ノストラダムスの大予言

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 『&bold(){ノストラダムスの大予言}』は、1973年に祥伝社から発行された[[五島勉]]の著書。 1974年のノンフィクション部門ベストセラー1位、総合部門2位((出版ニュース社調べ。塩澤実信『昭和ベストセラー世相史』第三文明社、1988年))。実質的に[[日本のノストラダムス現象]]の幕開けとなった著作である。  2014年には[[電子書籍版>ノストラダムスの大予言 (電子書籍版)]]が出された。 #amazon(B00N741IB6) 【画像】Kindle版 *構成 目次の傍点は下線で代用した。 -序章 史上、空前絶後の大予言者 --ノストラダムスの生涯について簡単に説明され、ペストを不思議な未来医術で鎮めたことなどが挙げられている。そして予言詩集『[[諸世紀]]』を著し、ルイ16世処刑のギロチンの幅や、アメリカから出た黒い船がエダという都に辿りつくことなどを予言したと説明される。 -1章 四百年前に今日を&u(){完全に}予言 --[[アンリ2世]]に対し、10年後に死ぬと予言したというエピソードを皮切りに、自動車の出現を予言した「馬についての対話」([[百詩篇第10巻31番]])、海外旅行ブームを言い当てたアスンシオンとの対話([[百詩篇第1巻63番]])などを挙げている。その上で、『諸世紀』を執筆した時点で19歳になっていた息子[[セザール>セザール・ド・ノートルダム]]との対話によって生まれた未来予言として、ノルマンディ上陸作戦([[百詩篇第1巻29番]])、鉛公害([[百詩篇第2巻48番]])、原子力エンジン([[百詩篇第2巻46番]])などが紹介されている。 -2章 世界史は彼の予言どおりに展開してきた --この章も的中例の紹介で、[[ゲーテのパスツール・ショック]]([[百詩篇第1巻25番]])、フランコ将軍([[百詩篇第9巻16番]])、アドルフ・ヒトラー([[百詩篇第4巻68番]])、カギ十字([[百詩篇第6巻49番]])などの解釈例が挙げられている。 -3章 人類滅亡の前兆はすでに出ている --この章はシャルル9世との間で展開されたという[[ブロワ城の問答]]をもとに、未来解釈に踏み込むものとなっている。そして、様々な詩を挙げて滅亡の可能性を強調した上で、人魚が捕まるという、デタラメにみえた[[百詩篇第3巻21番]]すら的中したとして、的中率の高さを強調している。 -4章 一九九九年七月、人類は滅亡する --この章では1999年についての予言([[百詩篇第10巻72番]])を主題とし、その前後の関連する予言として[[百詩篇第6巻97番]]、[[百詩篇第9巻44番]]、[[百詩篇第10巻49番]]などが挙げられており、環境汚染と核戦争によって人類のほとんどが死に絶えることになるという未来図を描き出している。 -5章 たった一つの救いの可能性とは? --ここでは[[セオフィラスの異本]]などにも触れつつ、救いの可能性を検討している。[[百詩篇第1巻48番]]も俎上に載せられ、現生人類の後に地上を席巻することになる生物たちも、7000年の後に太陽系の消滅とともに滅びるとして、章のタイトルとは裏腹に、救いの可能性はほとんど論じられない。 -〈付章〉残された望みとは? --この最後の数ページの付随的な章では、1999年の詩が全滅ではなく部分的な破局を描いている可能性などを一応考慮し、その上で、ノストラダムス予言を哲学思想として捉えたならば、西洋キリスト教文明に対置しうる東洋思想の実践などによって救われる可能性もあるかもしれないと説いている。 *前史  五島自身が1974年の時点で述べていた経緯は以下の通りである。五島はノストラダムスに前々から関心を持って調査していたところ、10年越しでその願いがかない、出版できることになった。当初はノストラダムス以外にも、歴代の有名な予言者たちを扱う予定だったが、祥伝社ノン・ブックの編集長だった伊賀弘三良から、ノストラダムスに絞るべきだと示唆を得たという((五島「それでも『大予言』は当る」(『文芸春秋』1974年4月号)p.351))。  ただし、出版ジャーナリスト沢田博の記事だと、若干ニュアンスが異なっている。五島が持ち込んだのは10人の予言者を扱うアンソロジーのようなもので、1人に絞るように伊賀から指示が出た時には、H.G.ウェルズに絞った企画を提出してボツにされたという。その後で伊賀からノストラダムスでまとめるよう指示が出て、その線に沿って五島が書き上げたのが『ノストラダムスの大予言』だったという((沢田「予言されなかった『大予言』」(『創』1982年11月号、p.82))。