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[[六行詩集]]>11番*
*原文
Durant le siecle&sup(){1} on verra deux ruisseaux,
Tout vn terroir&sup(){2} inonder de leurs eaux&sup(){3},
Et submerger par ruisseaux&sup(){4} & fontaines&sup(){5} :
Coups&sup(){6} &&sup(){7} Monfrin&sup(){8} Beccoyran&sup(){9}, & ales&sup(){10},
Par le gardon&sup(){11} bien souuant trauaillez,
Six cens & quatre&sup(){12} alez, & trente moines&sup(){13}.
**異文
(1) le siecle 1605sn 1628dR 1649Xa : ce siecle 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu, le Siecle 1672Ga
() ruisseaux : ruisseeux 1649Xa
(2) terroir : terroüer 1600Mo, terrouer 1672Ga
(3) leurs eaux : leur eaux 1627Ma 1627Di
(4) par ruisseaux : & ruisseaux 1600Mo, par Ruisseaux 1672Ga
(5) fontaines : Fontaines 1672Ga
(6) Coups : Lors 1600Mo
(7) & : de 1600Mo
(8) Monfrin : Montfin 1600Mo, Moufrin 1611 1627Ma 1627Di, Mouffrin 1644Hu, Monfrin 1649Ca, Montfrein 1672Ga
(9) Beccoyran : Bocarreas 1600Mo, beccoyran 1627Ma 1627Di, beccoyant 1644Hu
(10) ales : Allays 1600Mo, alés 1627Ma 1627Di, alez 1644Hu, Allais 1672Ga
(11) gardon : Gardon 1600Mo 1672Ga, guerdon 1627Di, Guerdon 1644Hu
() souuant : souuent 1649Xa
(12) & quatre : quatre 1600Mo
(13) alez, & trente moines : aliees de trente meine 1600Mo, Ales & trente Moines 1672Ga
**校訂
4行目の地名の列挙については、いくつかの説があるが、順に Comps, Montfrin, Boucoiran, Alès とする[[ピーター・ラメジャラー]]の読み方が優れているように思える((Lemesurier [1997/1999]))。
5行目 gardon は当然 Gardon となっているべき。
*日本語訳
この世紀の間に人々は見るだろう。二つの渓流が
その水によってある地方全体を水浸しにするのを。
そして渓流や泉によって沈むのは
コン、モンフラン、ブコワラン、アレスで、
ガルドン川によってとても頻繁に苦労させられる。
六百と四、別れた者たちと三十人の修道士たち。
**訳について
4行目は上に挙げたラメジャラーの読み方を踏まえて訳した。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は1664年にガルドン川の2つの支流で大氾濫があり、ここに挙げられている諸都市に被害をもたらしたことを的中させたとした((Garencieres [1672]))。
*同時代的な視点
6行目に「六百と四」とあるので、1604年にガルドン川で大氾濫があり、流域の諸都市に被害をもたらすことを描写しているものと思われる。
当「大事典」ではそのような史実があったかどうかは未確認だが、おそらく実際にあったのだろう。
なぜなら、この詩は六行詩のオリジナルと思われる 1600Au には載っておらず、[[1605年版の予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]で初めて登場するからだ。
1605年版に登場した詩に1604年のことが述べられているのだから、これは権威付けのためだけに追加された事後予言と見るべきだろう。
なお、1664年の大氾濫についても未確認だが、ガランシエールがわずか8年前のことについて嘘をつくとも思えないので、実際にあったのだろう。
しかし、ガルドン川はたびたび大氾濫を起こしており、[[詩百篇集]]でも[[第8巻30番>百詩篇第8巻30番]]、[[第9巻37番>詩百篇第9巻37番]]、[[第10巻6番>詩百篇第10巻6番]]などで繰り返し述べられている。
ゆえに1664年の大氾濫にしてもこの詩の的中とはみなせないだろう。
ちなみに、1664年に起きた大氾濫に関して、「三十人の修道士」に関連付けられる記録を見つけていない点は、ガランシエールも率直に認めている。
*その他
上記の通り、1600Au には載っていない。
#ref(ales.PNG)
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[[六行詩集]]>11番*
*原文
Durant le siecle&sup(){1} on verra deux ruisseaux&sup(){1'},
Tout vn terroir&sup(){2} inonder de leurs eaux&sup(){3},
Et submerger par ruisseaux&sup(){4} & fontaines&sup(){5} :
Coups&sup(){6} &&sup(){7} Monfrin&sup(){8} Beccoyran&sup(){9}, & ales&sup(){10},
Par le gardon&sup(){11} bien souuant&sup(){11'} trauaillez,
Six cens & quatre&sup(){12} alez, & trente moines&sup(){13}.
