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予兆詩第76番(旧66番) 1562年について
*原文
Saison d'hiver, [[ver]] bon, sain, mal esté,
Pernicieux automn' sec&sup(){1}, froment rare.
Du vin assez, mal yeux, faits, molesté&sup(){2}
Guerre, mutins&sup(){3}, seditieuse tare.((原文は Chevignard [1999] p.150 による。))
**異文
(1) automn' sec 1562LN : auton, sec &italic(){T.A.Eds.}
(2) molesté : moleste 1562LN
(3) mutins 1562LN 1589Rec 1594JF : mutin &italic(){T.A.Eds.}
(注記)1562LN は初出である『[[1562年向けの新たなる暦>Almanach Novveav, Pour l'An. 1562.]]』に見られる原文。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が転記した異文。
*日本語訳
冬季と春は良好で健やか、夏は凶。
乾燥する秋は有害、小麦は稀少。
ブドウ酒は十分。悪い双眼、事件、迫害された者。
戦争、叛乱、暴動につながる損害。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1562年についての概略的な予言と解釈した((Chavigny [1594] p.86))。
[[ジョン・ホーグ]]は最初の3行はどの年にも当てはまるような予言としつつも、最後の部分はユグノー戦争の開戦(1562年3月のヴァシーの虐殺で始まった)を的中させたとした((Hogue [1997/1999]))。
*同時代的な視点
シャヴィニーの言うとおり、1562年全体向けの詩ということで、季節の概要や収穫、さらに不安定な世情についても述べているのだろう。実際の気候や収穫と照らし合わせた研究がないので分からないが、フランスは地域ごとの気候の違いもかなりあるので、地域ごとの状況をつなぎ合わせれば的中したと見ることもおそらくできるのだろう。
この詩が書かれたのは1561年前半と推測されているので、ホーグの言うようにユグノー戦争開戦を予言したものなら見事な的中といえる。
ただし、1561年の時点でかなり緊張は高まっており、ノストラダムス自身、暴徒化した民衆から危害を加えられることなどを恐れて、アヴィニョンへの引越しを検討し、引越し先の住居契約にまで漕ぎ着けていた。引越しは結局見送られたが、この詩の後半は、単にそうした身近な不安が投影されている可能性もあるだろう。
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予兆詩第76番(旧66番) 1562年について
*原文
Saison d'hiver, [[ver]] bon, sain, mal esté,
Pernicieux automn' sec&sup(){1}, froment rare.
Du vin assez, mal yeux, faits, molesté&sup(){2}
Guerre, mutins&sup(){3}, seditieuse tare.((原文は Chevignard [1999] p.150 による。))
**異文
(1) automn' sec 1562LN : auton, sec &italic(){T.A.Eds.}
(2) molesté : moleste 1562LN
(3) mutins 1562LN 1589Rec 1594JF : mutin &italic(){T.A.Eds.}
(注記)1562LN は初出である『[[1562年向けの新たなる暦>Almanach Novveav, Pour l'An. 1562.]]』に見られる原文。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が転記した異文。
*日本語訳
冬季と春は良好で健やか、夏は凶。
乾燥する秋は有害、小麦は稀少。
ブドウ酒は十分。悪い双眼、事件、迫害された者。
戦争、叛乱、暴動につながる損害。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1562年についての概略的な予言と解釈した((Chavigny [1594] p.86))。
[[ジョン・ホーグ]]は最初の3行はどの年にも当てはまるような予言としつつも、最後の部分はユグノー戦争の開戦(1562年3月のヴァシーの虐殺で始まった)を的中させたとした((Hogue [1997/1999]))。
*同時代的な視点
シャヴィニーの言うとおり、1562年全体向けの詩ということで、季節の概要や収穫、さらに不安定な世情についても述べているのだろう。実際の気候や収穫と照らし合わせた研究がないので分からないが、フランスは地域ごとの気候の違いもかなりあるので、地域ごとの状況をつなぎ合わせれば的中したと見ることもおそらくできるのだろう。
この詩が書かれたのは1561年前半と推測されているので、ホーグの言うようにユグノー戦争開戦を予言したものなら見事な的中といえる。
ただし、1561年の時点でかなり緊張は高まっており、ノストラダムス自身、暴徒化した民衆から危害を加えられることなどを恐れて、アヴィニョンへの引越しを検討し、引越し先の住居契約にまで漕ぎ着けていた。引越しは結局見送られたが、この詩の後半は、単にそうした身近な不安が投影されている可能性もあるだろう。
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