詩百篇第8巻補遺篇1番

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[[百詩篇第8巻]]>1番(補遺篇)* *原文 Seront confus [[plusieurs]] de leur&sup(){1} [[entente]]&sup(){2}, Aux habitans ne sera pardonné, Qui bien pensoient perseuerer l'attente Mais grand loisir ne leur sera donné. **異文 (1) leur 1588-89 1612Me 1981EB : leurs &italic(){T.A.Eds.} (2) entente 1588Rf 1589Rg : en tente 1589Me, attente &italic(){T.A.Eds.} (注記)この詩は全ての版に含まれているわけではないため、底本を 1588Rf とし、比較の対象に 1589Me, 1589Rg, 1605sn, 1611A, 1611B, 1612Me, 1628dR, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1668, 1672Ga, 1981EB を用いた。 *日本語訳 多くの者たちが彼らの意図に当惑するだろう。 住民たちに許しは与えられないだろう。 その者たちはまさにその思いやりある態度が続くものと思っていたが、 大いなる安堵が彼らに与えられることはないだろう。 **訳について  3行目 attente は中期フランス語では「思いやりある態度・振舞い」(comportement attentionné)の意味もあった((DMF p.43))。  大乗訳は一応許容範囲内かもしれないが、2行目「人々は許さず」((大乗 [1975] p.256))は、受動態の構文を適切に訳せていない。on が省略されていると見て「人々は」としたのは悪くないが、aux habitants に対応する訳語が見当たらない。  なお、中期フランス語では habitant は単なる「住民」以外に「農民」(Paysan)という意味もあった((DMF))。また、[[plusieurs]] は例によって「何人か」だけではなく「多くの人々」の意味もあるため、人数の幅が広い。この場合は「多く」の意味にとった。 *信奉者側の解釈  [[ジャック・ド・ジャン]](1672年)は、当時の英仏蘭の関係を描写したものと解釈した((Jant [1672]))。  [[アンドレ・ラモン]]は、第一次世界大戦後に誰もが平和を望んだものの、ヴェルサイユ条約や国際連盟ではその達成が難しいことを描写しているとした((Lamont [1943] p.144))。2度の世界大戦の時期とする[[ジョン・ホーグ]]などもこれに近いといえるだろう((Hogue [1997] ))。 *同時代的な視点  ユグノー戦争前夜の1561年頃の政治情勢をもとに偽作された可能性がある。
[[詩百篇第8巻]]>1番(補遺篇)* *原文 Seront confus [[plusieurs]] de leur&sup(){1} [[entente]]&sup(){2}, Aux habitans ne sera pardonné, Qui bien pensoient perseuerer l'attente Mais grand loisir ne leur sera donné. **異文 (1) leur 1588-89 1612Me 1981EB : leurs &italic(){T.A.Eds.} (2) entente 1588Rf 1589Rg : en tente 1589Me, attentes 1667Wi 1668P 1689Ma 1720To, attente &italic(){T.A.Eds.} (注記)この詩は全ての版に含まれているわけではないため、底本を 1588Rf とし、比較の対象に 1589Me, 1589Rg, 1605sn, 1611A, 1611B, 1612Me, 1628dR, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1667Wi, 1668A, 1668P, 1672Ga, 1689Ma, 1720To, 1981EB を用いた(1689Maはマルテル版)。 #co(){ *その他  1689Maは、この詩が第8巻の補遺であることを明記しつつも、第12巻と六行詩の間に挿入している。1720Toでは第12巻66番になっている。 } *日本語訳 多くの者たちが彼らの意図に当惑するだろう。 住民たちに許しは与えられないだろう。 その者たちはまさにその思いやりある態度が続くものと思っていたが、 大いなる安堵が彼らに与えられることはないだろう。 **訳について  3行目 attente は中期フランス語では「思いやりある態度・振舞い」(comportement attentionné)の意味もあった((DMF p.43))。  大乗訳は一応許容範囲内かもしれないが、2行目「人々は許さず」((大乗 [1975] p.256))は、受動態の構文を適切に訳せていない。on が省略されていると見て「人々は」としたのは悪くないが、aux habitants に対応する訳語が見当たらない。  なお、中期フランス語では habitant は単なる「住民」以外に「農民」(Paysan)という意味もあった((DMF))。また、[[plusieurs]] は例によって「何人か」だけではなく「多くの人々」の意味もあるため、人数の幅が広い。この場合は「多く」の意味にとった。 *信奉者側の解釈  [[ジャック・ド・ジャン]](1672年)は、当時の英仏蘭の関係を描写したものと解釈した((Jant [1672]))。  [[アンドレ・ラモン]]は、第一次世界大戦後に誰もが平和を望んだものの、ヴェルサイユ条約や国際連盟ではその達成が難しいことを描写しているとした((Lamont [1943] p.144))。2度の世界大戦の時期とする[[ジョン・ホーグ]]などもこれに近いといえるだろう((Hogue [1997] ))。 *同時代的な視点  ユグノー戦争前夜の1561年頃の政治情勢をもとに偽作された可能性がある。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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