六行詩6番

「六行詩6番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

六行詩6番」(2019/12/07 (土) 00:29:23) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[六行詩集]]>6番* *原文 Quand de Robin la traistreuse&sup(){1} entreprise, Mettra Seigneurs & en peine&sup(){2} vn grand Prince, Sceu&sup(){3} par la Fin, chef on luy&sup(){4} tranchera&sup(){5}: La plume&sup(){6} au&sup(){7} vent, amye dans Espagne&sup(){8}, Poste attrappé estant dans la campagne&sup(){9}, Et l'escriuain&sup(){10} dans l'eauë se jettera. **異文 (1) la traistreuse : latraistreuse 1611B (2) & en peine : en peine & 1600Mo (3) Sceu : Sçeu 1627Ma (4) on luy : luy 1611B (5) tranchera : trenchera 1611 1627Ma 1627Di 1628dR (6) plume : Plume 1672Ga (7) au : an 1627Di (8) amye dans Espagne : Admis dedans L’espagne 1600Au, Commis dedans l'Espagne 1600Mo (9) dans la campagne : à la campagne 1600Au, dans la campague 1649Xa, dans la Campagne 1672Ga (10) l'escriuain : l'Escriuain 1644Hu 1672Ga **校訂  4行目 amye(女友達)は1600Au の Admis(受け入れられた)が本来の形だったのではないだろうか。文脈上はそちらの方が適している。 *日本語訳 ロバンの卑劣な企てが 領主たちと偉大な君主に痛手を与えるであろう時、 ラ・ファンによって知られ、彼の頭は斬り落とされるだろう。 羽が風に舞い、スペインで受け入れられた者。 伝書使は田野にあるときに罠にかけられる。 そして代書人は水に投げ込まれるだろう。 **訳について  4行目 amye は admis として訳した。 *信奉者側の見解  1602年のビロン公の陰謀事件とされる。ロバン(Robin)はビロン(Biron)のアナグラムで、彼はスペインと裏で通じ、国王への反逆を企てた。しかし、ビロン公の秘書であったラ・ファンによって陰謀は露見し、ビロン公は斬首された。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は「羽が風に」は羽が風に舞うように羽ペンでスラスラと書き付けられた文書(ル・ペルチエの解釈ではアンリ4世とフェリペ2世が結んでいた講和条約)の喩えだとした。 また、最後の2行は、スペインからの伝書使がフランス側の待ち伏せに会った際に、文書を水に投げ捨てたために、ビロン公の斬首にはラ・ファンの証言が欠かせなかったことに対応しているという((Le Pelletier [1867a] pp.110-111))。この点、[[マリニー・ローズ]]のように、羽帽子をかぶった伝書使自身が身投げしたとする説もある((Rose [2002a] p.229))。  ル・ペルチエやローズ以外にも多くの信奉者がビロン公の事件として解釈している。 *同時代的な視点  この詩の登場が1605年であることを考えれば、事後予言である可能性は当然想定しなければならない。信奉者側にも[[ジェイムズ・レイヴァー]]のように、偽作の可能性を指摘する者はいた。  なお、4行目の「羽が風に」(la plume au vent)だが、中期フランス語には mettre la plume au vent(冒険しようと決意する)、vanner les plumes au vent(危険に満ちた人生を送る)などの慣用句があった((DMF))。ほかにも、古い慣用句には jeter la plume au vent(運任せにする)などもあった((『仏和大辞典』))。これらからすると、ル・ペルチエが言うような軽やかな喩えというよりも、ビロン公が危ない橋を渡ろうとした喩えと見るべきだろう。 *その他  1600Au では5番になっている。 ---- #comment
[[六行詩集]]>6番* *原文 Quand de Robin la traistreuse&sup(){1} entreprise, Mettra Seigneurs & en peine&sup(){2} vn grand Prince, Sceu&sup(){3} par la Fin, chef on luy&sup(){4} tranchera&sup(){5}: La plume&sup(){6} au&sup(){7} vent, amye dans Espagne&sup(){8}, Poste attrappé estant dans la campagne&sup(){9}, Et l'escriuain&sup(){10} dans l'eauë se jettera. **異文 (1) la traistreuse : latraistreuse 1611B (2) & en peine : en peine & 1600Mo (3) Sceu : Sçeu 1627Ma (4) on luy : luy 1611B (5) tranchera : trenchera 1611 1627Ma 1627Di 1628dR (6) plume : Plume 1672Ga (7) au : an 1627Di (8) amye dans Espagne : Admis dedans L’espagne 1600Au, Commis dedans l'Espagne 1600Mo (9) dans la campagne : à la campagne 1600Au, dans la campague 1649Xa, dans la Campagne 1672Ga (10) l'escriuain : l'Escriuain 1644Hu 1672Ga **校訂  4行目 amye(女友達)は1600Au の Admis(受け入れられた)が本来の形だったのではないだろうか。文脈上はそちらの方が適している。 *日本語訳 ロバンの卑劣な企てが 領主たちと偉大な君主に痛手を与えるであろう時、 ラ・ファンによって知られ、彼の頭は斬り落とされるだろう。 羽が風に舞い、スペインで受け入れられた者。 伝書使は田野にあるときに罠にかけられる。 そして代書人は水に投げ込まれるだろう。 **訳について  4行目 amye は admis として訳した。 *信奉者側の見解  1602年のビロン公の陰謀事件とされる。ロバン(Robin)はビロン(Biron)のアナグラムで、彼はスペインと裏で通じ、国王への反逆を企てた。しかし、ビロン公の秘書であったラ・ファンによって陰謀は露見し、ビロン公は斬首された。  [[アナトール・ル・ペルチエ]]は「羽が風に」は羽が風に舞うように羽ペンでスラスラと書き付けられた文書(ル・ペルチエの解釈ではアンリ4世とフェリペ2世が結んでいた講和条約)の喩えだとした。 また、最後の2行は、スペインからの伝書使がフランス側の待ち伏せに会った際に、文書を水に投げ捨てたために、ビロン公の斬首にはラ・ファンの証言が欠かせなかったことに対応しているという((Le Pelletier [1867a] pp.110-111))。この点、[[マリニー・ローズ]]のように、羽帽子をかぶった伝書使自身が身投げしたとする説もある((Rose [2002a] p.229))。  ル・ペルチエやローズ以外にも多くの信奉者がビロン公の事件として解釈している。 *同時代的な視点  この詩の登場が1605年であることを考えれば、事後予言である可能性は当然想定しなければならない。信奉者側にも[[ジェイムズ・レイヴァー]]のように、偽作の可能性を指摘する者はいた。  なお、4行目の「羽が風に」(la plume au vent)だが、中期フランス語には mettre la plume au vent(冒険しようと決意する)、vanner les plumes au vent(危険に満ちた人生を送る)などの慣用句があった((DMF))。ほかにも、古い慣用句には jeter la plume au vent(運任せにする)などもあった((『仏和大辞典』))。これらからすると、ル・ペルチエが言うような軽やかな喩えというよりも、ビロン公が危ない橋を渡ろうとした喩えと見るべきだろう。 *その他  1600Au では5番になっている。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: