ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1649年頃の偽版)

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ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1649年頃の偽版)」(2010/03/26 (金) 19:47:59) の最新版変更点

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 『&bold(){国王シャルル9世の侍医にして不世出の卓抜な天文学者の一人であったミシェル・ノストラダムス師の予言集}』(&italic(){Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais}.)は、1649年頃に出されたと推測されている『予言集』の版のひとつである。  出版社名の記載が無い一方、出版地は全て「[[リヨン]]」になっている。表示されている刊行年は「1568年」「1611年」「1649年」の三通りがある。これらはその表示に関わらず、いずれもパリまたはトロワで出版されたと推測されている。  共通してジュール・マザランを陥れようとした政治的な偽の詩篇([[第7巻42番>百詩篇第7巻42番bis]]、[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番]])が織り込まれている。通常マザリナード(マザラン関連文書)に含まれることはないが、広い意味ではマザリナードの一種といえるだろう。 #ref(1649pseudo.PNG) 【画像】左から「1568年」((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))、「1611年」((画像の出典:Michel Chomarat, “Nouvelles recherches sur les ‘Prophéties’ de Michel Nostradamus”, Revue française de l'histoire du Livre, no.22, 1973))、「1649年」((画像の出典:[[Les frontispices des éditions des Prophéties de Nostradamus>>http://nostredame.chez-alice.fr/front.html]])) *正式名 (第一部) -Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais. -国王シャルル9世の侍医にして不世出の卓抜な天文学者の一人であったミシェル・ノストラダムス師の予言集 (第二部) -Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Centuries VIII.IX.X. Qui n'auoient esté premierement Imprimees: & sont en la mesme edition de 1568. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集/初版では印刷されず、1568年になって刊行された百詩篇第八・九・十巻  第一部のタイトルは他で見られない珍しいものだが、1605年版の六行詩集のタイトル“Predictions admirables pour les ans courans en ce siecle. Recueillies des Memoires de feu &u(){M. Michel Nostradamus}, vivant &u(){Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais.}”から転用したであろうことは容易に推測できる。  第二部のタイトルは1605年版と全く同じである。 *内容  1605年版と全く同じ構成になっている。つまり、セザールへの手紙、百詩篇第1巻から第7巻、アンリ2世への手紙、百詩篇第8巻から第10巻、予兆詩集、六行詩集の順に収録されている。  唯一の違いは百詩篇第7巻42番が44番にずらされ、42番と43番に偽の詩が埋め込まれていることである。[[偽42番>百詩篇第7巻42番bis]]は Nirazam という分かりやすいアナグラムがあり、[[偽43番>百詩篇第7巻43番]]はクロイソスにたとえられる大富豪の没落が描かれている。いずれもマザランの失脚を願ったものだが、実際にはそうはならなかった。 *偽版の認識  [[1656年の注釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]で、早くもこの版が1649年にパリで偽造されたものに過ぎないと指摘されていた。そのため、後の時代の版にはほとんど影響を及ぼさなかったのだが、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は1672年に初の英仏対訳版『予言集』を出版したときに、この偽版を底本にした。  これらのあからさまな偽の詩篇は、『[[ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]』(たま出版、1975年)にも本物として収録されている。  