『噂の真相』の記事でも、祥伝社の関係者の話として、もともとの企画は10人の予言者を扱うものだったとされている((西田健「『ノストラダムスの大予言』を煽り立てたオカルト派こそ"恐怖の大王"の正体だ!」(『噂の真相』1999年3月号)p.76))。  ほかに佐木隆三によると、『世界の予言者』という企画を立てたのは祥伝社自身だったが、特定のテーマに絞った実用的専門書がヒットしている状況を踏まえ、ノストラダムスに絞る方向で軌道修正が行われたという((佐木「“終末”予言商売大繁盛」(『問題小説』1974年5月号)p.196))。  細部に若干食い違いはあるが、当初アンソロジーの企画だったものが、伊賀の発案でノストラダムス一本に絞られたという辺りは事実なのだろう。 *売れ行きとシリーズ化  奥付通りなら、1973年11月25日に初版が発行された。『読売新聞』1973年11月21日夕刊には「最新刊」として広告が載っているので、実際の発売日はそのころだろうか。  初版の発行部数は2万5000部だったという((『週刊宝石』1999年2月11日号))。発行部数が6万部に達した辺りで「まえがき」の改訂(後述)が行われた((沢田、前掲記事、p.81))。売れ行きはさらに加速し、発売1か月で公称36万5000部((『週刊文春』1974年1月21日号、p.114))となり、12月22日付の『朝日新聞』には「全国の読者と書店の皆様にお詫びいたします」と大書された、売れ行きのあまり増刷が追いつかないことを詫びる祥伝社の広告が掲載された。その後、翌年1月半ばに65万部を超え((『朝日新聞』1974年1月14日夕刊))、3ヶ月ほどで公称100万部を突破した。これは出版科学研究所調べとして『読売新聞』1974年2月25日朝刊および『朝日新聞』1974年3月2日朝刊の広告に載ったものだが、これらの広告では、この本が戦後のミリオンセラーとしては15冊目であることも謳われている。最終的な増刷数は不明だが、1994年5月5日付で449版((「恐怖の大王は本当に来るのか?」『イッキ読み!!ベストセラー200冊』(好奇心ブック9号)、双葉社、1997年、p.12))、1998年8月の時点で450版((『日本の論点99』p.688による。))とされている。  ただし、最終的な発行部数ははっきりしない。1991年時点で公称250万部だったが((『SPA!』 1991年3月20日号))、1997年に209万部((『日経エンタテインメント!』調査 「[[本誌独自調査 予言書ベストセラーランキング これが最も売れている予言書トップ30(ホームページ版オリジナル)>>http://web.archive.org/web/20010211204834/http://netnavi.nikkeibp.co.jp/ent/index/9710/report/news0302.html]]」(ミラー・サイト)による。))、1998年8月時点で209万部((『日本の論点99』p.688による。))または240万部((同上、p.680の五島勉の著者紹介欄))、1999年7月初頭で210万部((『朝日新聞』1999年7月1日夕刊1面))などと、公表されている数値が(時期の違いを考慮にいれても)まちまちなため、正確な部数の把握が難しい。少なくとも200万部以上売れたとは言えるのかもしれない。  こうした売れ行きによって何冊もの続編が刊行された。第五冊目の『[[ノストラダムスの大予言V]]』(1986年)で一応「完結編」と銘打たれたものの、その後もなし崩しに『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』(1998年)までシリーズは続き、全10冊のシリーズとなった。初巻の売れ行きには到底及ばなかったものの、シリーズ作品はいずれも売れ、ベストセラーランキングにもしばしば登場した(詳しくは[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]を参照のこと)。 *評価  パスツールに関するエピソード(「[[ゲーテのパスツール・ショック]]」)が虚偽のものであることは、1974年に週刊朝日の匿名コラム(書評子のイニシャルは「D」と書かれている)や[[高木彬光]]の文章によって指摘されていた。これらは、後述の青背版の改訂に影響を及ぼすことになる。  ほかにも、『週刊文春』や『問題小説』の記事では解釈が恣意的であることを批判されたし、特に後者では資料集めのずさんさを暴露され、「或る雑誌編集長」から泥縄的に[[ロブ>スチュワート・ロッブ]]と[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]の本を借りた顛末を紹介された。  『週刊現代』では[[渡辺一夫]]、[[黒沼健]]や自然科学系の専門家の意見を集めて、五島の解釈の問題点を指摘した。