百詩篇第2巻90番

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*原文 Par vie & mort changé [[regne]] d'Ongrie&sup(){1}: La loy sera plus aspre que seruice&sup(){2}, Leur&sup(){3} grand cité&sup(){4} d'vrlements&sup(){5} plaincts&sup(){6} & crie&sup(){7}: Castor & Pollux&sup(){8} ennemis dans la lyce&sup(){9}. **異文 (1) d'Ongrie : d'Hongrie 1611B 1649Ca 1650Le 1653 1660 1665 1668 1772Ri, d'Hungrie 1672 (2) seruice : se ruise 1588Rf (3) Leur : En 1557B (4) cité : Cité 1672 (5) d'vrlements : vrlemens 1557B 1589PV, d'vrlement 1588-89 1627, d'hurlemens 1597 1600 1610 1653 1665 1716 1772Ri, d'hurlement 1644 1650Ri, d'Urlemens 1672 (6) plaincts : plaine 1672 (7) crie : criee 1589Me (8) Castor & Pollux : Castor & pollux 1568A 1590Ro 1611A 1628, Castor & polux 1605 1649Xa, Castor Pollux &italic(){conj.(PB)} (9) la lyce : lalice 1605 1628, la Lice 1672 *日本語訳 生と死によってハンガリーの王国は変えられ、 法は奉仕よりも過酷なものとなるだろう。 彼らの大都市は悲鳴、嘆き、叫びに包まれる。 [[カストールとポリュデウケース]]は闘技場で敵対するだろう。 **訳について  3、4行目は動詞などの省略があるので、補い方によって若干の揺れがありうる。  山根訳は許容範囲内。  大乗訳1行目「ハンガリー王国は生と死が変わり」((大乗 [1975] p.93))は、par を無視した誤訳。  3行目「ウルレメーンの大都市は ほえ声と叫びで満たされ」も不適切。この場合の urlements(hurlements)は固有名詞でなく、「悲鳴」を意味する一般名詞である。そもそも urlements の実際の発音は「ユルルマン」に近く、「ウルレメーン」では何のことか分からない。  「満たされ」は、もともと[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の異文で plaints(嘆き)が plaine(満たされた)と校訂されたことが元になっている。だとしても、「ウルレメーン」「ほえ声」「叫び」「満たされ」は、d'vrlements plaincts & crie の何かひとつを重複して訳しているとしか思えない。 *信奉者側の見解  従来、この詩はほとんど注目されておらず、[[バルタザール・ギノー]](1712年)、[[テオドール・ブーイ]](1806年)、[[アナトール・ル・ペルチエ]](1867年)、[[チャールズ・ウォード]](1891年)、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1939年)、[[エミール・リュイール]](1939年)、[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)らは全く触れていなかった。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は、4行目の[[カストールとポリュデウケース]]をオーストリア=ハンガリー二重帝国と解釈し、その崩壊後に独立を回復したハンガリーが、ナチスの勢力下に置かれたことで、かえって以前よりも過酷な境遇に置かれていることの予言とした((Lamont [1943] p.140))。  ハンガリー動乱(1956年)が起こると、その予言とされることが多くなった。  このとき、反スターリンを掲げた民衆達が蜂起したが、最終的にはソ連軍の介入によって潰された。4行目の[[カストールとポリュデウケース]]は、双子を意味するが、ここでは同じハンガリー国内でスターリン支持派と反対派に分かれて争ったことを予言しているとされる。  この解釈は[[セルジュ・ユタン]]、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]、[[エリカ・チータム]]、[[ヴライク・イオネスク]]などが採用している((Hutin [1978], Fontbrune [1980/1982], Cheetham [1990], イオネスク [1990]))。[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1949年)は当初漠然とした解釈しかつけていなかったが、後の[[娘婿>ハーヴェイ・アムスターダム]]夫妻の改訂版では、ハンガリー動乱とする解釈に差し替えられている。 *同時代的な視点  1724年の匿名の論文「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」では、1526年のモハーチの戦いとの関連性が指摘されている。この戦いでは、オスマン帝国軍がハンガリー軍を大破し、国王ラヨシュ2世も殺された。その後、ブダペスト(殊にペシュト地区)はオスマン帝国によって大略奪に遭った。  この後、ハンガリー王を継いだ神聖ローマ帝国の皇弟フェルディナントと、自分こそが国王だと主張したトランシルヴァニア侯サポヤイ・ヤーノシュとの間で、ハンガリーの支配権を巡って内戦が起こった。  詩の情景は確かに事件と一致している。1724年の匿名の解釈を知ってか知らずか、[[エドガー・レオニ]]も同じ解釈を採っている。このレオニの解釈を、[[ピエール・ブランダムール]]や[[ピーター・ラメジャラー]]も支持している((Leoni [1961/1982], Brind’Amour [1996], Lemesurier [2003b]))。  なお、ラメジャラーや[[ルイ・シュロッセ]]は、4行目の「双子」を、双子のような都市ブダとペシュトと解釈している((Schlosser [1986] p.137))。 ---- #comment