**異文
(1) le siecle 1605sn 1628dR 1649Xa : ce siecle 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu, le Siecle 1672Ga
(1') ruisseaux : ruisseeux 1649Xa
(2) terroir : terroüer 1600Mo, terrouer 1672Ga
(3) leurs eaux : leur eaux 1627Ma 1627Di
(4) par ruisseaux : & ruisseaux 1600Mo, par Ruisseaux 1672Ga
(5) fontaines : Fontaines 1672Ga
(6) Coups : Lors 1600Mo
(7) & : de 1600Mo
(8) Monfrin : Montfin 1600Mo, Moufrin 1611 1627Ma 1627Di, Mouffrin 1644Hu, Monfrin 1649Ca, Montfrein 1672Ga
(9) Beccoyran : Bocarreas 1600Mo, beccoyran 1627Ma 1627Di, beccoyant 1644Hu
(10) ales : Allays 1600Mo, alés 1627Ma 1627Di, alez 1644Hu, Allais 1672Ga
(11) gardon : Gardon 1600Mo 1672Ga, guerdon 1627Di, Guerdon 1644Hu
(11') souuant : souuent 1649Xa
(12) & quatre : quatre 1600Mo
(13) alez, & trente moines : aliees de trente meine 1600Mo, Ales & trente Moines 1672Ga
**校訂
4行目の地名の列挙については、いくつかの説があるが、順に Comps, Montfrin, Boucoiran, Alès とする[[ピーター・ラメジャラー]]の読み方が優れているように思える((Lemesurier [1997/1999]))。
5行目 gardon は当然 Gardon となっているべき。
*日本語訳
この世紀の間に人々は見るだろう。二つの渓流が
その水によってある地方全体を水浸しにするのを。
そして渓流や泉によって沈むのは
コン、モンフラン、ブコワラン、アレスで、
ガルドン川によってとても頻繁に苦労させられる。
六百と四、別れた者たちと三十人の修道士たち。
**訳について
4行目は上に挙げたラメジャラーの読み方を踏まえて訳した。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は1664年にガルドン川の2つの支流で大氾濫があり、ここに挙げられている諸都市に被害をもたらしたことを的中させたとした((Garencieres [1672]))。
*同時代的な視点
6行目に「六百と四」とあるので、1604年にガルドン川で大氾濫があり、流域の諸都市に被害をもたらすことを描写しているものと思われる。
当「大事典」ではそのような史実があったかどうかは未確認だが、おそらく実際にあったのだろう。
なぜなら、この詩は六行詩のオリジナルと思われる 1600Au には載っておらず、[[1605年版の予言集>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]で初めて登場するからだ。
1605年版に登場した詩に1604年のことが述べられているのだから、これは権威付けのためだけに追加された事後予言と見るべきだろう。
なお、1664年の大氾濫についても未確認だが、ガランシエールがわずか8年前のことについて嘘をつくとも思えないので、実際にあったのだろう。
しかし、ガルドン川はたびたび大氾濫を起こしており、[[詩百篇集]]でも[[第8巻30番>詩百篇第8巻30番]]、[[第9巻37番>詩百篇第9巻37番]]、[[第10巻6番>詩百篇第10巻6番]]などで繰り返し述べられている。
ゆえに1664年の大氾濫にしてもこの詩の的中とはみなせないだろう。
ちなみに、1664年に起きた大氾濫に関して、「三十人の修道士」に関連付けられる記録を見つけていない点は、ガランシエールも率直に認めている。
*その他
上記の通り、1600Au には載っていない。
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