数ある批判の中でも、特に五島にとって印象深かったのがこの記事らしく、直後に『文芸春秋』に寄稿した文章から『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』に至るまで、何度も取り上げて反論している。ただし、そこで五島がこう言われたと書いている「インチキ」「ペテン師」といった罵倒は記事本文に出てこない。若干、権威を笠に着るような発言が見られたのは事実だが、論拠を示さずに感情的に罵倒しまくるコメントを寄せた者は一人もおらず、五島は意図的かどうかはともかく、批判の軸をずらして反論している。  1990年代になると、[[志水一夫]]『[[大予言の嘘]]』(1991年 / 1997年)や[[山本弘]]『[[トンデモノストラダムス本の世界]]』(1998年 / 1999年)によって、高木が指摘したエピソード以外もほとんどが史実と矛盾している点や、解釈においても事実関係に虚偽を織り交ぜることで的中度を強調している箇所が多くある点が明らかにされた。 *改訂版の存在  カバーにはいわゆる「赤背版」と「青背版」がある。  赤背版には前書きが初版と同じ「まえがき」になっているものと「重版のためのまえがき」になっているものがある。沢田博によると、社会不安の元凶として叩かれることを危惧した編集長の伊賀の指示で差し替えることになったといい、五島自身、沢田の取材に対し、当初の「まえがき」が「とにかく危ない」と書いたものだったので、「もっと柔らかい調子に、破滅は予告されているけれども、これからの努力次第で救われる可能性はある、という調子に」書き直したと答えたという((沢田、前掲記事、p.281))。  下の画像にあるように、付いていた帯も初版は「恐怖」で、青版は「警告」と、力点を置いているキーワードが明らかに異なっていることが読み取れる。  青背版は、仏語原文の掲載、誤りの修正、長めの加筆、写真の差し替えなど、様々な改訂が段階的になされてきた。詳しくは[[『ノストラダムスの大予言』の各版の違い]]を参照のこと。 #ref(EdtPrinc.JPG) 【画像】 (左)初版帯付(1973年11月25日) (右)64版帯付(1974年1月15日)((いずれも当「大事典」管理者の蔵書。)) *書誌 :書名|ノストラダムスの大予言 :副題|迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日 :著者|五島勉 :版元| 祥伝社 :出版日|1973年11月25日 :注記|初版は祥伝社発行、小学館発売。 **外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌 :Titre| Nostradamus no dai-yogen (trad. / Les Grandes Prophéties de Nostradamus) :Sous-titre| Semarikuru 1999 nen 7 no tsuki, jinrui-metsubô no hi (trad. / Le temps immenant : Le jour de la disparition de la humanité au mois de sept, l’an 1999.) :Auteur|GOTÔ Ben :Publication|Shôdensha :Lieu|Tokyo, Japon :Date|25 Novembre 1973 :Note|Examen des quatrains I-16, I-25, I-29, I-31, I-35, I-48, I-63, I-69, II-13, II-24, II-43, II-46, II-48, II-59, II-75, III-11, III-13, III-21, III-92, IV-68, VI-10, VI-49, VI-97, VI-98, VIII-14, IX-16, IX-44, IX-83, X-31, X-49, X-71, X-72, X-74, X-98, X-99, XI-6(!), XI-13(!), XI-45(!), XI-48(!), XI-82(!), XI-85 ou 86(!), XI-90(!), XII-8(!), XII-37(!), XII-52, XII-100(!), XII (sans numéro)(!), un quatrain uncomplet (“Par ciel volant en nef la femme / Bienstot un grand Roy en Dorse assassiner”) *関連項目 -[[セオフィラスの異本]] ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
