詩百篇第8巻補遺篇3番

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[[詩百篇第8巻]]>3番(補遺篇)* *原文 Las quel&sup(){1} fureur !&sup(){2} helas quelle pitié&sup(){3} Il y aura entre beaucoup de gens&sup(){4}, On ne veit&sup(){5} onc vne telle amitié, Qu'auront les loups&sup(){6} à courir diligens. **異文 (1) quel 1588Rf 1589Rg : quelle &italic(){T.A.Eds.} (2) fureur ! : fureur ᴉ 1589Me, fureur 1611A 1612Me, &u(){fureur,} 1611B 1672Ga 1981EB, &u(){fureur ;} 1720To (3) pitié : pitié ! 1981EB (4) gens : gens ! 1628dR 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668A 1668P 1689Ma (5) veit 1588Rf 1589Rg : vid 1667Wi 1720To, vit &italic(){T.A.Eds.} (6) loups : Loups 1672Ga -(注記1)この詩は全ての版に含まれているわけではないため、底本を 1588Rf とし、比較の対象に 1589Me, 1589Rg, 1605sn, 1611A, 1611B, 1612Me, 1628dR, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1667Wi, 1668A, 1668P, 1672Ga, 1689Ma, 1720To, 1981EB を用いた。 -(注記2)1589Me の fureur の次の語は i が逆に印字されており、 ! とは明らかに異なる。 #co(){ *その他  1689Maは、この詩が第8巻の補遺であることを明記しつつも、第12巻と六行詩の間に挿入している。1720Toでは第12巻68番になっている。 } *日本語訳 ああ何たる猛威!ああ何たる不幸! (それが)多くの人々の間で起こるだろう。 勤勉なオオカミたちが走り回らねばならないであろうほどの そんな友情はかつては見られなかった。 **訳について  1行目 pitié は中期フランス語では「不幸」(misère, malheur)の意味もあった((DMF))。  訳の都合上、3行目と4行目を入れ替えて訳している。  大乗訳はそれほど問題はない。 *信奉者側の解釈  [[ジャック・ド・ジャン]](1672年)は当時の英仏蘭の関係と解釈している((Jant [1672]))。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は、[[補遺篇の第8巻2番>詩百篇第8巻2番 (補遺篇)]]とともに、第一次世界大戦後について、粘り強く協調しないと再び戦争が起こると警告する詩だったと解釈した((Lamont [1943] pp.143-144))。  [[ジョン・ホーグ]]によれば、アドルフという人名は古代高地ドイツ語では「高貴なオオカミ」を意味していたという。他方でオオカミに育てられたロムルスとレムスの伝説によって、イタリアとオオカミも結びつきが深い。ゆえに、「オオカミ達」はヒトラーとムッソリーニの枢軸を指すとする((Hogue [1997/1999]))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、第二次世界大戦後のフランスとドイツの関係についての予言と解釈した((Fontbrune [1980/1982]))。 *同時代的な視点  [[詩百篇第3巻33番]]ではオオカミが都市内に入ることと戦争が結び付けられている。  当時の世人はオオカミに強い恐怖心を抱いていたというし((高田・伊藤 [1999]pp.239-240))、荒んだ社会情勢を表していると見ることもできる。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[詩百篇第8巻]]>3番(補遺篇)* *原文 Las quel&sup(){1} fureur !&sup(){2} helas quelle pitié&sup(){3} Il y aura entre beaucoup de gens&sup(){4}, On ne veit&sup(){5} onc vne telle amitié, Qu'auront les loups&sup(){6} à courir diligens. **異文 (1) quel 1588Rf 1589Rg : quelle &italic(){T.A.Eds.} (2) fureur ! : fureur ᴉ 1589Me, fureur 1611A 1612Me, &u(){fureur,} 1611B 1672Ga 1981EB, &u(){fureur ;} 1720To (3) pitié : pitié ! 1981EB (4) gens : gens ! 1628dR 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668A 1668P 1689Ma (5) veit 1588Rf 1589Rg : vid 1667Wi 1720To, vit &italic(){T.A.Eds.} (6) loups : Loups 1672Ga -(注記1)この詩は全ての版に含まれているわけではないため、底本を 1588Rf とし、比較の対象に 1589Me, 1589Rg, 1605sn, 1611A, 1611B, 1612Me, 1628dR, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1667Wi, 1668A, 1668P, 1672Ga, 1689Ma, 1720To, 1981EB を用いた。 -(注記2)1589Me の fureur の次の語は i が逆に印字されており、 ! とは明らかに異なる。 #co(){ *その他  1689Maは、この詩が第8巻の補遺であることを明記しつつも、第12巻と六行詩の間に挿入している。1720Toでは第12巻68番になっている。 } *日本語訳 ああ何たる猛威!ああ何たる不幸! (それが)多くの人々の間で起こるだろう。 勤勉なオオカミたちが走り回らねばならないであろうほどの そんな友情はかつては見られなかった。 **訳について  1行目 pitié は中期フランス語では「不幸」(misère, malheur)の意味もあった((DMF))。  訳の都合上、3行目と4行目を入れ替えて訳している。  大乗訳はそれほど問題はない。 *信奉者側の解釈  [[ジャック・ド・ジャン]](1672年)は当時の英仏蘭の関係と解釈している((Jant [1672]))。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は、[[補遺篇の第8巻2番>詩百篇第8巻補遺篇2番]]とともに、第一次世界大戦後について、粘り強く協調しないと再び戦争が起こると警告する詩だったと解釈した((Lamont [1943] pp.143-144))。  [[ジョン・ホーグ]]によれば、アドルフという人名は古代高地ドイツ語では「高貴なオオカミ」を意味していたという。他方でオオカミに育てられたロムルスとレムスの伝説によって、イタリアとオオカミも結びつきが深い。ゆえに、「オオカミ達」はヒトラーとムッソリーニの枢軸を指すとする((Hogue [1997/1999]))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、第二次世界大戦後のフランスとドイツの関係についての予言と解釈した((Fontbrune [1980/1982]))。 *同時代的な視点  [[詩百篇第3巻33番]]ではオオカミが都市内に入ることと戦争が結び付けられている。  当時の世人はオオカミに強い恐怖心を抱いていたというし((高田・伊藤 [1999]pp.239-240))、荒んだ社会情勢を表していると見ることもできる。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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