ノストラダムスの大予言・最終解答編

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 『&bold(){ノストラダムスの大予言・最終解答編}』は、1998年に祥伝社から出版された[[五島勉]]の著書。  1973年から続いてきた[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]の最終巻となった。  トーハン調べでのベストセラー「新書・ノンフィクション」部門1998年第3位。 #amazon(4396104006) 【画像】カバー *構成  第1章では、五島が1973年に『[[ノストラダムスの大予言]]』初巻の内容を概説しつつ、出版した直後のことを振り返り、出鱈目な妄説だと嘲笑を浴び続け、8年後ころに自殺を決意するところまで追い詰められたと綴る。  五島はそのような批判を浴びた理由を、当時描かれていた明るい未来像に冷水を浴びせたことにあるとした。  そして、自殺の直前に、自分が警告していたことの正しさを確信させてくれるようなオゾンホールのニュースを初めて聞き、強い危機感とともに予言の真意追及への意欲を持ったとしている。  そして、その頃、鈴木敏夫というジャーナリストに「ノストラダムスの真意」を知る人がフランスにいないかどうか訊いており、長い間それについての返事はなかったが、1997年秋に連絡があったとしている。  第2章から第4章は、「ノストラダムスの真意」を伝えている人々に会いに、実際にフランス取材に行ったという記録の一部である。  五島は[[パリ]]から[[アヴィニョン]]へと取材をしながら移動し、滞在先の古いホテルなどで、ノストラダムスの生涯における空白期間の解明に役立つ資料を発見したと主張している。なお、文章の各所でノストラダムスの伝記や予言の的中例に触れている。  第5章と第6章は、[[サロン=ド=プロヴァンス]]の[[ノストラダムスの墓]]の前で、「ノストラダムスの真意」を伝えている修道士の一団と会い、その中のビノ師からノストラダムス予言について教えられた出来事の記録である。  そこでは、ビノ師から[[恐怖の大王の詩>詩百篇第10巻72番]]をこえる究極の詩として[[詩百篇第9巻44番]]を紹介され、その最大のキーワードが l'[[advent]] であることに気づかされたと述べ、イエスの再臨と関連付けた解釈について紹介している。  第7章で総括を行い、あとがきでは懐疑派などからしばしば寄せられていた批判への回答を行っている。  巻末には、[[高橋克彦]]による特別寄稿か収録されている。 *懐疑派からの批判  [[山本弘]]は、自殺のエピソードは時期的に整合しておらず「五島勉を主人公とする小説上の出来事」でしかないと主張している。  その根拠として、オゾンホールが話題になったのは『大予言』初巻の「8年後くらい」よりも前のことで、実際、五島の『[[ノストラダムスの大予言II]] 』(1979年)でも言及されていることを挙げている((山本 [2000] p.46))。  また、当時の繁栄一色の風潮に水を差したことが批判された理由とする五島の主張にも異を唱え、具体的に文献や映画作品などを挙げつつ、当時が終末ブームであったことを指摘している((山本 [2000] pp.46-48))。  なお、五島自身、『朝日新聞』1999年6月24日大阪版のインタビューでは、「石油ショックの年で、小松左京の『日本沈没』や堺屋太一の『油断』もヒットしていて、世の中に漠然とした不安が広がっていました」と答えている。  山本は五島がしたというフランス取材についても、写真が全てオリオンプレス社と共同通信の提供であることから、架空のエピソードに過ぎないと推測している((山本 [2000] p.53))。  また、あとがきでの反論については、山本弘だけでなく[[志水一夫]]も、反論の体をなしていないことを指摘している([[諸世紀]]も参照のこと)。 *コメント  ノストラダムスの真意を知る存在によって決定的な解釈を導き出すという構成は、『[[ノストラダムスの大予言V]]』と基本的に同じである。  予言解釈が水掛け論になりやすいからこそ、批判を封じるためにも巨大な「権威」が必要になるという考えなのだろう。  山本弘が看破しているように、ビノ師との対談が真実であったと信ずべき根拠は何もない。  五島は英語と混同したものか、[[advent]]が現代語としても通じると信じていた(実際の現代フランス語では avent)。  なぜかビノ師は、フランス人修道士であり基本的なキリスト教用語には通じていてよさそうなのに、&color(red){五島と全く同じ誤りをして、adventを現代語でも同じ綴りだと思い込んでいた}。  また、「現在も[[ノストラダムスの墓]]では、彼の遺体が立ったまま葬られている」などと、事実とは思えない話も紹介している。  ほかにも様々な状況証拠から推して、ビノ師は架空の存在か、実在するとしても&color(red){ノストラダムスやキリスト教用語には詳しくない人物だった}と判断せざるを得ない。 *書誌 :書名|ノストラダムスの大予言 最終解答編 :副題|1999年、“恐怖の大王”の正体と最後の活路 :著者|五島勉 :版元|祥伝社 :出版日|1998年7月25日 :注記| **外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌 :Titre|Nostradamus no dai-yogen saishû-kaitô-hen (trad./ Les Grandes Prophéties de Nostradamus, finalement décryptées.) :Sous-titre|1999nen, “Kyôfu no Daiô” no shôtai to saigo no katsuro (trad./ L'an 1999, la vérité d'un grand roi d'effrayeur & la voie du dernier secours.) :Auteur|GOTÔ Ben :Publication|Shôdensha :Lieu|Tôkyo, Japon :Date|le 25 Juillet 1998 :Note|Examen des quatrains I-48, II-28, IX-20, IX-44, X-72 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
