百詩篇第2巻79番

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*原文 La&sup(){1} [[barbe]] [[crespe]]&sup(){2} & noire par [[engin]] Subiuguera la gent&sup(){3} cruele & fiere. Le grand [[CHYREN>Chyren]]&sup(){4} ostera du [[longin]]&sup(){5} Tous les captifs&sup(){6} par [[Seline]]&sup(){7} baniere. **異文 (1) La barbe : En barbe 1557B 1627 (2) crespe : erespe 1610 1716 (3) la gent : la gene 1772Ri (4) Le grand CHYREN : Vn grand Chyren 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668A, le grand chien 1572Cr, Le grand Chiren 1588-89 1597 1600 1610 1650Ri 1716, Le grand Chirin 1627 1644 1653 1665, Vn grand Chien 1668P, Le grand Cheyren 1672 (5) longin : loing 1572Cr (6) captifs : Captifs 1672 (7) Seline : Feline 1665 (8) baniere : Baniere 1672 *日本語訳 縮れた黒鬚髯 〔くろひげ〕 は、計略によって 残酷で高慢な民族を服従させるだろう。 偉大なシランは不浄な場所から取り去るだろう、 月の旗によって、捕らわれている全ての人々を。 **訳について  barbe は「髯」(ほおひげ)または「鬚」(あごひげ)のことで、「髭」(くちひげ)は普通含まない。[[barbe]]の記事参照。  大乗訳は前半をとりあえず許容するとしても、後半が問題である。  3行目「シーレンは監禁から自由になり」((大乗 [1975] p.91))は誤訳。oster は「~を取り去る、除く」という他動詞であり、自らを除くのなら s'oster とでもなっているべき。[[longin]]を監禁と訳すのは、許容される可能性がある。  4行目「すべての捕虜はセリムの旗となるだろう」は意味不明。ちなみに元になっているはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は、The great Henry shall free from bonds, / All the captives made by Selim's banner.((Roberts [1949] p.69))で、構文理解としてはまともである。  山根訳はおおむね許容できる。  3行目「偉大なシーレンが遠方から奪うだろう」は、[[longin]]の訳によってはありうる訳。現在ではあまり支持されていないが、当時は有力な読みだった。  4行目「三日月の旗に捕えられた者どもすべてを」は、[[Seline]]を三日月と意訳することは、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳でも行われているので許容されるだろう。問題は「三日月の旗によって」がどちらにかかっているのかということである。山根訳のように「三日月の旗によって捕らえられた」と見ることもできるし、高田・伊藤訳のように「三日月の旗によって取り去る」と見ることもできる。当「大事典」ではどちらの意味にも取れるような位置関係にしている。  なお、ベストセラーとなった[[五島勉]]『[[ノストラダムスの大予言・中東編]]』(1990年)、[[加治木義博]]『[[真説ノストラダムスの大予言]]』(1990年)でも、この詩は大きくとりあげられていたので、それらの訳についてもコメントしておく。  五島訳はおおむね許容できるが、1行目「縮れた黒いひげを持つ男 アンジャンにたよっている男」((五島、前掲書p.16))は演出が過剰。五島は [[engin]]が当時使われていなかったとして、特別な意味を持たせているが(後述)、事実に反する([[engin]]を参照)。  3行目「大きなシーランが遠い場所へ連れ去る」は不適切。de は確かに「~からの」だけでなく「~への」とも訳せる場合があるが、この場合、実証的な論者でそのように訳している者はおらず、当てはまらないだろう。そもそも『[[ノストラダムスの大予言IV]]』では、de を「~への」と理解した[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]を強く非難していたことと整合していない((cf.『大予言IV』p.61))。  加治木訳は、3行目以外はそうも訳せないことはないといえるが、3行目「偉大なチランが、とても長い間、その骨組みになろう」((加治木、前掲書、p.213))は誤訳。