 『&bold(){ノストラダムスの大予言}』は、1973年に祥伝社から発行された[[五島勉]]の著書。 1974年のノンフィクション部門ベストセラー1位、総合部門2位((出版ニュース社調べ。塩澤実信『昭和ベストセラー世相史』第三文明社、1988年))。実質的に[[日本のノストラダムス現象]]の幕開けとなった著作である。  2014年には[[電子書籍版>ノストラダムスの大予言 (電子書籍版)]]が出された。 #amazon(B00N741IB6) 【画像】Kindle版 *構成 目次の傍点は下線で代用した。 -序章 史上、空前絶後の大予言者 --ノストラダムスの生涯について簡単に説明され、ペストを不思議な未来医術で鎮めたことなどが挙げられている。そして予言詩集『[[諸世紀]]』を著し、ルイ16世処刑のギロチンの幅や、アメリカから出た黒い船がエダという都に辿りつくことなどを予言したと説明される。 -1章 四百年前に今日を&u(){完全に}予言 --[[アンリ2世]]に対し、10年後に死ぬと予言したというエピソードを皮切りに、自動車の出現を予言した「馬についての対話」([[百詩篇第10巻31番]])、海外旅行ブームを言い当てたアスンシオンとの対話([[百詩篇第1巻63番]])などを挙げている。その上で、『諸世紀』を執筆した時点で19歳になっていた息子[[セザール>セザール・ド・ノートルダム]]との対話によって生まれた未来予言として、ノルマンディ上陸作戦([[百詩篇第1巻29番]])、鉛公害([[百詩篇第2巻48番]])、原子力エンジン([[百詩篇第2巻46番]])などが紹介されている。 -2章 世界史は彼の予言どおりに展開してきた --この章も的中例の紹介で、[[ゲーテのパスツール・ショック]]([[百詩篇第1巻25番]])、フランコ将軍([[百詩篇第9巻16番]])、アドルフ・ヒトラー([[百詩篇第4巻68番]])、カギ十字([[百詩篇第6巻49番]])などの解釈例が挙げられている。 -3章 人類滅亡の前兆はすでに出ている --この章はシャルル9世との間で展開されたという[[ブロワ城の問答]]をもとに、未来解釈に踏み込むものとなっている。そして、様々な詩を挙げて滅亡の可能性を強調した上で、人魚が捕まるという、デタラメにみえた[[百詩篇第3巻21番]]すら的中したとして、的中率の高さを強調している。 -4章 一九九九年七月、人類は滅亡する --この章では1999年についての予言([[百詩篇第10巻72番]])を主題とし、その前後の関連する予言として[[百詩篇第6巻97番]]、[[百詩篇第9巻44番]]、[[百詩篇第10巻49番]]などが挙げられており、環境汚染と核戦争によって人類のほとんどが死に絶えることになるという未来図を描き出している。 -5章 たった一つの救いの可能性とは? --ここでは[[セオフィラスの異本]]などにも触れつつ、救いの可能性を検討している。[[百詩篇第1巻48番]]も俎上に載せられ、現生人類の後に地上を席巻することになる生物たちも、7000年の後に太陽系の消滅とともに滅びるとして、章のタイトルとは裏腹に、救いの可能性はほとんど論じられない。 -〈付章〉残された望みとは? --この最後の数ページの付随的な章では、1999年の詩が全滅ではなく部分的な破局を描いている可能性などを一応考慮し、その上で、ノストラダムス予言を哲学思想として捉えたならば、西洋キリスト教文明に対置しうる東洋思想の実践などによって救われる可能性もあるかもしれないと説いている。 *前史  五島自身が1974年の時点で述べていた経緯は以下の通りである。五島はノストラダムスに前々から関心を持って調査していたところ、10年越しでその願いがかない、出版できることになった。当初はノストラダムス以外にも、歴代の有名な予言者たちを扱う予定だったが、祥伝社ノン・ブックの編集長だった伊賀弘三良から、ノストラダムスに絞るべきだと示唆を得たという((五島「それでも『大予言』は当る」(『文芸春秋』1974年4月号)p.351))。  ただし、出版ジャーナリスト沢田博の記事だと、若干ニュアンスが異なっている。五島が持ち込んだのは10人の予言者を扱うアンソロジーのようなもので、1人に絞るように伊賀から指示が出た時には、H.G.ウェルズに絞った企画を提出してボツにされたという。その後で伊賀からノストラダムスでまとめるよう指示が出て、その線に沿って五島が書き上げたのが『ノストラダムスの大予言』だったという((沢田「予言されなかった『大予言』」(『創』1982年11月号、p.82))。『噂の真相』の記事でも、祥伝社の関係者の話として、もともとの企画は10人の予言者を扱うものだったとされている((西田健「『ノストラダムスの大予言』を煽り立てたオカルト派こそ"恐怖の大王"の正体だ!」