Pronostication nouvelle, pour l'an mil cinq cens cinquante et huict. (Lyon)

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 『&bold(){1558年向けの新たなる占筮}』(Pronostication nouvelle, pour l'an mil cinq cens cinquante et huict.)は1557年にリヨンで出されたとされるノストラダムスの暦書。[[リヨン]]の[[ジャン・ブロトー]]と[[アントワーヌ・ヴォラン]]が出版した。 *正式名 -Pronostication nouvelle, pour l'an mil cinq cens cinquante et huict. Composée par maistre Michel Nostradamus. Docteur en medecine de Salon de Craux en Prouence. --A Lyon, Par Jean Brotot, & Antoine Volant. Avec Privilege. -プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成された1558年向けの新たなる占筮 --[[リヨン]]にて、[[ジャン・ブロトー]]と[[アントワーヌ・ヴォラン]]による。特認つき  このタイトルは[[ミシェル・ショマラ]]が[[アンリ・ボードリエ]]の手稿の孫引きとして紹介したものに基づいている((ただし、最初のポワン(ピリオド)まではエクトール・リゴーのオークション目録に基づいて、若干の綴りの修正を行った。))。[[ロベール・ブナズラ]]の書誌では、ジャン・ブロトーとジャン・ヴォランが出版したことになっているが、何らかの誤伝だろう。 *内容  24ページ分で、冒頭には[[ギヨーム・ド・ガダーニュ]]に宛てた1557年5月1日付の献辞が、末尾には同年7月5日付でブロトーとヴォランに与えられた特認の文面が、それぞれ収録されていたという。  扉に採用されていた木版画は十二宮で飾られていたというので((Chomarat [1989] no.17))、ブロトーが前後の時期に出版した暦書に使われていたのと同じ木版画が使われていたのだろう。 *所蔵先  かつては[[エクトール・リゴー]]の蔵書に含まれていたが、1931年のオークションのあと所在不明となっていた。2010年に古書販売目録で言及されたらしいが(([[http://cura.free.fr/dico3/603A-TFC-bib.html]]))、現在の所有者は不明である。  ただし、状況証拠から推して[[『1558年向けの新たなる占筮』パリ版>Pronostication Novvelle, pour L'An Mil cinq cens cinquante et huict. (Paris)]]がこの版のコピーと思われるため、実質的には内容のほとんどが伝わっているといえるだろう。 ---- #comment
 『&bold(){1558年向けの新たなる占筮}』(Pronostication nouvelle, pour l'an mil cinq cens cinquante et huict.) は1557年に[[リヨン]]で出されたとされるノストラダムスの暦書。リヨンの[[ジャン・ブロトー]]と[[アントワーヌ・ヴォラン]]が出版した。 #ref(1558Prono Lyon.png) 【画像】扉((画像の出典:Michel Scognamillo (avant-propos), Nostradamus en son siècle, Paris : Librairie Thomas-Scheler, 2010, p.23)) *正式名 -PRONOSTICATION Nouuelle, pour l'An Mil cinq cens cinquante & huict. --Composee par maistre Michel Nostradamus, Docteur en medicine de Salon de Craux en Prouence. --A LYON, --Par Iean Brotot, & Antoine Volant. --Auec Priuilege. -1558年向けの新たなる占筮 --プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成された。 --リヨンにて、 --ジャン・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランによる。 --特認とともに。  この題名は、上に示した画像(2010年のオークション目録に掲載されたもの)で初めて完全に判明したが、[[ミシェル・ショマラ]]が[[アンリ・ボードリエ]]の手稿の孫引きとして紹介したものは、細かな綴りの揺れなどを除けばほぼ忠実な転記といえたので、実質的に伝わっていたといえる。[[ロベール・ブナズラ]]の書誌では、ジャン・ブロトーとジャン・ヴォランが出版したことになっていたが、何らかの誤伝か転記ミスと思われる。 *内容  24ページ分で、冒頭にはギヨーム・ド・ガダーニュに宛てた1557年5月1日付の献辞が、末尾には同年7月5日付でブロトーとヴォランに与えられた特認の文面が、それぞれ収録されていたという。  2010年のオークション目録によれば、この占筮の構成はその年の全般向けの散文の予言のあと、四季ごとの予言が続き、月の暦と移動祝日の一覧があるというので、[[『1558年向けの新たなる占筮』パリ版>Pronostication Novvelle, pour L'An Mil cinq cens cinquante et huict. (Paris)]]とほぼ同じ内容と考えて差し支えないだろう。実際、同目録に掲載された全般向けの予言の1ページ目の写真を見る限り、パリ版と実質的に同じである。  画像にあるとおり、扉に採用されていた木版画は、ブロトーが前後の時期に出版した暦書に使われていたのと同じ木版画である。 *所蔵先  かつては[[エクトール・リゴー]]の蔵書に含まれていたが、1931年のオークションを経て、書肆で民俗学者のエミール・ヌリの手に渡った。ヌリは1935年に歿し、後継者に当たる書肆ジュール・チエボーに引き継がれたらしい。そのあと所在不明となっていたが、2010年のオークションに出現した。  その伝本はノストラダムスの『[[1560年向けの大いなる新占筮>La Grand' pronostication nouvelle pour l'An Mil cinq cens soixante]]』、[[エルキュール・ル・フランソワ]]の『モンストラダムスへの最初の反論』リヨン版、[[ジャン・スコンネル]]の『1558年向けの占筮』、[[ギヨーム・ドリュー]]の『1560年向けの新たなる占筮』とともに製本されていた非常に貴重な文献であり、2010年に出現した時にも一切の破損なく出品された。 *再版  前述のように、この占筮はパリでコピーされた。[[『1558年向けの新たなる占筮』パリ版>Pronostication Novvelle, pour L'An Mil cinq cens cinquante et huict. (Paris)]]を参照のこと。 ---- #comment

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