トゥーサン・ドメルグ

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 &bold(){トゥーサン・ドメルグ}(Toussaint Domergue, 1729年生まれ)は、アヴィニョンの出版業者。[[フランソワ=ジョゼフ・ドメルグ]]の息子。フルネームについてペルシェはトゥーサン・フランソワ・ドメルグ、ムリナはフォルチュナ・トゥーサン・ドメルグ(Fortuna Toussaint Domergue)としている。  兄ジャン・ジョゼフ・トマ・ドメルグが1762年に独立したのに続き、トゥーサンも遅くとも1769年までには独立していた。兄は1785年には出版事業を辞めていたようだが、トゥーサンはその後19世紀初頭まで継続したらしい。ただし、正確な休止時期は不明で、1810年以前のいつかという程度にしか分からない((以上、Pellechet, Moulinas))。生まれた年からすると、おそらく死亡時期もそのころだろう。 *ノストラダムス関連  [[『予言集』1772年アヴィニョン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (トゥーサン・ドメルグ、1772年)]]を出版した。父フランソワ=ジョゼフが[[1731年アヴィニョン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ドメルグ、1731年)]]を出版して以降、予言集の版が絶えていたため、実に40年以上を隔てての出版となった(詳細不明の[[1740年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1740年)]])を除く)。 ---- #comment
 &bold(){トゥーサン・ドメルグ}(Toussaint Domergue, 1729年生まれ)は、アヴィニョンの出版業者。[[フランソワ=ジョゼフ・ドメルグ]]の息子。フルネームについてペルシェはトゥーサン・フランソワ・ドメルグ、ムリナはフォルチュナ・トゥーサン・ドメルグ(Fortuna Toussaint Domergue)としている。  兄ジャン・ジョゼフ・トマ・ドメルグが1762年に独立したのに続き、トゥーサンも遅くとも1769年までには独立していた。兄は1785年には出版事業を辞めていたようだが、トゥーサンはその後19世紀初頭まで継続したらしい。ただし、正確な休止時期は不明で、1810年以前のいつかという程度にしか分からない((以上、Pellechet, Moulinas))。生まれた年からすると、おそらく死亡時期もそのころだろう。 *ノストラダムス関連  [[『予言集』1772年アヴィニョン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (トゥーサン・ドメルグ、1772年)]]を出版した。父フランソワ=ジョゼフが[[1731年アヴィニョン版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ドメルグ、1731年)]]を出版して以降、予言集の版が絶えていたため、実に40年以上を隔てての出版となった(詳細不明の[[1740年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1740年)]]を除く)。 ---- #comment

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