du [[longin]] を「かなり時間をあけて」とでも訳すのは許容される可能性があるものの、「とても長い間」とするのは支持できない。oster を「骨組みになる」とするのは論外。おそらく接頭辞 osté-(骨の)からの連想だろうが、そういう動詞はない。中期フランス語辞書からも、oster が現代の ôter に対応していることは明らかである。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、レパントの海戦(1571年)の予言と解釈した。「縮れた黒髭」は、ドン・フアン・デ・アウストリアを指すとし、彼の指揮でキリスト教徒側が勝利したことを指すという。[[Chyren]]はアンリのアナグラムで、アンリ2世を指すとし、彼がかつてオスマン帝国の人質となったキリスト教徒たちを多く買い戻したように、レパントの勝利でキリスト教徒の奴隷たちが解放されたことを指すとしている((Garencieres [1672] ))。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]はこの解釈を支持した。  [[エリカ・チータム]]や[[ジョン・ホーグ]]もレパントの海戦としているが、彼らの場合、アンリの扱いが若干異なる。  チータムの場合、アンリはアンリ3世(在位 1574年 - 1589年)を指し、若干予知がずれたのではないかとしていた((Cheetham [1990]))。  ホーグの場合、1559年に歿したアンリ2世と見て、ノストラダムスが見ていたオルタナティヴな未来(つまりアンリが事故死することなく強大な君主として君臨し続けていたはずの未来)が描かれているのだろうとした((Hogue [1997/1999]))。  [[五島勉]]は、barbe(あごひげ)と口ひげの誤差はあるが、「縮れた黒髭」はサダム・フセインだろうと解釈した。そして、[[engin]]を10世紀には死語になっていた言葉で、エンジンやミサイルの意味で使われていると説明した。それを踏まえ、この詩はフセインが各国大使館員などを人質に取った湾岸危機(1990年)の予言と解釈した((五島『ノストラダムスの大予言・中東編』pp.16-32))。  未来の偉大な人物の予言とする解釈もある。  [[ロルフ・ボズウェル]]は、[[Seline]] をセリム1世(在位1512年 - 1520年)と関連付け、残酷な象徴であるかのように描かれたイスラム教国と、未来に現れる名君アンリ5世が対比されていると解釈した((Boswell [1943] p.304))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、未来の第三次世界大戦のあとにフランスに現れる名君アンリ5世を予言したものとした((Fontbrune [1980/1982]))。  [[加治木義博]]は、当初は世界を救う機械の発明か発見を行う日本人の予言と解釈していた((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.213-217))。その時点では、その人物は「科学者か科学的知識の豊富な人物」と推測していたのだが、後の著書では、その発明は「機械」についてではなく「思想」なのだと解釈を変更した((加治木『新たなる時代への序曲・真説ノストラダムスの大予言』pp.204-208))。 *同時代的な視点  1724年の『メルキュール・ド・フランス』紙に載った「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」の匿名の著者は、1551年にオスマン帝国がトリポリで略奪行為に及んだときに、マルタ騎士団が勝利したことがモデルになっていると推測した。この人物は、前半を「残酷で高慢な民族が縮れた黒鬚を屈服させる」と読み、トルコがアフリカ人を屈従させたことと解釈した。後半はマルタ騎士団によってキリスト教徒たちが救われたことと解釈した。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、1536年のカール5世によるチュニス攻略と解釈した。このとき、カールは、「赤鬚」バルバロス・ハイレッティンに捕らわれていたキリスト教徒の捕虜たちを解放している((Prevost [1999] p.72))。  プレヴォはこの場合の [[Chyren]] はカール5世と解釈したが、[[ピーター・ラメジャラー]]は、むしろその事件を下敷きにしつつ、近未来におけるイスラーム勢力の侵攻に対して、アンリ2世がキリスト教徒たちを救う名君となることを投影したものだろうと推測していた((Lemesurier [2003b]))。  [[高田勇]]と[[伊藤進]]は、アンリ2世のフランスとオスマン帝国が当時手を結んでいたことから、この二国が神聖ローマ帝国と対峙することを描いたのではないかとした((高田・伊藤 [1999]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
