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予兆詩第93番(旧83番) 1563年4月について
*原文
En debats princes&sup(){1}, & Chrestienté&sup(){2} esmeue.
Gentils estranges&sup(){3}, siege à Christ&sup(){4} molesté.
Venu très mal&sup(){5}, prou bien, mortelle veue.
Mort Orient&sup(){6}, peste, faim, mal traité. ((原文は Chevignard [1999] p.158 による。))
**異文
(1) princes 1563Ro : Princes &italic(){T.A.Eds.}
(2) Chrestienté : Chrestiens 1668P
(3) estranges : estrangers 1668P
(4) Christ 1563Ro 1649Ca 1650Le 1668 : CHRIST &italic(){T.A.Eds.}
(5) très mal 1563Ro 1594JF : tresmal &italic(){T.A.Eds.}
(6) Orient : orient 1563Ro 1589Rec
(注記)1563Roは『[[1563年向けの暦>Almanach povr L'An M. D. LXIII.]]』の異文。ただし、ここではオリジナルではなく[[1905年の復刻版>Réimpression de l'almanach de Michel de Nostredame pour l'année 1563]]を利用している。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。
*日本語訳
君主たちは討論し、キリスト教国は動揺させられる。
外国の異教徒たちに、キリストの御座は不快にさせられる。
極めて悪いものが来る、非常によいものも。死すべき者が目撃される。
東方の死、ペスト、飢餓、悪しき条約。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は前半2行を未来に属することとして棚上げしていた。後半については1566年9月に対応させ、オスマン帝国のスレイマン1世の死と解釈した((Chavigny [1594] p.158))。
*同時代的な視点
この詩が書かれたのは1562年前半である。長らく中断されていたトリエント公会議が再開されたのは1562年1月のことで、この詩が書かれた時期(1562年初頭から半ば頃)は公会議が開催中だった。1行目がそこでの駆け引きと見るのは強引かもしれないが、時代背景説明のために一応指摘しておく。
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予兆詩第93番(旧83番) 1563年4月について
*原文
En [[debats>debat]] princes&sup(){1}, & Chrestienté&sup(){2} esmeue.
Gentils estranges&sup(){3}, siege à Christ&sup(){4} molesté.
Venu très mal&sup(){5}, prou bien, mortelle veue.
Mort Orient&sup(){6}, peste, faim, mal traité. ((原文は Chevignard [1999] p.158 による。))
**異文
(1) princes 1563Ro : Princes &italic(){T.A.Eds.}
(2) Chrestienté : Chrestiens 1668P
(3) estranges : estrangers 1668P
(4) Christ 1563Ro 1649Ca 1650Le 1668 : CHRIST &italic(){T.A.Eds.}
(5) très mal 1563Ro 1594JF : tresmal &italic(){T.A.Eds.}
(6) Orient : orient 1563Ro 1589Rec
(注記)1563Roは『[[1563年向けの暦>Almanach povr L'An M. D. LXIII.]]』の異文。ただし、ここではオリジナルではなく[[1905年の復刻版>Réimpression de l'almanach de Michel de Nostredame pour l'année 1563]]を利用している。1589Rec は[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』の異文。
*日本語訳
君主たちは討論し、キリスト教国は動揺させられる。
外国の異教徒たちに、キリストの御座は不快にさせられる。
極めて悪いものが来る、非常によいものも。死すべき者が目撃される。
東方の死、ペスト、飢餓、悪しき条約。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は前半2行を未来に属することとして棚上げしていた。後半については1566年9月に対応させ、オスマン帝国のスレイマン1世の死と解釈した((Chavigny [1594] p.158))。
*同時代的な視点
この詩が書かれたのは1562年前半である。長らく中断されていたトリエント公会議が再開されたのは1562年1月のことで、この詩が書かれた時期(1562年初頭から半ば頃)は公会議が開催中だった。1行目がそこでの駆け引きと見るのは強引かもしれないが、時代背景説明のために一応指摘しておく。
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