「Vraye prognostication nouvelle, composée par maistre Claude Fabri」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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『&bold(){1552年向けの新たなる真の占筮}』(Vraye prognostication Nouuelle,... pour l'An Mil cinq cens Cinquante Deux.)は、[[クロード・ファブリ]]の占筮。[[アジャン]]の[[アルノー・ヴィロト]]が出版した。
*正式名
-Vraye prognostication Nouuelle, Composée par maistre Claude Fabri, Medecin & Astrophile demourant en la noble Ville & Vniuersité de Dole, natif de Prelz en Argonne pour l'An Mil cinq cens Cinquante Deux.
--Nouuellement Imprimé Agen, par Arnauld Villote, demourant pres de Sainct Hylaire.
-プレル=アン=アルゴンヌに生まれ、ドールの高貴なる大学都市に暮らす医師にして愛星家クロード・ファブリ師によって構成された1552年向けの新たなる真の占筮。
--アジャンのサン=チレール近くに住むアルノー・ヴィロトによって新たに印刷された。
*内容
四つ折版で4葉からなる。主として季節ごとの占いが散文で書かれている。
特徴的なのは、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』に書き写していたノストラダムスの「1552年向けの予兆」と部分的に一致していることである。
これはもちろん一方が他方を剽窃したことを意味している。 [[パトリス・ギナール]]は、ファブリの占筮が1559年頃になって作成された偽年代版と推測している。
[[ベルナール・シュヴィニャール]]は両者の原文の食い違いに見られる表現の中に、ノストラダムスが他でもよく用いている表現があることなどを指摘している。これについては、シャヴィニーがノストラダムスの癖を元に修正した可能性にも触れているが、他の状況証拠などからファブリの方が剽窃したと判断している((Chevignard [1999] pp.33-35))。
ちなみにファブリはのちにペスト治療に関する書物でも、医師ブノワ・ティクシエの著書からの剽窃を行っている。
「1552年向けの予兆」はノストラダムスの暦書の中では2番目に古かったはずのものである。そのような最も早い時期の剽窃という点で、この文書にはノストラダムス研究上の意味があるといえるだろう。
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『&bold(){1552年向けの新たなる真の占筮}』(Vraye prognostication Nouuelle,... pour l'An Mil cinq cens Cinquante Deux.)は、[[クロード・ファブリ]]の占筮。[[アジャン]]の[[アルノー・ヴィロト]]が出版した。
#ref(1552fabri.JPG)
【画像】 『1552年向けの新たなる真の占筮』の扉((画像の出典:[[http://cura.free.fr/dico6advpl/606A-fab.html]]))
*正式名
-Vraye prognostication Nouuelle, Composée par maistre Claude Fabri, Medecin & Astrophile demourant en la noble Ville & Vniuersité de Dole, natif de Prelz en Argonne pour l'An Mil cinq cens Cinquante Deux.
--Nouuellement Imprimé Agen, par Arnauld Villote, demourant pres de Sainct Hylaire.
-プレル=アン=アルゴンヌに生まれ、ドールの高貴なる大学都市に暮らす医師にして愛星家クロード・ファブリ師によって構成された1552年向けの新たなる真の占筮。
--アジャンのサン=チレール近くに住むアルノー・ヴィロトによって新たに印刷された。
*内容
四つ折版で4葉からなる。主として季節ごとの占いが散文で書かれている。
特徴的なのは、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]が手稿『[[散文予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』に書き写していたノストラダムスの「1552年向けの予兆」と部分的に一致していることである。
これはもちろん一方が他方を剽窃したことを意味している。 [[パトリス・ギナール]]は、ファブリの占筮が1559年頃になって作成された偽年代版と推測している。
[[ベルナール・シュヴィニャール]]は両者の原文の食い違いに見られる表現の中に、ノストラダムスが他でもよく用いている表現があることなどを指摘している。これについては、シャヴィニーがノストラダムスの癖を元に修正した可能性にも触れているが、他の状況証拠などからファブリの方が剽窃したと判断している((Chevignard [1999] pp.33-35))。
ちなみにファブリはのちにペスト治療に関する書物でも、医師ブノワ・ティクシエの著書からの剽窃を行っている。
「1552年向けの予兆」はノストラダムスの暦書の中では2番目に古かったはずのものである。そのような最も早い時期の剽窃という点で、この文書にはノストラダムス研究上の意味があるといえるだろう。
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