*原文 La&sup(){1} [[barbe]] [[crespe]]&sup(){2} & noire par [[engin]] Subiuguera la gent&sup(){3} cruele & fiere. Le grand [[CHYREN>Chyren]]&sup(){4} ostera du [[longin]]&sup(){5} Tous les captifs&sup(){6} par [[Seline]]&sup(){7} baniere. **異文 (1) La barbe : En barbe 1557B 1627 (2) crespe : erespe 1610 1716 (3) la gent : la gene 1772Ri (4) Le grand CHYREN : Vn grand Chyren 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668A, le grand chien 1572Cr, Le grand Chiren 1588-89 1597 1600 1610 1650Ri 1716, Le grand Chirin 1627 1644 1653 1665, Vn grand Chien 1668P, Le grand Cheyren 1672 (5) longin : loing 1572Cr (6) captifs : Captifs 1672 (7) Seline : Feline 1665 (8) baniere : Baniere 1672 *日本語訳 縮れた黒鬚髯 〔くろひげ〕 は、計略によって 残酷で高慢な民族を服従させるだろう。 偉大なシランは不浄な場所から取り去るだろう、 月の旗によって、捕らわれている全ての人々を。 **訳について  barbe は「髯」(ほおひげ)または「鬚」(あごひげ)のことで、「髭」(くちひげ)は普通含まない。[[barbe]]の記事参照。  大乗訳は前半をとりあえず許容するとしても、後半が問題である。  3行目「シーレンは監禁から自由になり」((大乗 [1975] p.91))は誤訳。oster は「~を取り去る、除く」という他動詞であり、自らを除くのなら s'oster とでもなっているべき。[[longin]]を監禁と訳すのは、許容される可能性がある。  4行目「すべての捕虜はセリムの旗となるだろう」は意味不明。ちなみに元になっているはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は、The great Henry shall free from bonds, / All the captives made by Selim's banner.((Roberts [1949] p.69))で、構文理解としてはまともである。  山根訳はおおむね許容できる。  3行目「偉大なシーレンが遠方から奪うだろう」は、[[longin]]の訳によってはありうる訳。現在ではあまり支持されていないが、当時は有力な読みだった。  4行目「三日月の旗に捕えられた者どもすべてを」は、[[Seline]]を三日月と意訳することは、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳でも行われているので許容されるだろう。問題は「三日月の旗によって」がどちらにかかっているのかということである。山根訳のように「三日月の旗によって捕らえられた」と見ることもできるし、高田・伊藤訳のように「三日月の旗によって取り去る」と見ることもできる。当「大事典」ではどちらの意味にも取れるような位置関係にしている。  なお、ベストセラーとなった[[五島勉]]『[[ノストラダムスの大予言・中東編]]』(1990年)、[[加治木義博]]『[[真説ノストラダムスの大予言]]』(1990年)でも、この詩は大きくとりあげられていたので、それらの訳についてもコメントしておく。  五島訳はおおむね許容できるが、1行目「縮れた黒いひげを持つ男 アンジャンにたよっている男」((五島、前掲書p.16))は演出が過剰。五島は [[engin]]が当時使われていなかったとして、特別な意味を持たせているが(後述)、事実に反する([[engin]]を参照)。  3行目「大きなシーランが遠い場所へ連れ去る」は不適切。de は確かに「~からの」だけでなく「~への」とも訳せる場合があるが、この場合、実証的な論者でそのように訳している者はおらず、当てはまらないだろう。そもそも『[[ノストラダムスの大予言IV]]』では、de を「~への」と理解した[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]を強く非難していたことと整合していない((cf.『大予言IV』p.61))。  加治木訳は、3行目以外はそうも訳せないことはないといえるが、3行目「偉大なチランが、とても長い間、その骨組みになろう」((加治木、前掲書、p.213))は誤訳。du [[longin]] を「かなり時間をあけて」とでも訳すのは許容される可能性があるものの、「とても長い間」とするのは支持できない。oster を「骨組みになる」とするのは論外。