百詩篇第4巻80番

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*原文 Pres du grand fleuue&sup(){1} grand&sup(){2} fosse terre&sup(){3} [[egeste]]&sup(){4}, En quinze [[pars>part]] sera l'eau&sup(){5} diuisee&sup(){6}: La cité&sup(){7} prinse, feu, sang, crys.&sup(){8} conflict&sup(){9} mestre&sup(){10} Et la plus part&sup(){11} concerne&sup(){12} au [[collisee]]. **異文 (1) grand fleuue : grand ffeuue 1568B, grandfleuue 1650Ri, grand Fleuve 1672 (2) grand : grand' 1627 1644 1650Ri (3) fosse terre : fosseterre 1600, force terre 1653 1665 1716, force, terre 1840 (4) egeste : aggeste 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1716 (5) sera l'eau : sera l'eaue 1557B, l'eau sera 1672 (6) diuisee : diuieée 1653 (7) cité : Cité 1672 (8) crys. 1557U : crys,/ crys &italic(){T.A.Eds.} (9) conflict : conflic 1653 (10) mestre : mettre 1557B 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1772Ri 1840, mœste 1627 1660, meste 1644 1650Ri 1653 1665 1668 (11) plus part : pluspart 1610 1653 1665 1840 (12) concerne : concerné 1665 **校訂  3行目 mestre は maistre(現 maître)の綴りの揺れに過ぎないが((DAF, DMF))、意味が通らない。底本の問題もあるが、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]らは、いずれも mettre で理解している。  しかし、1行目の egeste との押韻からすれば、meste の誤植という可能性も出てくるだろう。meste は古フランス語で triste(悲しい、陰惨な)を意味する形容詞である((LAF))。[[エドガー・レオニ]]は、mettre を採用しつつも、英訳に際しては moeste という異文を尊重している。レオニは moeste をラテン語 moestus(悲しい)に由来する言葉と見ており、meste と同じといってよいだろう。 *日本語訳 大河の近くで大きな溝が土地を潤し、 水は十五の部分に分けられるだろう。 都市が陥落する。火、血、叫び、悲惨な衝突。 そして大部分の者は円形闘技場に閉じ込められる。 **訳について  3行目 mestre は meste と見なした。  4行目 concerne についてだが、普通 concerner は「関係する」、中期フランス語では「考慮する」の意味である((DMF))。しかし、この場合は con-(ともに)+ cerner(取り囲む)の意味((ただし、『仏和大辞典』によれば、concerner の語源は俗ラテン語のconcernere「一緒に混ぜ合わせる」))で、受動的に「一緒に閉じ込められた」と読むべきとする[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。強引なようだが、[[ピーター・ラメジャラー]]も同じように読んでいる通り、文脈上はそう読むのが自然である。  山根訳1行目「大河のほとり 大きな塹壕 掘られた大地」((山根 [1988] p.170))は、[[egeste]]を「取り去られる」の意味にとった上で「土を取り去る」=「掘る」の意味に理解したものか。  同4行目「広い地域が衝突に巻きこまれる」は、[[collisee]]の解釈によってはありうる訳だが、現在では余り支持されている読み方とはいえない。  大乗訳1行目「大河の近くで地に大きな穴をほり」((大乗 [1975] p.143))は、「掘る」という訳については上に述べた理由で許容できるとしても、fosse(溝)を「穴」と訳すのは不適切だろう。 同4行目「大部分コロセウムに従う」は、concerner がなぜ「従う」になるのか、よく分からない。 *信奉者側の見解  この詩は従来ほとんど注目されることはなく、[[バルタザール・ギノー]](1712年)、[[テオドール・ブーイ]](1806年)、[[アナトール・ル・ペルチエ]](1867年)、[[チャールズ・ウォード]]らは触れていなかった。  しかし、1930年代にマジノ線が構築されると、それと戦争に関連付けて解釈されるようになった。 マジノ線は対ドイツ軍用にフランスで構想された防衛線で、1930年の議会で圧倒的な支持を得て建設されることになった。フランスはこの防衛線に過大な期待を寄せていたが、1940年に破られ、ドイツ軍のフランス占領につながった。  当「大事典」で確認している範囲で一番古いのは、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]の解釈(1939年)である。その中で彼はマジノ線の地図を載せ、マジノ線が15の区画から成り立っていることを示した。そして2行目の「水」を「水路学上の」(hydrographiques)と読み替えて、前半2行をマジノ線の構築と結びつけた。後半2行は都市での惨状や住民への衝撃としているが、前半2行との関係は明示していなかった((M. de Fontbrune [1939] p.178))。  実際にマジノ線が破られた後では、前半2行がマジノ線の突破、後半2行がドイツによるパリの占領などと解釈されるようになった。1943年の[[アンドレ・ラモン]]や[[ロルフ・ボズウェル]]の解釈は、その比較的早い事例といえるだろう((Lamont [1943] p.189, Boswell [1943] p.203))  同種の解釈を採る論者は、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]、[[モーリス・シャトラン]]など、枚挙に暇がない。 *同時代的な視点  1行目の「大きな溝」が水路だとした場合、それと「円形闘技場」を同時に満たす最有力の都市は[[ニーム]]であろう。ニームには保存状態の良い円形闘技場が残っている上、古代ローマ時代にニームに水を供給するために作られた水道橋ポン・デュ・ガールが現存している。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、『[[ミラビリス・リベル]]』の予言を踏まえ、イスラーム勢力が南フランスに侵攻し、ニームの住民達は円形闘技場の遺跡に避難することになるという見通しを表現したものだろうとした((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、前半は不毛の大地の灌漑の描写で、この詩が書かれた頃には建設が始まっていた[[クラポンヌ運河]]に関するものではないかとした。後半は都市の受難についての描写としたが、どこの都市についてかは明示していない((Clébert [2003]))。 ---- #comment

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