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『&bold(){閏年1564年向けの占筮と暦}』(Pronostico et Lunario de l'anno bissestile MDLXIIII.)は、イタリア語訳されたノストラダムスの暦書。フィレンツェの[[ジョルジョ・マレスコッティ]]が1564年に出版した。
#ref(1564pronostico.JPG)
【画像】『閏年1564年向けの占筮と暦』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))
*正式名
-Pronostico et Lunario de l'anno bissestile MDLXIIII. Calculato da l'Eccellente Medico M. Michele Nostradamo di Salon di Craux in Prouenza
--Tradotto di lingua Franzese in Toscana.
-プロヴァンス州サロン・ド・クローの優れた医師ミシェル・ノストラダムス師によって算定された閏年1564年向けの占筮と暦。
--フランス語からトスカーナ語に訳された。
*内容
52ページからなる。
冒頭に「敬虔なるキリスト教徒にして最も無敵なるフランス王シャルル9世へ」(Al Christianissimo et invittissimo Carlo IX. re di Francia.)と題された献辞が収録されている。日付は1563年12月15日で、翌年向けの暦書はその年の前半に書かれるのが普通だったことからすると、非常に遅い。
そのあと、1564年の全般向け、季節ごと、月ごとの順に散文の占筮が掲載されている。各月の冒頭にはラテン語の短い句が載せられているが、四行詩はない。
終わりのほうには[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の詩が一篇掲載されている。
*その他
[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]の書誌では言及されておらず、[[ジャック・アルブロン]]が指摘したことによって初めて知られるようになった。
1564年向けの暦書は、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の転記によって間違いなく存在していたことが分かっているものの、フランス語版については現存はおろか伝聞すら存在していない。そういう状況にあって、このイタリア語訳版が発見されたことは非常に重要である。
なお、この文献の木版画は[[フィリップ・ノストラダムス]]の暦書に流用された。
*所蔵先
-イタリア国立図書館(フィレンツェ)
『&bold(){閏年1564年向けの占筮と暦}』(Pronostico et Lunario de l'anno bissestile MDLXIIII.)は、イタリア語訳されたノストラダムスの暦書。フィレンツェの[[ジョルジョ・マレスコッティ]]が1564年に出版した。
#ref(1564pronostico.JPG)
【画像】『閏年1564年向けの占筮と暦』の扉((画像の出典:[[http://www.propheties.it/]]))
*正式名
-Pronostico et Lunario de l'anno bissestile MDLXIIII. Calculato da l'Eccellente Medico M. Michele Nostradamo di Salon di Craux in Prouenza
--Tradotto di lingua Franzese in Toscana.
-プロヴァンス州サロン・ド・クローの優れた医師ミシェル・ノストラダムス師によって算定された閏年1564年向けの占筮と暦。
--フランス語からトスカーナ語に訳された。
*内容
52ページからなる。
冒頭に「敬虔なるキリスト教徒にして最も無敵なるフランス王シャルル9世へ」(Al Christianissimo et invittissimo Carlo IX. re di Francia.)と題された献辞が収録されている。日付は1563年12月15日で、翌年向けの暦書はその年の前半に書かれるのが普通だったことからすると、非常に遅い。
そのあと、1564年の全般向け、季節ごと、月ごとの順に散文の占筮が掲載されている。各月の冒頭にはラテン語の短い句が載せられているが、四行詩はない。
終わりのほうには[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の詩が一篇掲載されている。
*その他
[[ミシェル・ショマラ]]や[[ロベール・ブナズラ]]の書誌では言及されておらず、[[ジャック・アルブロン]]が指摘したことによって初めて知られるようになった。
1564年向けの暦書は、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の転記によって間違いなく存在していたことが分かっているものの、フランス語版については現存はおろか伝聞すら存在していない。そういう状況にあって、このイタリア語訳版が発見されたことは非常に重要である。
なお、この文献の木版画は[[フィリップ・ノストラダムス]]の暦書に流用された。
*所蔵先
-イタリア国立図書館(フィレンツェ)
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