予兆詩第60番

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予兆詩第60番(旧55番) 1560年10月について *原文 Sera receuë la requeste&sup(){1} decente&sup(){2}, Seront chassez & puis remis au sus. La grande grande&sup(){3} se trouvera contente. Aveugles, sourds&sup(){4} seront mis au dessus.((原文は Chevignard [1999] p.142による。)) **異文 (1) requeste : Requeste 1560LN (2) decente : decenté 1605, décente 1649Xa (3) La grande grande 1560LN 1589Rec : La Grande Grande &italic(){T.A.Eds.} (4) Aveugles, sourds : Et les sourdz, aueugles 1560LN (注記)1560LN は初出である『[[1560年向けの暦>Almanach, Pour l'an 1560]]』の原文。[[ベルナール・シュヴィニャール]]の校訂の段階では行方不明になっていた。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。 *日本語訳 妥当な要求が受け容れられるだろう。 彼らは逐われ、そのあと立て直されるだろう。 偉大にして偉大なる女性は満ち足りていると気付くだろう。 盲人たちと聾者たちは上に置かれるだろう。 **訳について  remettre sus は中期フランス語の成句で「立て直す」(redresser, relever)の意味((DMF p.543))で、[[ベルナール・シュヴィニャール]]によれば、remettre au sus も同じ意味のようである((Chevignard [1999]))。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1562年1月のサン=ジェルマン王令と解釈した。この王令は市域外でのプロテスタントの礼拝を認めたもので、フランソワ2世のもとでは迫害されたプロテスタントが、シャルル9世のもとで立て直されたことを的中させたとする。  3行目は融和的な解決を模索していたカトリーヌ・ド・メディシスが安堵したことを指し、4行目はプロテスタントが熱狂するさまを描写しているとした((Chavigny [1594] p.88))。  他方でシャヴィニーは、第一次ユグノー戦争終結時のアンボワーズの和解王令(1563年3月)にも当てはまるとしている((Chavigny [1594] pp.124-126))。この王令は、プロテスタント貴族の信仰の自由をかなりの程度認めたものだった。 **懐疑的な視点  シャヴィニーの解釈はある程度史実に適合している。しかし、サン=ジェルマン王令とアンボワーズの和解王令の2つに当てはめているように、当時似たような状況が何度も起こりえたことも事実である。果たしてそれが予言能力なしに見通せなかったものかどうか、冷静に判断する必要があるだろう。 ---- #comment
予兆詩第60番(旧55番) 1560年10月について *原文 Sera receuë la requeste&sup(){1} decente&sup(){2}, Seront chassez & puis remis au sus. La grande grande&sup(){3} se trouvera contente. Aveugles, sourds&sup(){4} seront mis au dessus.((原文は Chevignard [1999] p.142による。)) **異文 (1) requeste : Requeste 1560LN (2) decente : decenté 1605, décente 1649Xa (3) La grande grande 1560LN 1589Rec : La Grande Grande &italic(){T.A.Eds.} (4) Aveugles, sourds : Et les sourdz, aueugles 1560LN (注記)1560LN は初出である『[[1560年向けの暦>Almanach, Pour l'an 1560]]』の原文。[[ベルナール・シュヴィニャール]]の校訂の段階では行方不明になっていた。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。 *日本語訳 妥当な要求が受け容れられるだろう。 彼らは逐われ、そのあと立て直されるだろう。 偉大にして偉大なる女性は満ち足りていると気付くだろう。 盲人たちと聾者たちは上に置かれるだろう。 **訳について  remettre sus は中期フランス語の成句で「立て直す」(redresser, relever)の意味((DMF p.543))で、[[ベルナール・シュヴィニャール]]によれば、remettre au sus も同じ意味のようである((Chevignard [1999]))。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1562年1月のサン=ジェルマン王令と解釈した。この王令は市域外でのプロテスタントの礼拝を認めたもので、フランソワ2世のもとでは迫害されたプロテスタントが、シャルル9世のもとで立て直されたことを的中させたとする。  3行目は融和的な解決を模索していたカトリーヌ・ド・メディシスが安堵したことを指し、4行目はプロテスタントが熱狂するさまを描写しているとした((Chavigny [1594] p.88))。  他方でシャヴィニーは、第一次ユグノー戦争終結時のアンボワーズの和解王令(1563年3月)にも当てはまるとしている((Chavigny [1594] pp.124-126))。この王令は、プロテスタント貴族の信仰の自由をかなりの程度認めたものだった。 **懐疑的な視点  シャヴィニーの解釈はある程度史実に適合している。しかし、サン=ジェルマン王令とアンボワーズの和解王令の2つに当てはめているように、当時似たような状況が何度も起こりえたことも事実である。果たしてそれが予言能力なしに見通せなかったものかどうか、冷静に判断する必要があるだろう。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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