588-89 1627, Du ioug 1594JF 1644 1650Ri 1653 1665, Vn Iour 1660, Vn iour &italic(){T.A.Eds.} (2) demis : damis 1605 1628 1649Ca 1649Xa, amis 1650Le 1668 1672 (3) grandz : grand 1628 (4) maistres : Maistres 1594JF 1672 (5) terre neufue : Terre-neuue 1594JF, terre-neufue 1644, Terre neufue 1672 (6) haults : autz 1590Ro (7) sanguinaire : Sanguinaire 1594JF **校訂  異文の数はそれほど多くないが、1行目の読み方が誤解されてきた。「ある日」(Un jour)は初版の Du jou が Du jour(1557U)、Un jour(1557B, 1568 etc.)と伝言ゲームのように変化していったものだが、海賊版の疑いが強い 1557B から発しているため、正統性を欠いている。意味の上からは、むしろ 1594JF などに見られる Du joug への改変ならば正しい。  同様に [[demis]] は後の異文をもとに d'amis(友人の)と読みかえられることがあるが、これも正統性を欠く読み方といえる。 *日本語訳 二人の偉大な指揮官たちが軛〔くびき〕から解放され、 彼らの偉大な権力が増大するのが見られるだろう。 新しい土地は、彼らの高貴な部屋で、 血まみれの男へとその数字が語られるだろう。 **訳について  1行目 les grands maistres は、国王に仕えるgrand officier(大将校あるいは高級官僚)の意味とした[[ピエール・ブランダムール]]の読み方を踏まえた。  3行目 [[estre]] は二通りの意味があるが、ブランダムールによれば、この場合「部屋」の意味。  山根訳1行目「ある日二人の強者が友人になるだろう」((山根 [1988] p.107))は、採用する異文によっては成立の余地があるため誤訳とはいえないが、適切ではないだろう。  3行目「新しい土地はその力の絶頂をきわめるだろう」は誤訳。[[estre]] を存在動詞と見て「高い状態にあるだろう」と読もうとしても、単数の La terre neuve と複数の estres は整合しないので、不適切。  大乗訳の問題点も、1行目から3行目については山根訳とほぼ同じ。4行目「多くの人々は残忍に語るだろう」((大乗 [1975] p.93))は、独自に訳そうとしたのだろうが、不適切。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The number shall be told to the Bloody Person.((Roberts [1949] p.72))を忠実に訳した方が、まだよかっただろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1589年の出来事と解釈し、ギーズ公とマイエンヌ公がカトリックのフランス国民からは広く支持されていたことを予言したと解釈した。3行目については「テル=ヌーヴの領主、サヴォワ公」と注記しているが、つながりがよく分からない((Chavigny [1594] p.268))。  それ以降は、「ある日、二人の強者が友人になるだろう」のような訳に基づいて解釈されることが多かった。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ここではヨーロッパの3人の君主(特定せず)が述べられており、うち2人が仲良くなるが、その植民地経営の鍵になるのが第3の血まみれの君主になるという予言だと解釈していた((Garencieres [1672]))。  [[流智明]]は米ソが核軍縮で歩み寄り、INF全廃条約(1987年)に漕ぎつけたことの予言とした((山根 [1988]))。  [[エリカ・チータム]](1990年)は、米ソの歩み寄りの予言とし、ゴルバチョフの登場で的中しつつあるが、彼が共産主義勢力によって失脚させられる可能性があるのではないかと推測していた((Cheetham [1990]))。  米ソの同盟の予言などとする解釈は[[ジョン・ホーグ]]や[[藤島啓章]]も展開していた((ホーグ [1987] p.179, 藤島 [1989]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、「新しい土地」とは地代が値上げされる形で契約更改された土地のことだといい、牢獄か何かから釈放された二人の有力者が勢力を増すことと、更改された土地の収益に関する報告が、居城の部屋で血塗られた君主に語られるであろうこととが描かれているとした((Brind’Amour [1996]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も同じように読んでいるが、特定のモデルの提示に成功した者はいないようである。 ---- #comment