1656年の注釈書が出版地をパリとした理由は定かではないが、現在ではむしろトロワで出版された可能性が高いとされている。これは帯模様その他の比較によるものである。  なお、この偽版のタイトルページは1605年版のものと酷似しており、内容も1605年版以降でないと現れないものが含まれていることから、直接1568年版を参照したのではなく、1605年版を基にしたのだろうと推測されている((Leoni [1982] p.44.etc.))。  逆に[[ダニエル・ルソ]]は1605年版も1649年ころに作られた偽版としていたが((Ruzo [1997] pp.353-356))、[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]は支持しておらず、広く受け入れられているとはいえない。  1605年版を参照したのに「リヨン、1568年」と偽った理由は、1568年のリヨンで最初の完全版が出版されたことによるのだろう。[[ロベール・ブナズラ]]はそう推測しており、誰が見てもそう捉えるのが自然だろう。実際、現代でも誤って1568年版として紹介している粗忽な論者が散見される。  他方、「リヨン、1611年」と偽ったのは不思議としか言いようがない。ブナズラはこれらの偽版がトロワで出版されたため、1611年にトロワで出版されたピエール・シュヴィヨ版が念頭にあったのではないかとしているが、底本通り1605年とせずに1611年とした理由は不鮮明である。  上で見たように1605年版が偽年代版とする説を採用した場合、一見整合するようにも見えるが、原文の系統の違いやなぜリヨンとしたのかなど、やはり不鮮明な点は残る。 *所蔵先  偽の詩を流布させるためだったのか、特に「1568年」版が多く刷られたようである。結果として現存数が圧倒的に多い。 -「1568年」 --フランス国立図書館、カーン市立図書館、ディジョン市立図書館、グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館、ストラスブール市立図書館、オセール市立図書館、ブロワ市立図書館、メス市立図書館、ルーアン市立図書館、ヴェルサイユ市立図書館、サンブリユー市立図書館、アルスナル図書館、サントジュヌヴィエーヴ図書館、カーン大学、モンペリエ大学、ジャック・プレヴェール図書館、ベルギー王立総合古文書館、コペンハーゲン王立図書館、ストックホルム王立図書館、ベルリン国立図書館、ザクセン州立図書館、エジンバラNL、ケンブリッジ大学、ゾロトゥルン中央図書館、ニューベリー図書館(シカゴ)、RAMKAT -「1611年」 --ベルギー王立総合古文書館、ハーヴァード大学 -「1649年」 --ラ・ロシェル市立図書館、オルレアン市立図書館、サン=ジェルマン=アン=レー市立図書館、[[ポール・アルボー博物館]]、ボン大学 ---- #comment
 『&bold(){国王シャルル9世の侍医にして不世出の卓抜な天文学者の一人であったミシェル・ノストラダムス師の予言集}』(&italic(){Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais}.)は、1649年頃に出されたと推測されている『予言集』の版のひとつである。  出版社名の記載が無い一方、出版地は全て「[[リヨン]]」になっている。表示されている刊行年は「1568年」「1611年」「1649年」の三通りがある。これらはその表示に関わらず、いずれもパリまたはトロワで出版されたと推測されている。  共通してジュール・マザランを陥れようとした政治的な偽の詩篇([[第7巻42番>百詩篇第7巻42番bis]]、[[第7巻43番>百詩篇第7巻43番]])が織り込まれている。通常マザリナード(マザラン関連文書)に含まれることはないが、広い意味ではマザリナードの一種といえるだろう。 #ref(1649pseudo.PNG) 【画像】左から「1568年」((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))、「1611年」((画像の出典:Michel Chomarat, “Nouvelles recherches sur les ‘Prophéties’ de Michel Nostradamus”, Revue française de l'histoire du Livre, no.22, 1973))、「1649年」((画像の出典:[[Les frontispices des éditions des Prophéties de Nostradamus>>http://nostredame.chez-alice.fr/front.html]])) *正式名 (第一部) -Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais. -国王シャルル9世の侍医にして不世出の卓抜な天文学者の一人であったミシェル・ノストラダムス師の予言集 (第二部) -Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Centuries VIII.IX.X. Qui n'auoient esté premierement Imprimees: & sont en la mesme edition de 1568. -ミシェル・ノストラダムス師の予言集/初版では印刷されず、1568年になって刊行された百詩篇第八・九・十巻  第一部のタイトルは他で見られない珍しいものだが、1605年版の六行詩集のタイトル“Predictions admirables pour les ans courans en ce siecle. Recueillies des Memoires de feu &u(){M. Michel Nostradamus}, vivant &u(){Medecin du Roy Charles IX. & l'un des plus excellens Astronomes qui furent iamais.