(『噂の真相』1999年3月号)p.76))。  ほかに佐木隆三によると、『世界の予言者』という企画を立てたのは祥伝社自身だったが、特定のテーマに絞った実用的専門書がヒットしている状況を踏まえ、ノストラダムスに絞る方向で軌道修正が行われたという((佐木「“終末”予言商売大繁盛」(『問題小説』1974年5月号)p.196))。  細部に若干食い違いはあるが、当初アンソロジーの企画だったものが、伊賀の発案でノストラダムス一本に絞られたという辺りは事実なのだろう。 *売れ行きとシリーズ化  奥付通りなら、1973年11月25日に初版が発行された。『読売新聞』1973年11月21日夕刊には「最新刊」として広告が載っているので、実際の発売日はそのころだろうか。  初版の発行部数は2万5000部だったという((『週刊宝石』1999年2月11日号))。発行部数が6万部に達した辺りで「まえがき」の改訂(後述)が行われた((沢田、前掲記事、p.81))。売れ行きはさらに加速し、発売1か月で公称36万5000部((『週刊文春』1974年1月21日号、p.114))となり、12月22日付の『朝日新聞』には「全国の読者と書店の皆様にお詫びいたします」と大書された、売れ行きのあまり増刷が追いつかないことを詫びる祥伝社の広告が掲載された。その後、翌年1月半ばに65万部を超え((『朝日新聞』1974年1月14日夕刊))、3ヶ月ほどで公称100万部を突破した。これは出版科学研究所調べとして『読売新聞』1974年2月25日朝刊および『朝日新聞』1974年3月2日朝刊の広告に載ったものだが、これらの広告では、この本が戦後のミリオンセラーとしては15冊目であることも謳われている。最終的な増刷数は不明だが、1994年5月5日付で449版((「恐怖の大王は本当に来るのか?」『イッキ読み!!ベストセラー200冊』(好奇心ブック9号)、双葉社、1997年、p.12))、1998年8月の時点で450版((『日本の論点99』p.688による。))とされている。  ただし、最終的な発行部数ははっきりしない。1991年時点で公称250万部だったが((『SPA!』 1991年3月20日号))、1997年に209万部((『日経エンタテインメント!』調査 「[[本誌独自調査 予言書ベストセラーランキング これが最も売れている予言書トップ30(ホームページ版オリジナル)>>http://web.archive.org/web/20010211204834/http://netnavi.nikkeibp.co.jp/ent/index/9710/report/news0302.html]]」(ミラー・サイト)による。))、1998年8月時点で209万部((『日本の論点99』p.688による。))または240万部((同上、p.680の五島勉の著者紹介欄))、1999年7月初頭で210万部((『朝日新聞』1999年7月1日夕刊1面))などと、公表されている数値が(時期の違いを考慮にいれても)まちまちなため、正確な部数の把握が難しい。少なくとも200万部以上売れたとは言えるのかもしれない。  こうした売れ行きによって何冊もの続編が刊行された。第五冊目の『[[ノストラダムスの大予言V]]』(1986年)で一応「完結編」と銘打たれたものの、その後もなし崩しに『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』(1998年)までシリーズは続き、全10冊のシリーズとなった。初巻の売れ行きには到底及ばなかったものの、シリーズ作品はいずれも売れ、ベストセラーランキングにもしばしば登場した(詳しくは[[『ノストラダムスの大予言』シリーズ]]を参照のこと)。 *評価  パスツールに関するエピソード(「[[ゲーテのパスツール・ショック]]」)が虚偽のものであることは、1974年に週刊朝日の匿名コラム(書評子のイニシャルは「D」と書かれている)や[[高木彬光]]の文章によって指摘されていた。これらは、後述の青背版の改訂に影響を及ぼすことになる。  ほかにも、『週刊文春』や『問題小説』の記事では解釈が恣意的であることを批判されたし、特に後者では資料集めのずさんさを暴露され、「或る雑誌編集長」から泥縄的に[[ロブ>スチュワート・ロッブ]]と[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]の本を借りた顛末を紹介された。  『週刊現代』では[[渡辺一夫]]、[[黒沼健]]や自然科学系の専門家の意見を集めて、五島の解釈の問題点を指摘した。数ある批判の中でも、特に五島にとって印象深かったのがこの記事らしく、直後に『文芸春秋』に寄稿した文章から『[[ノストラダムスの大予言・最終解答編]]』に至るまで、何度も取り上げて反論している。