 『&bold(){ノストラダムスの大予言・最終解答編}』は、1998年に祥伝社から出版された[[五島勉]]の著書。  1973年から続いてきた[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]の最終巻となった。  トーハン調べでのベストセラー「新書・ノンフィクション」部門1998年第3位。 #amazon(4396104006) 【画像】カバー *構成  第1章では、五島が1973年に『[[ノストラダムスの大予言]]』初巻の内容を概説しつつ、出版した直後のことを振り返り、出鱈目な妄説だと嘲笑を浴び続け、8年後ころに自殺を決意するところまで追い詰められたと綴る。  五島はそのような批判を浴びた理由を、当時描かれていた明るい未来像に冷水を浴びせたことにあるとした。  そして、自殺の直前に、自分が警告していたことの正しさを確信させてくれるようなオゾンホールのニュースを初めて聞き、強い危機感とともに予言の真意追及への意欲を持ったとしている。  そして、その頃、鈴木敏夫というジャーナリストに「ノストラダムスの真意」を知る人がフランスにいないかどうか訊いており、長い間それについての返事はなかったが、1997年秋に連絡があったとしている。  第2章から第4章は、「ノストラダムスの真意」を伝えている人々に会いに、実際にフランス取材に行ったという記録の一部である。  五島は[[パリ]]から[[アヴィニョン]]へと取材をしながら移動し、滞在先の古いホテルなどで、ノストラダムスの生涯における空白期間の解明に役立つ資料を発見したと主張している。なお、文章の各所でノストラダムスの伝記や予言の的中例に触れている。  第5章と第6章は、[[サロン=ド=プロヴァンス]]の[[ノストラダムスの墓]]の前で、「ノストラダムスの真意」を伝えている修道士の一団と会い、その中のビノ師からノストラダムス予言について教えられた出来事の記録である。  そこでは、ビノ師から[[恐怖の大王の詩>詩百篇第10巻72番]]をこえる究極の詩として[[詩百篇第9巻44番]]を紹介され、その最大のキーワードが l'[[advent]] であることに気づかされたと述べ、イエスの再臨と関連付けた解釈について紹介している。  第7章で総括を行い、あとがきでは懐疑派などからしばしば寄せられていた批判への回答を行っている。  巻末には、[[高橋克彦]]による特別寄稿か収録されている。 *懐疑派からの批判  [[山本弘]]は、自殺のエピソードは時期的に整合しておらず「五島勉を主人公とする小説上の出来事」でしかないと主張している。  その根拠として、オゾンホールが話題になったのは『大予言』初巻の「8年後くらい」(=1981年ごろ)よりも前のことで、実際、五島の『[[ノストラダムスの大予言II]] 』(1979年)でも言及されていることを挙げている((山本 [2000] p.46))。  また、当時の繁栄一色の風潮に水を差したことが批判された理由とする五島の主張にも異を唱え、具体的に文献や映画作品などを挙げつつ、当時が終末ブームであったことを指摘している((山本 [2000] pp.46-48))。  なお、五島自身、『朝日新聞』1999年6月24日大阪版のインタビューでは、「石油ショックの年で、小松左京の『日本沈没』や堺屋太一の『油断』もヒットしていて、世の中に漠然とした不安が広がっていました」と答えている。  山本は五島がしたというフランス取材についても、写真が全てオリオンプレス社と共同通信の提供であることから、架空のエピソードに過ぎないと推測している((山本 [2000] p.53))。  また、あとがきでの反論については、山本弘だけでなく[[志水一夫]]も、反論の体をなしていないことを指摘している([[諸世紀]]も参照のこと)。 *コメント  ノストラダムスの真意を知る存在によって決定的な解釈を導き出すという構成は、『[[ノストラダムスの大予言V]]』と基本的に同じである。  予言解釈が水掛け論になりやすいからこそ、批判を封じるためにも巨大な「権威」が必要になるという考えなのだろう。  だが、山本弘も看破しているように、ビノ師との対談が真実であったと信ずべき根拠は何もない。  五島は英語と混同したものか、[[advent]]が現代語としても通じると信じていた(実際の現代フランス語では avent)。  なぜかビノ師は、フランス人修道士であり基本的なキリスト教用語には通じていてよさそうなのに、&color(red){五島と全く同じ誤りをして、adventを現代語でも同じ綴りだと思い込んでいた}。  また、「現在も[[ノストラダムスの墓]]では、彼の遺体が立ったまま葬られている」などと、事実とは思えない話も紹介している。  ほかにも様々な状況証拠から推して、ビノ師は架空の存在か、実在するとしても&color(red){ノストラダムスやキリスト教用語には詳しくない人物だった}と判断せざるを得ない。 *書誌 :書名|ノストラダムスの大予言 最終解答編 :副題|1999年、“恐怖の大王”の正体と最後の活路 :著者|五島勉 :版元|祥伝社 :出版日|1998年7月25日 :注記| **外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌 :Titre|Nostradamus no dai-yogen saishû-kaitô-hen (trad./ Les Grandes Prophéties de Nostradamus, finalement décryptées.) :Sous-titre|1999nen, “Kyôfu no Daiô” no shôtai to saigo no katsuro (trad./ L'an 1999, la vérité d'un grand roi d'effrayeur & la voie du dernier secours.) :Auteur|GOTÔ Ben :Publication|Shôdensha :Lieu|Tôkyo, Japon :Date|le 25 Juillet 1998 :Note|Examen des quatrains I-48, II-28, IX-20, IX-44, X-72 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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