}”から転用したであろうことは容易に推測できる。  第二部のタイトルは1605年版と全く同じである。 *内容  1605年版と全く同じ構成になっている。つまり、セザールへの手紙、百詩篇第1巻から第7巻、アンリ2世への手紙、百詩篇第8巻から第10巻、予兆詩集、六行詩集の順に収録されている。  唯一の違いは百詩篇第7巻42番が44番にずらされ、42番と43番に偽の詩が埋め込まれていることである。[[偽42番>百詩篇第7巻42番bis]]は Nirazam という分かりやすいアナグラムがあり、[[偽43番>百詩篇第7巻43番]]はクロイソスにたとえられる大富豪の没落が描かれている。いずれもマザランの失脚を願ったものだが、実際にはそうはならなかった。 *偽版の認識  [[1656年の注釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]で、早くもこの版が1649年にパリで偽造されたものに過ぎないと指摘されていた。そのため、後の時代の版にはほとんど影響を及ぼさなかったのだが、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は1672年に初の英仏対訳版『予言集』を出版したときに、この偽版を底本にした。  これらのあからさまな偽の詩篇は、『[[ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]』(たま出版、1975年)にも本物として収録されている。  1656年の注釈書が出版地をパリとした理由は定かではないが、現在ではむしろトロワで出版された可能性が高いとされている。これは帯模様その他の比較によるものである。  なお、この偽版のタイトルページは1605年版のものと酷似しており、内容も1605年版以降でないと現れないものが含まれていることから、直接1568年版を参照したのではなく、1605年版を基にしたのだろうと推測されている((Leoni [1982] p.44.etc.))。  逆に[[ダニエル・ルソ]]は1605年版も1649年ころに作られた偽版としていたが((Ruzo [1997] pp.353-356))、[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]は支持しておらず、広く受け入れられているとはいえない。  1605年版を参照したのに「リヨン、1568年」と偽った理由は、1568年のリヨンで最初の完全版が出版されたことによるのだろう。[[ロベール・ブナズラ]]はそう推測しており、誰が見てもそう捉えるのが自然だろう。実際、現代でも誤って1568年版として紹介している粗忽な論者が散見される。  他方、「リヨン、1611年」と偽ったのは不思議としか言いようがない。ブナズラはこれらの偽版がトロワで出版されたため、1611年にトロワで出版されたピエール・シュヴィヨ版が念頭にあったのではないかとしているが、底本通り1605年とせずに1611年とした理由は不鮮明である。  上で見たように1605年版が偽年代版とする説を採用した場合、一見整合するようにも見えるが、原文の系統の違いやなぜリヨンとしたのかなど、やはり不鮮明な点は残る。 *所蔵先  偽の詩を流布させるためだったのか、特に「1568年」版が多く刷られたようである。結果として現存数が圧倒的に多い。 -「1568年」 --フランス国立図書館、カーン市立図書館、ディジョン市立図書館、グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館、ストラスブール市立図書館、オセール市立図書館、ブロワ市立図書館、メス市立図書館、ルーアン市立図書館、ヴェルサイユ市立図書館、サンブリユー市立図書館、アルスナル図書館、サントジュヌヴィエーヴ図書館、カーン大学、モンペリエ大学、ジャック・プレヴェール図書館、ベルギー王立総合古文書館、コペンハーゲン王立図書館、ストックホルム王立図書館、ベルリン国立図書館、ザクセン州立図書館、エジンバラNL、ケンブリッジ大学、ゾロトゥルン中央図書館、ニューベリー図書館(シカゴ)、RAMKAT -「1611年」 --ベルギー王立総合古文書館、ハーヴァード大学 -「1649年」 --ラ・ロシェル市立図書館、オルレアン市立図書館、サン=ジェルマン=アン=レー市立図書館、[[ポール・アルボー博物館]]、ボン大学 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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