ただし、そこで五島がこう言われたと書いている「インチキ」「ペテン師」といった罵倒は記事本文に出てこない。若干、権威を笠に着るような発言が見られたのは事実だが、論拠を示さずに感情的に罵倒しまくるコメントを寄せた者は一人もおらず、五島は意図的かどうかはともかく、批判の軸をずらして反論している。  1990年代になると、[[志水一夫]]『[[大予言の嘘]]』(1991年 / 1997年)や[[山本弘]]『[[トンデモノストラダムス本の世界]]』(1998年 / 1999年)によって、高木が指摘したエピソード以外もほとんどが史実と矛盾している点や、解釈においても事実関係に虚偽を織り交ぜることで的中度を強調している箇所が多くある点が明らかにされた。 *改訂版の存在  カバーにはいわゆる「赤背版」と「青背版」があるとされてきた。  当「大事典」では&bold(){赤版}、&bold(){青版}、そして&bold(){水色版}に分けている。  赤版には前書きが初版と同じ「まえがき」になっているものと「重版のためのまえがき」になっているものがある。  沢田博によると、社会不安の元凶として叩かれることを危惧した編集長の伊賀の指示で差し替えることになったといい、五島自身、沢田の取材に対し、当初の「まえがき」が「とにかく危ない」と書いたものだったので、「もっと柔らかい調子に、破滅は予告されているけれども、これからの努力次第で救われる可能性はある、という調子に」書き直したと答えたという((沢田、前掲記事、p.281))。  下の画像にあるように、付いていた帯も初版は「恐怖」で、青版は「警告」と、力点を置いているキーワードが明らかに異なっていることが読み取れる。  青版は、仏語原文の掲載、誤りの修正、長めの加筆、写真の差し替えなど、様々な改訂が段階的になされてきた。詳しくは[[『ノストラダムスの大予言』の各版の違い]]を参照のこと。 #ref(EdtPrinc.JPG) 【画像】 (左)初版帯付(1973年11月25日) (右)64版帯付(1974年1月15日)((いずれも当「大事典」管理者の蔵書。)) *書誌 :書名|ノストラダムスの大予言 :副題|迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日 :著者|五島勉 :版元| 祥伝社 :出版日|1973年11月25日 :注記|初版は祥伝社発行、小学館発売。 **外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌 :Titre| Nostradamus no dai-yogen (trad. / Les Grandes Prophéties de Nostradamus) :Sous-titre| Semarikuru 1999 nen 7 no tsuki, jinrui-metsubô no hi (trad. / Le temps immenant : Le jour de la disparition de la humanité au mois de sept, l’an 1999.) :Auteur|GOTÔ Ben :Publication|Shôdensha :Lieu|Tokyo, Japon :Date|25 Novembre 1973 :Note|Examen des quatrains I-16, I-25, I-29, I-31, I-35, I-48, I-63, I-69, II-13, II-24, II-43, II-46, II-48, II-59, II-75, III-11, III-13, III-21, III-92, IV-68, VI-10, VI-49, VI-97, VI-98, VIII-14, IX-16, IX-44, IX-83, X-31, X-49, X-71, X-72, X-74, X-98, X-99, XI-6(!), XI-13(!), XI-45(!), XI-48(!), XI-82(!), XI-85 ou 86(!), XI-90(!), XII-8(!), XII-37(!), XII-52, XII-100(!), XII (sans numéro)(!), un quatrain uncomplet (“Par ciel volant en nef la femme / Bienstot un grand Roy en Dorse assassiner”) *関連項目 -[[セオフィラスの異本]] ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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