*原文 Du [[iou>jou]]&sup(){1} seront [[demis]]&sup(){2} les deux grandz&sup(){3} maistres&sup(){4} Leur grand pouuoir se verra augmenté: La terre neufue&sup(){5} sera en ses haults&sup(){6} [[estres>estre]]: Au sanguinaire&sup(){7} le nombre [[racompté>racompter]]. **異文 (1) Du iou 1555 1840 : Du iour 1557U 1588-89 1627, Du ioug 1594JF 1644 1650Ri 1653 1665, Vn Iour 1660, Vn iour &italic(){T.A.Eds.} (2) demis : damis 1605 1628 1649Ca 1649Xa, amis 1650Le 1668 1672 (3) grandz : grand 1628 (4) maistres : Maistres 1594JF 1672 (5) terre neufue : Terre-neuue 1594JF, terre-neufue 1644, Terre neufue 1672 (6) haults : autz 1590Ro (7) sanguinaire : Sanguinaire 1594JF **校訂  異文の数はそれほど多くないが、1行目の読み方が誤解されてきた。「ある日」(Un jour)は初版の Du jou が Du jour(1557U)、Un jour(1557B, 1568 etc.)と伝言ゲームのように変化していったものだが、海賊版の疑いが強い 1557B から発しているため、正統性を欠いている。意味の上からは、むしろ 1594JF などに見られる Du joug への改変ならば正しい。  同様に [[demis]] は後の異文をもとに d'amis(友人の)と読みかえられることがあるが、これも正統性を欠く読み方といえる。 *日本語訳 二人の偉大な指揮官たちが軛〔くびき〕から解放され、 彼らの偉大な権力が増大するのが見られるだろう。 新しい土地は、彼らの高貴な部屋で、 血まみれの男へとその数字が語られるだろう。 **訳について  1行目 les grands maistres は、国王に仕えるgrand officier(大将校あるいは高級官僚)の意味とした[[ピエール・ブランダムール]]の読み方を踏まえた。  3行目 [[estre]] は二通りの意味があるが、ブランダムールによれば、この場合「部屋」の意味。  山根訳1行目「ある日二人の強者が友人になるだろう」((山根 [1988] p.107))は、採用する異文によっては成立の余地があるため誤訳とはいえないが、適切ではないだろう。  3行目「新しい土地はその力の絶頂をきわめるだろう」は誤訳。[[estre]] を存在動詞と見て「高い状態にあるだろう」と読もうとしても、単数の La terre neuve と複数の estres は整合しないので、不適切。  大乗訳の問題点も、1行目から3行目については山根訳とほぼ同じ。4行目「多くの人々は残忍に語るだろう」((大乗 [1975] p.93))は、独自に訳そうとしたのだろうが、不適切。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The number shall be told to the Bloody Person.((Roberts [1949] p.72))を忠実に訳した方が、まだよかっただろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1589年の出来事と解釈し、ギーズ公とマイエンヌ公がカトリックのフランス国民からは広く支持されていたことを予言したと解釈した。3行目については「テル=ヌーヴの領主、サヴォワ公」と注記しているが、つながりがよく分からない((Chavigny [1594] p.268))。  それ以降は、「ある日、二人の強者が友人になるだろう」のような訳に基づいて解釈されることが多かった。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ここではヨーロッパの3人の君主(特定せず)が述べられており、うち2人が仲良くなるが、その植民地経営の鍵になるのが第3の血まみれの君主になるという予言だと解釈していた((Garencieres [1672]))。  [[流智明]]は米ソが核軍縮で歩み寄り、INF全廃条約(1987年)に漕ぎつけたことの予言とした((山根 [1988]))。  [[エリカ・チータム]](1990年)は、米ソの歩み寄りの予言とし、ゴルバチョフの登場で的中しつつあるが、彼が共産主義勢力によって失脚させられる可能性があるのではないかと推測していた((Cheetham [1990]))。  米ソの同盟の予言などとする解釈は[[ジョン・ホーグ]]や[[藤島啓章]]も展開していた((ホーグ [1987] p.179, 藤島 [1989]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、「新しい土地」とは地代が値上げされる形で契約更改された土地のことだといい、牢獄か何かから釈放された二人の有力者が勢力を増すことと、更改された土地の収益に関する報告が、居城の部屋で血塗られた君主に語られるであろうこととが描かれているとした((Brind’Amour [1996]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も同じように読んでいるが、特定のモデルの提示に成功した者はいないようである。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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