*原文 Par vie & mort changé [[regne]] d'Ongrie&sup(){1}: La loy sera plus aspre que seruice&sup(){2}, Leur&sup(){3} grand cité&sup(){4} d'vrlements&sup(){5} plaincts&sup(){6} & crie&sup(){7}: Castor & Pollux&sup(){8} ennemis dans la lyce&sup(){9}. **異文 (1) d'Ongrie : d'Hongrie 1611B 1649Ca 1650Le 1653 1660 1665 1668 1772Ri, d'Hungrie 1672 (2) seruice : se ruise 1588Rf (3) Leur : En 1557B (4) cité : Cité 1672 (5) d'vrlements : vrlemens 1557B 1589PV, d'vrlement 1588-89 1627, d'hurlemens 1597 1600 1610 1653 1665 1716 1772Ri, d'hurlement 1644 1650Ri, d'Urlemens 1672 (6) plaincts : plaine 1672 (7) crie : criee 1589Me (8) Castor & Pollux : Castor & pollux 1568A 1590Ro 1611A 1628, Castor & polux 1605 1649Xa, Castor Pollux &italic(){conj.(PB)} (9) la lyce : lalice 1605 1628, la Lice 1672 *日本語訳 生と死によってハンガリーの王国は変えられ、 法は奉仕よりも過酷なものとなるだろう。 彼らの大都市は悲鳴、嘆き、叫びに包まれる。 [[カストールとポリュデウケース]]は闘技場で敵対するだろう。 **訳について  3、4行目は動詞などの省略があるので、補い方によって若干の揺れがありうる。  山根訳は許容範囲内。  大乗訳1行目「ハンガリー王国は生と死が変わり」((大乗 [1975] p.93))は、par を無視した誤訳。  3行目「ウルレメーンの大都市は ほえ声と叫びで満たされ」も不適切。この場合の urlements(hurlements)は固有名詞でなく、「悲鳴」を意味する一般名詞である。そもそも urlements の実際の発音は「ユルルマン」に近く、「ウルレメーン」では何のことか分からない。  「満たされ」は、もともと[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の異文で plaints(嘆き)が plaine(満たされた)と校訂されたことが元になっている。だとしても、「ウルレメーン」「ほえ声」「叫び」「満たされ」は、d'vrlements plaincts & crie の何かひとつを重複して訳しているとしか思えない。 *信奉者側の見解  従来、この詩はほとんど注目されておらず、[[バルタザール・ギノー]](1712年)、[[テオドール・ブーイ]](1806年)、[[アナトール・ル・ペルチエ]](1867年)、[[チャールズ・ウォード]](1891年)、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1939年)、[[エミール・リュイール]](1939年)、[[ロルフ・ボズウェル]](1943年)らは全く触れていなかった。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は、4行目の[[カストールとポリュデウケース]]をオーストリア=ハンガリー二重帝国と解釈し、その崩壊後に独立を回復したハンガリーが、ナチスの勢力下に置かれたことで、かえって以前よりも過酷な境遇に置かれていることの予言とした((Lamont [1943] p.140))。  ハンガリー動乱(1956年)が起こると、その予言とされることが多くなった。  このとき、反スターリンを掲げた民衆達が蜂起したが、最終的にはソ連軍の介入によって潰された。4行目の[[カストールとポリュデウケース]]は、双子を意味するが、ここでは同じハンガリー国内でスターリン支持派と反対派に分かれて争ったことを予言しているとされる。  この解釈は[[セルジュ・ユタン]]、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]、[[エリカ・チータム]]、[[ヴライク・イオネスク]]などが採用している((Hutin [1978], Fontbrune [1980/1982], Cheetham [1990], イオネスク [1990]))。[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1949年)は当初漠然とした解釈しかつけていなかったが、後の[[娘婿>ハーヴェイ・アムスターダム]]夫妻の改訂版では、ハンガリー動乱とする解釈に差し替えられている。 *同時代的な視点  1724年の匿名の論文「[[ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡>Lettre Critique sur la personne & sur les Ecrits de Michel Nostradamus]]」では、1526年のモハーチの戦いとの関連性が指摘されている。この戦いでは、オスマン帝国軍がハンガリー軍を大破し、国王ラヨシュ2世も殺された。その後、ブダペスト(殊にペシュト地区)はオスマン帝国によって大略奪に遭った。  この後、ハンガリー王を継いだ神聖ローマ帝国の皇弟フェルディナントと、自分こそが国王だと主張したトランシルヴァニア侯サポヤイ・ヤーノシュとの間で、ハンガリーの支配権を巡って内戦が起こった。  詩の情景は確かに事件と一致している。1724年の匿名の解釈を知ってか知らずか、[[エドガー・レオニ]]も同じ解釈を採っている。このレオニの解釈を、[[ピエール・ブランダムール]]や[[ピーター・ラメジャラー]]も支持している((Leoni [1961/1982], Brind’Amour [1996], Lemesurier [2003b]))。  なお、ラメジャラーや[[ルイ・シュロッセ]]は、4行目の「双子」を、双子のような都市ブダとペシュトと解釈している((Schlosser [1986] p.137))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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