予兆詩第108番(旧98番) 1564年6月について
原文
Du lieu feu mis la peste & fuite naistre.
Temps variant, vents1, la mort de trois grands2.
Du ciel grands foudres3, estat des4 razes5 paistre.
Vieil6 près de mort, bois peu dedans vergans.
異文
(1) vents 1589Rec : vent T.A.Eds.
(2) grands conj.(BC) : Grands T.Eds.
(3) Du ciel grands foudres : Foudres du ciel grands 1589Rec, Du Ciel grands foudres 1649Xa
(4) estat des : estatdes 1649Ca
(5) razes conj.(BC) : Razes T.Eds.
(6) Vieil : Viel 1668
(注記)1589Rec は
ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの手稿『
散文予兆集成』の異文。この年向けの予兆詩は、初出に当たるフランス語版の暦書どころか英語訳やイタリア語訳すら確認されていないため、復元にあたっての底本は1589Rec になる。
日本語訳
その場所からの火が置かれ、ペストと逃走が生じる。
移ろいやすい時期、風、三人の偉人たちの死。
天からの巨大な雷霆が剃髪たちの住処を喰らう。
死が近い老人、果樹園の中に木はほとんどない。
信奉者側の見解
ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、初めの部分は1564年にペストが流行したこととした。2行目の「三人の偉人たちの死」と3行目は別の時代のことと述べているが、別の箇所での言及はない。4行目の「死が近い老人」は1567年に歿したモンモランシー大元帥のことだという。
同時代的な視点
1564年には確かにリヨンでペストの大流行があったらしい。また、同じ年の10月に国王一行がサロン=ド=プロヴァンスに立ち寄ったときには、ペストの流行から逃れようと多くの住民が避難していたのを呼び戻して、入市式を挙行したという。
これらからすれば、「ペストと逃走」は見事に当たったといえなくもないが、ノストラダムスの予言詩にペストが頻出するとおり、当時ペストの流行は珍しいものではなく、時期、場所、規模などの指定をしなければ、的中させることはそう難しいことではなかっただろう。
最終更新:2010年05月26日 22:37