ヴァンサン・セーヴ

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 &bold(){ヴァンサン・セーヴ}(Vincent Sève, 1585年? - 1657年?)は、[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]の冒頭に掲載された前書き(しばしば「アンリ4世への献辞」といわれる)の著者。  従来は実在性自体がはっきりしなかったが、1990年代以降、郷土史家ジャン・ロッシュ(Jean Roche)の研究などによって、いくらかの点が明らかにされている。  それによると、ヴァンサン・セーヴは大工の親方アントワーヌ・セーヴと、マルグリット・ジュリアンの子として生まれたが、直接的な洗礼記録などは見つかっていないという。ただし、弟トゥーサンが1587年7月19日に洗礼を受けた記録があるため、そこからの推測で1585年ごろではないかとされる。  青少年期の多くをボーケールで過ごしたと考えられ、彼自身の手稿では、地元の愚連隊のような集団に加わっていたことを述懐しているという。  19世紀の郷土史家が持っていたセーヴの手稿によると職業は医師だったともされるが、少なくとも中小ブルジョワに属する社会的地位だったらしい。1628年にはニームで Concierge des Prisons-royaux の地位にいた記録があるという。  占星術に関心を持ち、1627年には国王ルイ13世に世継ぎが生まれると予言した Centuries を献上したこともあったらしい(ルイ14世の誕生は1638年)。  1640年代後半に郷土史の手稿「ボーケール市の建設」(La Fondation de la ville de Beaucaire)を執筆した。この手稿のオリジナルは残っていないが、写本がいくつかあり、アヴィニョン市立図書館に残る写本に基づき、1995年にジャン・ロッシュが復刻した。  いつ亡くなったのかは不明だが、1657年を境に、彼の足取りは全くつかめなくなるという((以上は、La Fondation de la ville de Beaucaire, SHAB, 1995 のジャン・ロッシュの前書き及び略歴紹介による。))。 *ノストラダムス関連  [[アンリ・ノストラダムス]]から六行詩集の原稿を受け取ったと主張している。[[1605年版の『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]自体の編纂者と想定されることもあるが、根拠はない。  [[アンヌ・ド・ノートルダム]]の夫[[ピエール・ド・スヴァ]]と関連があるとの前提でノストラダムスの縁者とする論者もいるが、史料的には裏付けられているのか、はっきりしない。  前出のジャン・ロッシュは、ヴァンサン・セーヴについて -「ノストラダムスの親類にあたるボーケール市民 : ヴァンサン・セーヴ?」 --"Un Beaucairois parent de Nostradamus : Vincent Sève?" , &italic(){Bulletin de la société d'histoire et d'archéologie de Beaucaire}, no.144, 2000 という論文を発表しているようだが、あいにく当「大事典」では未確認である。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 - フラッシュを読み込めませんでした -- 名無しさん (2014-04-25 16:41:58) #comment
 &bold(){ヴァンサン・セーヴ}(Vincent Sève, 1585年? - 1657年?)は、[[六行詩集>この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言]]の冒頭に掲載された前書き(しばしば「アンリ4世への献辞」といわれる)の著者。  従来は実在性自体がはっきりしなかったが、1990年代以降、郷土史家ジャン・ロッシュ(Jean Roche)の研究などによって、いくらかの点が明らかにされている。  それによると、ヴァンサン・セーヴは大工の親方アントワーヌ・セーヴと、マルグリット・ジュリアンの子として生まれたが、直接的な洗礼記録などは見つかっていないという。ただし、弟トゥーサンが1587年7月19日に洗礼を受けた記録があるため、そこからの推測で1585年ごろではないかとされる。  青少年期の多くをボーケールで過ごしたと考えられ、彼自身の手稿では、地元の愚連隊のような集団に加わっていたことを述懐しているという。  19世紀の郷土史家が持っていたセーヴの手稿によると職業は医師だったともされるが、少なくとも中小ブルジョワに属する社会的地位だったらしい。1628年にはニームで Concierge des Prisons-royaux の地位にいた記録があるという。  占星術に関心を持ち、1627年には国王ルイ13世に世継ぎが生まれると予言した Centuries を献上したこともあったらしい(ルイ14世の誕生は1638年)。  1640年代後半に郷土史の手稿「ボーケール市の建設」(La Fondation de la ville de Beaucaire)を執筆した。この手稿のオリジナルは残っていないが、写本がいくつかあり、アヴィニョン市立図書館に残る写本に基づき、1995年にジャン・ロッシュが復刻した。  いつ亡くなったのかは不明だが、1657年を境に、彼の足取りは全くつかめなくなるという((以上は、La Fondation de la ville de Beaucaire, SHAB, 1995 のジャン・ロッシュの前書き及び略歴紹介による。))。 *ノストラダムス関連  [[アンリ・ノストラダムス]]から六行詩集の原稿を受け取ったと主張している。[[1605年版の『予言集』>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]自体の編纂者と想定されることもあるが、根拠はない。  [[アンヌ・ド・ノートルダム]]の夫[[ピエール・ド・スヴァ]]と関連があるとの前提でノストラダムスの縁者とする論者もいるが、史料的には裏付けられているのか、はっきりしない。  前出のジャン・ロッシュは、ヴァンサン・セーヴについて -「ノストラダムスの親類にあたるボーケール市民 : ヴァンサン・セーヴ?」 --"Un Beaucairois parent de Nostradamus : Vincent Sève?" , &italic(){Bulletin de la société d'histoire et d'archéologie de Beaucaire}, no.144, 2000 という論文を発表しているようだが、あいにく当「大事典」では未確認である。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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