百詩篇第7巻17番

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*原文 Le prince&sup(){1} rare de pitié&sup(){2} & clemence, Viendra&sup(){3} changer par mort grand cognoissance&sup(){4}: Par&sup(){5} grand repos le [[regne]] trauaillé&sup(){6}, Lors que&sup(){7} le grand tost sera [[estrillé>estriller]]. **異文 (1) prince 1557U 1557B 1568 1590Ro 1840 : Prince &italic(){T.A.Eds.} (2) pitié : pitie 1650Le 1668, pieté 1665 (3) Viendra : Viedra 1557B (4) cognoissance : cognoissace 1557B, connoissance 1644 1653 1665 1668P 1716 1840 (5) Par : Apres 1672 (6) trauaillé : trauaillié 1610 (7) Lors que : Lors qne 1627 (4行目全体): Apres auoir la paix aux siens [[baillé>bailler]].(,) 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1665 1668 1840 (注記1)この詩は1行を丸ごと差し替えた特殊な異文が存在する。なお、1594JF, 1605, 1628, 1649Xa, 1649Ca, 1650Le, 1668, 1672 では、1-4(異文)-2-3行目の順に、1650Ri 1653 では 1-3-2-4(オリジナル)の順に、1665, 1840 では、1-3-2-4(異文)の順に、それぞれなっている。 (注記2)1620PDも比較したが、Prince が大文字になっていること以外に異文はなかった。 **校訂  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594JF)が差し替えた異文を採用すべき理由はない。  ただし、この詩は百詩篇正編では唯一、交差韻(abab型)でなく平韻(aabb型)が採用されている点が目を引く。1650Ri や 1653 がシャヴィニーの異文を採用していないにもかかわらず行の順序だけ入れ替えているのは、他の詩と同じように交差韻で揃えようとしたためだろう。 *日本語訳 憐憫と寛容を備えた稀代の君主が 死によって大いなる知識を変えに来るだろう。 大いなる休息によって王国は働かされる、 すぐに偉大な者が虐待されるであろう時に。 **1594JF などの異文に基づく訳 憐憫と寛容を備えた稀代の君主が 彼の家臣たちに平和をもたらした後で 死によって大いなる知識を変えに来るだろう。 大いなる休息によって王国は働かされる。 (注記)原則として異文の訳について節を立てることはしていないが、この詩については行の順序も内容も異なる異文が一定程度広まっているので、あえて別に訳しておく。 **訳について  大乗訳は1594JF の系統の異文に基づく訳だが、1行目「王子 とても悲しく寛大に」((大乗 [1975] p.206))は、慈悲を「悲しく」と訳すのは少々違和感がある上、rare が訳に反映されていない。  3行目「死で彼の知恵は変わり」、4行目「休みのあとで王国は悩まされる」はいずれも grand が訳に反映されていない。  山根訳1行目「憐憫の情に乏しい大公が」((山根 [1988] p.))はおそらく可能な訳だが、clemence (慈悲、寛大)が訳に反映されていない。  2行目「死によって人が変わり 大変な物知りになろう」は、venir (来る)が当時 devenir (~になる)の意味でも使われたことからすると、changer par mort の部分を挿入的に見れば成立しうる訳。ただし、前半律は viendra changer までであることを考慮すれば、そういう挿入句の捉え方はできないだろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、アンリ2世が名君として妹や娘の婚姻などを通じてフランスに平和をもたらしたものの、不慮の事故死を遂げたことでフランス王国の行く末を一変させたことを指すと解釈した((Chavigny [1594] p.64))。  1620年に出版された匿名の『[[百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』では、アンリ4世が暗殺されたこととされていた((&italic(){Petit Discours..}, p.22))。[[セルジュ・ユタン]]のように、後の時代でもアンリ4世の暗殺と結びつける者はいる((Hutin [1978]))。  [[ロルフ・ボズウェル]]は未来に現れる名君アンリ5世の予言とした((Boswell [1943] p.299))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、学問に理解のある英明な君主フランソワ1世が、1525年のパヴィアの戦いで敗北し囚われたことの描写とした((Lemesurier [2003b]))。 ---- #comment