おそらく接頭辞 osté-(骨の)からの連想だろうが、そういう動詞はない。中期フランス語辞書からも、oster が現代の ôter に対応していることは明らかである。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、レパントの海戦(1571年)の予言と解釈した。  「縮れた黒髭」は、ドン・フアン・デ・アウストリアを指すとし、彼の指揮でキリスト教徒側が勝利したことを指すという。  [[Chyren]]はアンリのアナグラムで、アンリ2世を指すとし、彼がかつてオスマン帝国の人質となったキリスト教徒たちを多く買い戻したように、レパントの勝利でキリスト教徒の奴隷たちが解放されたことを指すとしている((Garencieres [1672] ))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]はこの解釈を支持した。  [[エリカ・チータム]]や[[ジョン・ホーグ]]もレパントの海戦としているが、彼らの場合、アンリの扱いが若干異なる。  チータムの場合、アンリはアンリ3世(在位 1574年 - 1589年)を指し、若干予知がずれたのではないかとしていた((Cheetham [1990]))。  ホーグの場合、1559年に歿したアンリ2世と見て、ノストラダムスが見ていたオルタナティヴな未来(つまりアンリが事故死することなく強大な君主として君臨し続けていたはずの未来)が描かれているのだろうとした((Hogue [1997/1999]))。  [[五島勉]]は、barbe(あごひげ)と口ひげの誤差はあるが、「縮れた黒髭」はサダム・フセインだろうと解釈した。  そして、[[engin]]を10世紀には死語になっていた言葉で、エンジンやミサイルの意味で使われていると説明した。  それを踏まえ、この詩はフセインが各国大使館員などを人質に取った湾岸危機(1990年)の予言と解釈した((五島『ノストラダムスの大予言・中東編』pp.16-32))。 #amazon(4344003209) &color(gray){【画像】 コン・コクリン 『サダム―その秘められた人生』}  未来の偉大な人物の予言とする解釈もある。  [[ロルフ・ボズウェル]]は、[[Seline]] をセリム1世(在位1512年 - 1520年)と関連付け、残酷な象徴であるかのように描かれたイスラム教国と、未来に現れる名君アンリ5世が対比されていると解釈した((Boswell [1943] p.304))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、未来の第三次世界大戦のあとにフランスに現れる名君アンリ5世を予言したものとした((Fontbrune [1980/1982]))。  [[加治木義博]]は、当初は世界を救う機械の発明か発見を行う日本人の予言と解釈していた((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.213-217))。  その時点では、その人物は「科学者か科学的知識の豊富な人物」と推測していたのだが、後の著書では、その発明は「機械」についてではなく「思想」なのだと解釈を変更した((加治木『新たなる時代への序曲・真説ノストラダムスの大予言』pp.204-208))。 *同時代的な視点  1724年の『メルキュール・ド・フランス』紙に載った「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」の匿名の著者は、1551年にオスマン帝国がトリポリで略奪行為に及んだときに、マルタ騎士団が勝利したことがモデルになっていると推測した。  この人物は、前半を「残酷で高慢な民族が縮れた黒鬚を屈服させる」と読み、トルコがアフリカ人を屈従させたことと解釈した。後半はマルタ騎士団によってキリスト教徒たちが救われたことと解釈した。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、1536年のカール5世によるチュニス攻略と解釈した。このとき、カールは、「赤鬚」バルバロス・ハイレッティンに捕らわれていたキリスト教徒の捕虜たちを解放している((Prevost [1999] p.72))。  プレヴォはこの場合の [[Chyren]] はカール5世と解釈したが、[[ピーター・ラメジャラー]]は、むしろその事件を下敷きにしつつ、近未来におけるイスラーム勢力の侵攻に対して、アンリ2世がキリスト教徒たちを救う名君となることを投影したものだろうと推測していた((Lemesurier [2003b]))。  [[高田勇]]と[[伊藤進]]は、アンリ2世のフランスとオスマン帝国が当時手を結んでいたことから、この二国が神聖ローマ帝国と対峙することを描いたのではないかとした((高田・伊藤 [1999]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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