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[[六行詩集]]>12番*
*原文
Six cens & cinq&sup(){} tres grand'&sup(){2} nouuelle,
De deux Seigneurs la grand&sup(){3} querelle,
Proche de Genaudan&sup(){4} sera,
A vne Eglise apres l'offrande
Meurtre commis, prestre&sup(){5} demande&sup(){6}
Tremblant de peur se sauuera.
**異文
(1) & cinq : cinq 1600Mo
(2) tres grand' : tres-grande 1600Mo, tresgrand' 1611 1628dR 1649Ca, tres-grand' 1627Ma 1627Di, tres-grand 1644Hu, tres grand 1672Ga
(3) la grand : vne grande 1600Mo, la grand' 1611B
(4) Genaudan : Geruaudan 1600Mo, Geuaudan 1627Ma 1627Di 1644Hu 1672Ga
(5) prestre : Prestre 1600Mo 1627Ma 1627Di 1644Hu
(6) demande : de Maude 1600Mo, de mande 1672Ga
**校訂
Genaudan はいくつかの版に見られるように Geuaudan (Gévaudan)となっているべきである。
*日本語訳
六百と五、とても大きなニュース。
二人の領主の大喧嘩が
[[ジェヴォーダン]]近くで起こるだろう。
寄付の後の教会では、
殺人が犯される。司祭は請願し、
恐怖で身震いしつつ逃走するだろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はジェヴォーダンで起こったローカルな事件だろうとしつつも、そのような記録が見つからないと述べていた((Garencieres [1672]))。
*同時代的な視点
1行目に「六百と五」とあるので、1605年の戦いを描写しているものと思われる。当「大事典」ではそのような史実があったかについて未確認だが、おそらく実際にあったのだろう。
なぜなら、この詩は六行詩集のオリジナルと思われる 1600Au には載っておらず、1605年版の予言集で初めて登場するからだ。つまり、起こったばかりの事件を付け加えることによって、権威付けを狙ったものだろう。
*その他
上記の通り、1600Au には載っていない。
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#comment
[[六行詩集]]>12番*
*原文
Six cens & cinq&sup(){} tres grand'&sup(){2} nouuelle,
De deux Seigneurs la grand&sup(){3} querelle,
Proche de Genaudan&sup(){4} sera,
A vne Eglise apres l'offrande
Meurtre commis, prestre&sup(){5} demande&sup(){6}
Tremblant de peur se sauuera.
**異文
(1) & cinq : cinq 1600Mo
(2) tres grand' : tres-grande 1600Mo, tresgrand' 1611 1628dR 1649Ca, tres-grand' 1627Ma 1627Di, tres-grand 1644Hu, tres grand 1672Ga
(3) la grand : vne grande 1600Mo, la grand' 1611B
(4) Genaudan : Geruaudan 1600Mo, Geuaudan 1627Ma 1627Di 1644Hu 1672Ga
(5) prestre : Prestre 1600Mo 1627Ma 1627Di 1644Hu
(6) demande : de Maude 1600Mo, de mande 1672Ga
**校訂
Genaudan はいくつかの版に見られるように Geuaudan (Gévaudan)となっているべきである。
*日本語訳
六百と五、とても大きなニュース。
二人の領主の大喧嘩が
[[ジェヴォーダン]]近くで起こるだろう。
寄付の後の教会では、
殺人が犯される。司祭は請願し、
恐怖で身震いしつつ逃走するだろう。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はジェヴォーダンで起こったローカルな事件だろうとしつつも、そのような記録が見つからないと述べていた((Garencieres [1672]))。
*同時代的な視点
1行目に「六百と五」とあるので、1605年の戦いを描写しているものと思われる。
当「大事典」ではそのような史実があったかについて未確認だが、おそらく実際にあったのだろう。
なぜなら、この詩は六行詩集のオリジナルと思われる 1600Au には載っておらず、1605年版の予言集で初めて登場するからだ。
つまり、起こったばかりの事件を付け加えることによって、権威付けを狙ったものだろう。
*その他
上記の通り、1600Au には載っていない。
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