*原文 Le prince&sup(){1} rare de pitié&sup(){2} & clemence, Viendra&sup(){3} changer par mort grand cognoissance&sup(){4}: Par&sup(){5} grand repos le [[regne]] trauaillé&sup(){6}, Lors que&sup(){7} le grand tost sera [[estrillé>estriller]]. **異文 (1) prince 1557U 1557B 1568 1590Ro 1840 : Prince &italic(){T.A.Eds.} (2) pitié : pitie 1650Le 1668, pieté 1665 (3) Viendra : Viedra 1557B (4) cognoissance : cognoissace 1557B, connoissance 1644 1653 1665 1668P 1716 1840 (5) Par : Apres 1672 (6) trauaillé : trauaillié 1610 (7) Lors que : Lors qne 1627 (4行目全体): Apres auoir la paix aux siens [[baillé>bailler]].(,) 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1665 1668 1840 (注記1)この詩は1行を丸ごと差し替えた特殊な異文が存在する。なお、1594JF, 1605, 1628, 1649Xa, 1649Ca, 1650Le, 1668, 1672 では、1-4(異文)-2-3行目の順に、1650Ri 1653 では 1-3-2-4(オリジナル)の順に、1665, 1840 では、1-3-2-4(異文)の順に、それぞれなっている。 (注記2)1620PDも比較したが、Prince が大文字になっていること以外に異文はなかった。 **校訂  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594JF)が差し替えた異文を採用すべき理由はない。  ただし、この詩は百詩篇正編では唯一、交差韻(abab型)でなく平韻(aabb型)が採用されている点が目を引く。1650Ri や 1653 がシャヴィニーの異文を採用していないにもかかわらず行の順序だけ入れ替えているのは、他の詩と同じように交差韻で揃えようとしたためだろう。 *日本語訳 憐憫と寛容を備えた稀代の君主が 死によって大いなる知識を変えに来るだろう。 大いなる休息によって王国は働かされる、 すぐに偉大な者が虐待されるであろう時に。 **1594JF などの異文に基づく訳 憐憫と寛容を備えた稀代の君主が 彼の家臣たちに平和をもたらした後で 死によって大いなる知識を変えに来るだろう。 大いなる休息によって王国は働かされる。 (注記)原則として異文の訳について節を立てることはしていないが、この詩については行の順序も内容も異なる異文が一定程度広まっているので、あえて別に訳しておく。 **訳について  大乗訳は1594JF の系統の異文に基づく訳だが、1行目「王子 とても悲しく寛大に」((大乗 [1975] p.206))は、慈悲を「悲しく」と訳すのは少々違和感がある上、rare が訳に反映されていない。  3行目「死で彼の知恵は変わり」、4行目「休みのあとで王国は悩まされる」はいずれも grand が訳に反映されていない。  山根訳1行目「憐憫の情に乏しい大公が」((山根 [1988] p.))はおそらく可能な訳だが、clemence (慈悲、寛大)が訳に反映されていない。  2行目「死によって人が変わり 大変な物知りになろう」は、venir (来る)が当時 devenir (~になる)の意味でも使われたことからすると、changer par mort の部分を挿入的に見れば成立しうる訳。ただし、前半律は viendra changer までであることを考慮すれば、そういう挿入句の捉え方はできないだろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、[[アンリ2世]]が名君として妹や娘の婚姻などを通じてフランスに平和をもたらしたものの、不慮の事故死を遂げたことでフランス王国の行く末を一変させたことを指すと解釈した((Chavigny [1594] p.64))。  1620年に出版された匿名の『[[百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』では、アンリ4世が暗殺されたこととされていた((&italic(){Petit Discours..}, p.22))。[[セルジュ・ユタン]]のように、後の時代でもアンリ4世の暗殺と結びつける者はいる((Hutin [1978]))。  [[ロルフ・ボズウェル]]は未来に現れる名君アンリ5世の予言とした((Boswell [1943] p.299))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は、学問に理解のある英明な君主フランソワ1世が、1525年の[[パヴィーア]]の戦いで敗北し囚われたことの描写とした((Lemesurier [2003b]))。 ---- #comment

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